第5話 月光

 やっと雨が小降りになったけれど、その分汗が滝のように流れていた。

 とりあえず逃げてきたけど、その後のことを何も気にしていなかった。でもきっと人通りが多いところに行ったらさすがについてこられないはず。

 人の気配に期待して一番人の通りがかりが多い道へ出た。


ーーはずだった。


「どういうこと? なんで」


  どうして誰もいないの? いやおかしい。だって、いつもはうるさいくらい走るバイクの音や車の走る音が聞こえてきているし、帰りの会社員がいるはずなのに、なのに。


  誰かがいた形跡はあるのに人気がなくて、ゴーストタウンに相応しいほど、人間だけを切り取ったみたいで不気味だ。

 「どうして」と繰り返す私の口は止まらない。そもそもこんなに人がいないのは初めてだ。それとも私の頭がおかしくなったのか。


  乱れた髪が顔にへばりつき、ただでさえ視界が悪いのにさらに悪くなる。普段なら何もないとこでつまづいて転びそうになるなんてことは絶対にありえないのに、今日はやけに転びかけて、それほどパニックになっている。今はただ落ち着ける場所が欲しい。


 ちょうど少し開けていて月の光で明るい所があって、肩でしていた呼吸を整えて、もう追ってきてないだろうと思って後ろ向くと、三メートルくらいのところに白い髪を揺らしてこちらをじっと見つめている男がいた。そして突っ立っているだけだと思ったら急に走り出した。やばいと思って逃げようとしたらバランスを崩して踏まれた肩の方に傾き、もうダメだと思い骨折を覚悟して目を瞑る。


「雪花!」


  と、知っているわけない私の名前と必死な顔で手を伸ばす男。

 初めて出会ったのにどうしてそんな顔をして叫ぶんだ、なんでそんなに必死で手を伸ばすんだ。


  距離があったのに数秒で間が縮まったせいで力加減を考えず握られた右手を掴まれ、男の方へ引っ張られると、転ぶことはなかったが、近くで見たことと月に照らされてみて改めてよくわかった。

 この男は絵本やおとぎ話に出てくる悪者によく似ている。強さの象徴である頭から生えてるツノ、獲物を狙う捕食者みたいな目、伸びた黒い爪と大きな手。


ーーまるで人を喰う鬼のようだった。



 掴まれた手に私は痛くて顔を歪めたのを見た鬼のような男はぱっと何か閃いた顔をして、私が手を離して欲しいと腕を動かすと、意思とはきゅっと手を握りしめられたら、どこかから植物のツルが生えてきて、予想すらしていないことに、片手で払おうとすると、ツルについていたツボミがひとりでに咲き、綺麗な花弁を見せた。

  こんな花は見たことがない、すごく綺麗で、心地がいい匂いがする。

  一瞬にしてその花に釘付けにされていると、男が口を開いてこういった。


「雪花が見たいって言っていた花はこれだろう?日本中探し回ってやっと見つけたんだ。大変だったんだぞ!」


  という意味がわからないことに思わず「は?」と呟いた私と、どうだと言う顔をする男の目には期待のようなものが浮かび上がっている。

  申し訳ないが私は何のことやら分からず、頭がキャパオーバーしている。まずは刺激せずに知らないと答えるべきだと考え、口を開いた。


「ご、ごめん私知らない、です」


「何ィ!? これじゃないのか!? しかし月下美人という花はこれ以外無いはずだ!」


「というかあなた誰ですか」


「何を寝ぼけたことを言っているんだ雪花!最近の若者はまだこの時間余裕で起きている時間だぞ!寝言を言うな!」という男に

、本当に知らなくて疲れた私の頭は早く解放されたいがばかりに顔を強張らせた。


「すみません知らないです人違いです手放して下さいお願いします」と言うと「人違いなわけない」と、変なこだわりを持たれていて、グッと距離を縮ませて私の目をじっと見てくる。そこでやはりと言いたげな確信みたいな顔をしてる


「この澄んだ空の瞳は誰であろうと真似できない!ありえない!」すかさず私も異論を唱えて


「青い目の人は外国人とかにたくさんいるから人違いです」


「この色はお前以外にいない! それにその黒髪も触れた肌の感触もその服も俺の記憶にある雪花そのものだ!」


「気持ち悪っ」


  あまりの気持ち悪さに咄嗟に口から飛び出てしまったが、私は悪くない。というかこんな目立つ人にもし出会っていたら忘れられるわけないのに、どうしてそこまでこの男は私に執着し、昔から会っていましたよ設定を押し付けてくるんだろうか。やはり痛い人だったか。


「気持ち悪いだと!? あ、ありえん雪花はそんなこと言わない」


「だから人違いですいい加減手痛いので離してください」


「あっそれは悪かったな……しかし、そんな雪花も嫌いじゃないぞ」


「無理……」


  そう呟いて勢いよく横に振りかぶったバッグで顔面を殴ってから走り去るように家路を急いだ。

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