第11話 感情

 そういえば食べる手が止まっていたことに気付き、こんなことで夢中になるなんて思わなかった。いつも一人だったからこの空間が新鮮なだけで決して楽しいとか思ったりしていない。


 手を動かしてごはんを食べることに集中すると自然と静かになっていて、ベッドの方を少し見ると茨木は自分の手を見て唸っていた。理由は知らないし知っても特に良いことはないから聞かないで黙々と口に入れ続けた。



 しばらくして綺麗に片付いた食器が並んでいるお盆を持って下のキッチンに持って行こうと立ち上がり、何も言わずに部屋を出る。

 きっと皆んな食べ終わっているだろうし、もしかしたらテレビを見ているかもしれない。でもこのままにはしておけないから、視線を無視して一階に降りると、やはり家族でテレビを見て笑っていた。


 リビングを素通りしてキッチンの方に行くと嫌な感じがして逃げたくなる。出来るだけ無感情で早く洗って出て行こうと、それ以外考えないように素早く終えて足早に階段を上がる。すぐ近くの私の部屋だけはまだマシだから。

 変な視線を感じて上を見ると、上から下を覗いていた茨木と目が合った。

 私の前にまで歩いてくると無感情で口を開いた。


「家族なのに雪花のことに関して冷たいんだな」


「そりゃそうだよ」


ーー本当の家族じゃないから。


 少し眉を顰めてすぐに目を伏せて、まるで自分のことかのように悲しんでいる茨木は私の分まで悲しんでくれているんだろうか。どうだか知らないけれど、無防備な状態から早く部屋に行って壁に守ってもらいたい。


「何か言いたいなら後でね」


「あぁ……」


 何も言わずに付いてくるのが少し不気味だ。さっきまではあんなに感情豊かに表情や口を動かして忙しそうだったのに。


 らしくないとは自分でも思ってるけど、暇つぶしに付き合ってくれたお礼として聞いてあげようか。


 部屋に入ってお互いがベッドに座って一呼吸置いたら、私から顔を覗き込んで、口を開く努力をする。


「あ、あのさ」


「雪花は寂しくないのか」


 低い声で突然喋り出して驚いたけれど、これくらいで吃る私じゃないし、慣れてないわけじゃないし普通に答える。


「え、いや今更だし」


「母親はよそよそしく、父親はまるで存在していないみたいに認知していない、兄というよりあの男は雪花と血縁だとは思えんほど性格が悪い」


「……」


 鬼とはこんなに人の関係性まで当ててしまうほど感が良いのか。それとも何処かで見ていたのかと疑ってしまう。

 しかしそんなに気にするほどだろうか。所詮綺麗な仮面の内側みたいなものだ。


「感情を共有できる人が欲しいと思わないのか?」


「別に」


「心の拠り所が欲しいと思わないのか?」


「どうせ私には意味ないし」


 どれも私には必要ないと捨ててきたものだし、どうせ勝手に消えていくものをなぜその為だけに拾わなければいけないのか。それならずっと一人で生きて死んでやる覚悟をする方が有意義だ。


「誰かに愛されたいと思わないのか?」


「……」


 愛、愛情、即ち独占欲。私にとって愛なんかあの父親のような毒だ。一度啜れば取り返せないほど後悔して冷たいものなんて私には必要ない。一番いらなくて、一番くだらない感情。


「……あんなもの、いらない」


「雪花」


 急に頭に少し重い物が乗った感触に手を頭の上に置くと生温い人肌があって、全然痛くなくて、撫でられて初めての感覚に戸惑っていると、ニヤリと口角が上がった茨木の顔は少し生意気そうでいて優しい顔をしている。


 赤に染まる空に子供の時見た、泣いている子供を撫でて宥めている母親の顔を思い出した。


「……」


「雪花」


 怒られても、悲しくても、どこで何をしていようとも呼ばれなかった私の名前。

 雪の中で咲いていた花の意味である名前を優しく、布団に包まれたみたいに温かく呼ぶ声に、溶けてしまいそうなほど心地よくていつまでも聞いていたい気持ちになる。


「もう一回、呼んで」


 口から出た言葉は小さく蚊が鳴くような声でも、茨木はちゃんと聞いてくれていて、小さく頷いてくれた。


「雪花」


「もう一回」


「雪花」


「うん、うん」


 呼ばれた名前はどれもとても温かい。貶して蔑む冷たさもなくて、春の日差しみたいに柔らかい。


「もういいのか?」


「もう大丈夫」


 心の重りが減って軽くなった気がして、今この瞬間だけは茨木はすごいと思える。

 嫌なことを忘れてしまいそうなほどの感覚に名前をつけられるほど博識でもないけれどこれは嫌いじゃない。


「その、これは」


「俺が辛い時によく雪花がやってくれたことだ」


 茨木はまた機嫌よくあーだこーだ言って語り出したから、私もいつもの調子に戻ってきた。でもあまり嫌な感じはしない。


「ねぇ」


「うん? 何か用か」


「少しは感謝して、るかもしれない」


「……っそれなら良かった!」


 満面の笑みの茨木に、ほんのちょっと口の端が上がった私は少しだけなら側にいさせてもいいかもと考えた。


 眠気が襲って来る頃になって布団に潜ると、当然のことのように私を見てくる茨木に、寝顔を見られるのが嫌だと言うと少し驚いてすぐに背中を向けたから、その背中をしばらく見てから瞼を閉じた。

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