第17話 鬼

 今日は、いつもよりは寂しく感じないと思う。茨木は私にたくさん話しかけてきて、無視されてもずっと話してくれる。

 きっと、私が心無いような行動をしたとしても、そばにいてくれるんじゃないかと思った。


 暇な休み時間も、言葉を返してあげることはできないけれど、ほんの一瞬だけ目を合わせれば憎たらしいくらい気持ちのいい笑顔を返してくる。

 初めてあった時は不審者だし、今でも本当に変なやつだけれど、今までの人たちとは雰囲気が違う。本当の、友達のようなもの。


「教科書にはなんでも書いてあるんだな、昔とは大違いだ」


「俺にとってはついこの間のような出来事も、歴史では数百年も前の出来事だもんなぁ」


「……」


 ペラペラと教科書をめくって、平安時代から大正、昭和、そして平成へと現代に近づいていく。

 人間同士で争う醜さや、単純なだけでは生きられないなど、さまざまな戦争を客観的に語るのを聞いて、考えるものがあった。


「人間は面倒な生き物よな、鬼とはまるで違う」


 でも、みんな同じ思考だったならここまで人は発展しなかったんじゃないかな。なんて、口には出さずに突っ込んでいると、横から強い衝突がきて、机の上の筆箱から筆記用具が床に散らばった。

 見てみると、私を見てニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる男子だった。


「悪い悪い、わざとじゃないから」


 明らかに私を見下して嘲笑っている。わざとじゃないなんて嘘だ。悪いなんて、毎回そんなこと思ってなんかいないくせに。

 近くから、ぶつかってきた男子の仲間がやってきて、同じように見下してきている。


「これくらい許してやってよ! わざとじゃないんだから」


 どうせこいつらは、わざとぶつかって私からいいと言わせるのを楽しんでいる。こういうやりとりが一番ムカつくかもしれない。


「いいよもう」


  早く拾わないと、ペンなんか誰かに蹴られてどこかにいってしまう。

 椅子から立ち上がって、机の横に落ちているものを拾う為、屈んで手を伸ばした。これくらいどうってことない。筆箱を閉め忘れていたのは私の落ち度だ。もしかしたらと考えていなかった私も考えが甘かっただけ。


「邪魔なんだけど! そんなとこにいないでくれる?」


 気付くのが遅くて、体制を直す前にやってきた女子が、ペンを拾う私の手を容赦なく、タバコの火を消すように踏みつけた。ペンの硬さと足裏の圧力で、ギチギチと指から嫌な音が耳に入った。

 二秒くらい経ってやっと解放され、咄嗟に踏みつけられた手を労わるみたいに片方の手で包み込む。


 しかし今は傷よりも私は視線の方が辛かった。自分を正当化して見下ろす視線より、教室の端にいる女子や男子からの冷めた視線の方が二倍くらい辛く感じる。


ーーこんなことをして、何が楽しいんだろう。


 なんでこんな目に、自分がされて嫌だとは思わないのか。

 去っていく足音と笑い声に、茨木は何を思っているんだろうか。情けないと指を指すだろうか。それとも、かわいそうだと慰めるのかな。

 いや違うな。これはきっと怒っている。


「クソガキ共がっ全員焼き殺してやるっ!!」


 春の暖かさとは違う熱が、茨木から周りに嫌な気と一緒に漏れ出て、教室全体が蒸し暑くなった。

 さっきまでただ見ているだけだった同級生たちは違和感に気づいたようで、真夏日に似た暑さに驚いて教室を出ようとする。


「な、なんか暑くない? 急にこんな暑くなっ!」


 茨木は、私にぶつかった男子を蹴り飛ばし、もう一人は鳩尾辺りにパンチを決め、どちらも教室の外へ白目を剥いて吹っ飛んで行った。


「はぁ……!? どういうこと? あんた、何したわけ!?」


 きっとこの状況にパニックで理解することはできないだろう。なんせ勝手に人が吹っ飛んで、次は自分がやられるかもしれないんだから。

 普通の人には見えていない茨木への恐怖の顔。こんな顔初めて見た。


 恐怖に歪んだ手を踏んだ女子が後ろに下がるけれど、それ以上下がらない方がいい。後ろには、さっきまでは生えていなかったツノがあるし、手が人間の手ではない。というか若干手が燃えてる。


 後ろから燃えている片手で首を掴むと、首を吊ったみたいに苦しさから逃げようともがいて、溢れた涙すらも熱さで乾いて跡ができた。


「あああああああぁーーっ!!」


 肉が焼ける臭いと、苦しくて死にそうな顔で泣き喚き、どんな映画にも勝るであろう公開処刑につられて周りも叫喚している。


「や、やめ、て」


 あまりの惨状に腰が抜けて、か細く言葉を発するしかできなくなり、殺そうとする茨木を必死で止めようとした。

 此方を見て憐れみの目を向けるけれど、すぐにまた恐ろしい目に戻って、さらに教室は暑くなる。


「この程度生温いだろう! 許され難い事をしたと思い知らせてやる!」


「お願い、やだ、こんなの……見たくない」


 声を震わせながら訴えると、私から目をそらして握り締める手から火が消えた。教室の熱も去って、顔からうつ伏せに倒れたせいで、骨が折れた音が響いた。


「雪花」


「ひっ……」


 冷めた瞳を向けながら、私の名前を呼んで近づいてくる茨木がとてつもなく怖い。朝見たアホみたいなもんじゃなくて、本物の鬼の顔で目の前に屈んで顔を覗き込まれる。


「お前を傷つけるものは誰であろうと許しはしない、絶対にな」


 異形の手が私の頬を優しく包み込み、そっと瞼に唇を落として、流れた涙を舌で舐めとった。

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