第6話 理不尽

  息を切らして家の前までやってきて、途中本当に人に会わなくて焦っていたけれど、家の近くになってからは人を見かけるようになってやっと落ち着いて家の前に立つことができた。

  まだ家には明かりがついていて、明るい家に私は場違いだけれど帰らなければいけない場所だから。


  門扉を引き、レンガの床を歩いて二重の玄関の扉を開いて家の中に入るとリビングからテレビの音と父と母の声が聞こえた。なんの話をしているのかここからでは聞こえないけれど、母の楽しげな声が聞こえているからきっと、愛の言葉かどこかへ遊びに行く計画でもしているんだろう。私には関係ないけれど。


  鍵を掛けて濡れた靴を脱いでいると母がやってきて、目を点にしながら少し戸惑ってタオルを持ってきた。


「傘を使わなかったの?」


  朝までは無事で帰りに使おうと思っていたけれど、勝手に持っていって勝手に使って壊したから使うこともなくそのままだったから、壊されたと言うことを隠して、あくまで自分で壊したからと言う感じでそっと言う。


「折れちゃったから」


  そう言うと母はどことなく察した目で「そう……」と呟いて、風呂に入ることを勧められてからずぶ濡れだったことを思い出し、断る理由もなく風呂に入ることにした。


「ご飯あるけど、上がったら食べる?温めておくよ」


「そうする」


 ついでに濡れた靴の為に新聞紙も用意してもらうことにした。


  今日は母と結構会話した方だろう。いつもなら帰ってきて玄関で会うことなんか絶対無いし、こんなに気を遣われることも無い。さっきまで楽しそうに話してたから罪悪感かもしれない。


  制服のまま脱衣所に行ってまず脱いだ制服をハンガーに掛けて、下着や靴下は洗濯カゴに放り込んだ。


  一糸纏わぬ姿で風呂場へ行って身体を洗っていると、ふと目に入った鏡を見てみると、身体中痣だらけで内出血や、所々切れて血が滲んでいるところもある。

  こんなに傷だらけでも次の日にはもう治っているのはすごいことだけれど、あまりにも今の姿は気持ち悪い。頬は腫れていて、そっと手で触れると針で刺さった痛みで咄嗟に離した。


  痛いとわかっていて触るなんて自傷行為だ。こんなことをしても何も慰めにならない。

 大人しく身体と頭を洗い終わって、浴槽に入ろうと思ったが今日はシャワーだけで済ませて靴に新聞紙を詰めて乾かそうと浴室を出る。


「傷だらけだ」


「……っ!」


  誰もいないはずなのに何処からか男の人の声が聞こえた……気がする。もしかして今日会ったあの男?まさか、そんなわけない。だってこの部屋には"誰もいない"。


「気のせい……?」


  今日のことが印象的すぎて自意識過剰になっているだけだ。気のせいだ。でもなんだか気味が悪いから早く体を拭いて、母が置いてくれたパジャマと下着を素早く着てこの部屋から出た。


  生乾きの髪から垂れた水滴でパジャマが濡れないように首にタオルを掛けて、ご飯を食べたら制服と一緒に乾かすから後回しだ。今は嫌なリビングを抜けて食卓テーブルに置いてある温かい晩ご飯を食べよう。

  テーブル近くの椅子に座るのと同じタイミングくらいで母がご飯を茶碗に盛って私の前に置く。素直に感謝を伝えると少しだけ明るい顔をしたがすぐにいつもの申し訳ないと言いたげな顔になった。

  箸を持って温められたおかずを持って口に運び舌で味わう。とてもご飯に合う味で嫌いじゃない。美味しいと思うけど私は食レポが得意じゃないからそれ以上の感想は言えない。

 向かいの席に座って訝しむ顔をしている母は口を小さく開く。


「ねぇ」母が口を開いて何か聞いてきた。


「ずっと気になってたんだけど、聞いてもいい?」


「いいよ」


  母の目は明らかに私の目ではなく、腫れた頬や赤い跡がついた首に視線が向けられていた。察するときっと"そう言うこと"が聞かれるんだろう。


「どうして、毎日傷付けて帰って」


「日和」母の声を遮って父は母の名を呼んだ。


「そんな所に"一人で"何をしているんだ? こっちに来なさい」


「……」


  こちらには目もくれずに父はテレビを見ている。どこか冷たい声にまたかと、重い愛の独占欲に塗れた台詞にチクリと心臓が痛くなる。

 母は私と父を見て困り顔をしている。いい加減このやり取りに慣れてしまえばいいのに。

  優柔不断な母に私に気にすることないと目で訴えた。


「でも……」


「呼ばれてるよ」


  母から視線を外しておかずを食べる私を見てきっと助かった、とでも思っているはずの母は父の横のソファに座った音を聞いた。そこで父の腕は母の腰に手を添えて愛を囁く。


  同じ空間にいるはずなのに温度差で風邪を引きそうになって食べるスピードを上げる。食器を流しに持って行って洗い、父の圧から逃げた。


「……」


  玄関に行って心臓辺りを掴んでしゃがみ込むと少し楽になった。新聞紙とシューズクリームが置いてあり、部屋に靴と一緒に持って階段を登って、最後の一段で兄の部屋のドアが開き兄が出てきた。

  今は一番会いたくない人だった。眉間に皺が寄って気分悪い顔になる。こっちだってそんな顔してもらいたくてしてるわけじゃない。


「邪魔」


  二人は余裕で通れる階段なのに、わざわざ傷付けるように言う兄は本当に器が小さく性格が悪い。

  端に寄って避ける私のすれ違いざまに舌打ちされて、外と内では性格違いすぎてもう二重人格なんじゃないかと疑うくらい兄は私のことが嫌いだ。


  いつまでも気にするほどよくできてないので、自分の部屋に行って靴を乾かすため扇風機を靴に当たるよう配置し、新聞紙を靴に詰めてスイッチを押す。


  もう寝たいけど、髪も乾かさなきゃいけないし制服や忘れていたバッグだって下に置きっぱなしだ。

  全部やったら寝ると目標を付けて階段を降りた。

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