第26話 会話
携帯の静かなアラームが無音の部屋で響き、もう少し寝ていたいと思わせるほど温かい布団から、そっと右手を出してアラームを消す。布団の外は温度差があってまだ少しだけ寒くて、すぐに布団の中に潜る。夏になれば喜んで外に出すけれど。
五分くらいなら寝ていても準備に支障は無い。だから携帯に五分後にまたアラームが鳴るようにセットした。ちゃんと起きれるように頭の近くに近付けて、寝ろと頭の中で唱える。
「雪花今日も学校じゃないか、起きなくていいのか? 遅刻はしたくないだろう?」
「五分」
貴重な五分を眠りに費やすため、聞こえる声を遠ざけるように布団を耳で挟んで瞼を強く閉じる。
しかし茨木の声は大きめだと思うから、塞いでも全然聞こえる。なぜ邪魔をするのか。
「ちょっと寝たくらいでは眠気は治らんぞ」
確かにそうだろう。それでも寝ていたいと体が動くのだから仕方がないと思う。それに少し遅れたくらいで遅刻はしない。
見られているような感覚を布団越しに感じたが、今は寝たい。
こんなことしてる間にもうあと三分しかない。眠いのに寝れない辛さがこんなに苦しいとは。
そうこうしている間に少しずつ頭が覚醒してきたせいで目が冴えてきた。残りあと十秒のところでストップする。
布団から頭を出して髪を手櫛で梳かす。
「……」
「ん、えらいえらい」
側にいた茨木の手が頭の上で何往復かする。撫でるという行為はまだ慣れない。こういうことはまだ歳が一桁の子にすることだろう。私はそう思っている。
茨木からすれば人はみんな歳下だからこういうのをしたい?と思っているかもしれないけれど、私にとってはあまり良い気はしない。
「雪花はちゃんと歯磨きできるかな? 代わりに俺が歯を磨いてやろうか?」
「お前私を何歳児だと思ってんだ」
案の定起きる前に茨木が園児向けの絵本を読んでいたおかげで、朝から無駄な精神力を削った。
昨日と同じように茨木は所構わずよく喋っていた。何百年と一人だったのによくそんなに口が回るものだと思う。そこは鬼特有の、何か劣化しないようになっている能力のようなものがあるんだろうか。
賑やかな通学路を歩いていると、今まで気付かなかったことを茨木がよく喋った。例えば、あそこに綺麗な花を咲かせた木があるとか、花が生えているから蜂には気を付けろとか、きっとそこまで頭の中には記憶されない。でも会話なんてそんなものだと思う。
学校に近づくにつれて昨日のことを思い出してしまって、さっきまでの軽い気持ちは風に吹かれたみたいに消えて心臓が重く感じる。
バッグを強く握って今日を乗り越えようとする。まだ今週が始まったばかりであと三日は学校に行かなきゃいけないけれど、いつものことだし、平日は耐えて、休日は休んでリフレッシュしよう。
玄関を抜けて教室へ行くために階段を上り、静かな廊下を歩いて教室の中に入っていく。教室には誰もいない、自分の席に座ってバッグからパンを取り出して腹を満たす。
「毎日同じものを食って飽きないのか?」
「飽きないよ」
「肉も美味いから食え。バランスも良くない」
「晩御飯に食べてるから大丈夫」
「そうやってしてるから雪花は異常に軽いんだ! 昨日びっくりしたんだぞ!」
「重いよりは軽くていいじゃないか……」
そうだけど違う、と一人で怒って、それを聴きながらパンをかじって考える。たまには違う種類の物も買って見てもいいかもしれないけれど、ここまで来たら一年同じパンで貫いていきたい気持ちもあった。
騒いでる茨木を放って、時計を見てみるとそろそろ他の人がやってくる時間になっていた。会話はこれで終わりだ。
「このままでは雪花が死んでしまう……仕方ない、猪でも狩ってくるか」
「北海道に猪はいないよ」
「なんだと!?」
つい返事をしてしまった。今度こそ終わる。
廊下から歩いてくる音がしたからただ食べることだけに集中して、他はシャットアウトする。
昨日のせいで戸が少し壊れたらしく、今は修理中のため外されている。だから耳をすませていないと人が来たか分からない。
どうせ今日はいつも以上に誰も近づいてこないか、あの女子の仲良し達が何かしてくるかだろう。
朝は上履きに画鋲や汚物詰めるとかいう定番のことはされていなかったし、本格的に何かやるなら明日かな。
ーー今日は空気になったつもりで過ごしていこうと思う。
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