第24話 文字

「文字? なんで急に」


「ちゃんと読んでみたいんだ」


 手に持っているのは、人間と仲良くなりたい赤鬼の話の絵本だ。なんでこれなんだ。ハッピーエンドとは言えない結末だということを知らないとしても、挿絵でなんとなくわかるだろうに。そうだから文字を読んで知りたいんだろうか。


 まずは茨木を部屋に入れて、私は食器を洗いに下に持って行って洗い、その最中に小学生の頃の教科書やドリルをどこにやったか、記憶を遡らせていた。


 階段を上りながら、あの最後に見た記憶では捨てたような気もするし、書斎の本棚のどこかに入れたような気もする。

 とりあえず書斎で探して、無かったら部屋も探してみよう。


「やる気だけはあるんだね」


「雪花に教えてもらえるんだ、やる気だって当然出るに決まっている!」


 さっきまで私がいた場所に、テーブルに絵本を置いて胡座をかいて座っていた。その前に探しものがあるのにここまでやる気満々だと少し困る。無かったら落ち込んだりするかもしれないんだから。


「昔使ってたドリル探すから待ってて」


「ドリル? 掘るのか?」


「そっちじゃない……でもまぁ急ぎでもないし、平仮名とカタカタならまだいいかな」


 学校のバッグから筆箱とルーズリーフを取り出して、テーブルの上で、他に目がいかないように始めのあ行だけを紙に書いて、少しずつ増えさせて、形を覚えてもらうことから始めることにする。


「これが"あ"で、これが"い"で……ってあ行はややこしくなくて覚えやすいと思うんだけど」


「強いて言えば"あ"と"お"だな。しかし、声に出しながらだとそう難しくはない気がする」


 書かれた文字を指差しながら、あいうえおと声を出して覚えようとする。私はもう一枚ルーズリーフを出して、定規で正方形を二十五個書いた。次は自分で書かせてみて、ヨレヨレの字を見てやろう。


「今度はこれに書いてみて」


「ふっ完璧に書き写してやる!」


 シャーペンではなく鉛筆を渡したけれど、ちゃんと書けるだろうか。指先に力を込め過ぎて折れたりしそうな予想がする。

 持たせてみると園児がクレヨンで絵を描くみたいに、鉛筆を手のひらに包んでがっしりと握っている。

 それだと自分が書いた字を上から見れないし、細かい字を書くことはできない。


「書くよりもまずは持ち方から教えるよ」


「これに持ち方があるとは……ふむ」


 握っている手を解かせて、基本の基本を教えてあげる。

 手を握る手前の状態にしてから、鉛筆を中指に置いて、親指と人差し指で支えるようにする。


「これで書いてみて、そのまま手事動かせばいいし」


「ぐぅなんたる書きづらさ! これでは四角を飛び出すぞ!」


「今の日本じゃ七歳で通る道だから、あんたもできるよ」


「なんと七つで書けるようになるのか!? 俺を何歳だと思っている! もう軽く千は超えているぞ!?」


 私の書いた"あ"を見て、プルプル震えながら書いているのをみるのは思いの外面白い。力を込め過ぎると折れてしまう。けれど、弱過ぎると逆に薄過ぎ見えない。字を書くために中間の力を出して努力しているのが目に見えていてすごく楽しい。


「字が震えてるっ」


「だが見ろこれは上手く書けたぞ!」


 他の字と同様に震えてはいるものの、まだ私の文字に多少似ている。頑張った方だろう。


「他と比べてこれは良く出来てるんじゃない?」


「そうだろうそうだろう! よしっ次だ次!」


 よく出来ているとは言え、字習いたての小学生の字だけどな。とは言えず、か行に進む。ここでやる気を無くさせるのはもったいない。


「焦って書くとぐちゃぐちゃになりやすい字だと思うから、ちゃんと形見といてね」


 覚えようとしている間に、また正方形を同じ数だけ書いて、ある程度覚えたと思うところで書かせた。予想通りまた震えていて、今度は唇を尖らせながら書いている。

 さっきよりも上手くなろうと必死にするのはいいけれど、顔が少しずつ歪んでいく。


「ここは繋がり過ぎると別の字になるから気を付けてね」


「あぁわかった。くっつけ過ぎないように、だな」


 口に出しながら書いているけれど、私以外には聞こえない。けれど、私にとってはこの部屋が少し賑やかになって嬉しいと思う。

 悪意もない誰かといる空間がこんなに心地いいとは知らなかった。

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