7.夢

 


 僕はガタゴトと揺られ、列車に乗っていた。

 

 ドアにもたれかかるようにして立ち、外の景色を眺めている。見慣れた光景だ。そう、実家に向かういつもの急行列車の車窓、地元の風景だ。今日はなんだか日差しが眩しい。ああ、夏だっけか? あ、そうか、夏休みだ。太陽が眩しすぎて、なんだか頭がぼんやりする。

 

 地元の街並、その流れる様を見ているだけで、間もなく次の駅に到着するのがわかる。次で各駅停車に乗り換えるのだ。


 程なく列車は駅に到着し、僕はホームに降りた。大きな乗り換え駅である。案内掲示板を見て、そして各駅停車の着番ホームへと向かう。通り慣れた連絡通路、ホームには各駅停車がすでに停車していた。乗り込むと、すぐさま列車は発車した。が、その列車は、実家の最寄り駅とは違う方面のものであった。


 あれ? 間違えた? 仕方なく僕は次の駅で降りて、反対側のホームから逆方向の列車に乗り、元の駅へ引き返したのだった。到着したのは先の大きな乗り換え駅だが、なぜだか先ほどとは少し雰囲気が違うようにも感じた。地元を離れている間に、駅構内の拡張工事でもしたのかな?


 そして僕は、乗り換えるべき列車を探すが──、

 

 あれ? 乗り換え列車の着番ホームが分からない。ルートを間違えたか? この駅は巨大で構内が迷路のように複雑だ。しかし、こんなに沢山ホームがあったっけか? 拡張か? 通り慣れた通路? いや、この連絡通路は確か、僕が子供の頃に、とうに無くなったはずでは──、

 

 僕は近くにいた駅員に、各駅停車の着番ホームを訊ねた。ふと見ると、その駅員の男はしきりと誰かと話しをしており、へらへらと笑いながら、めんどくさそうに車両事故で運休したと告げ、そしてまた誰かと話しこんでいる。駅員が誰と話しをしているのか、よく見えなかったが、いかにもおざなりな対応である。

「あの──」

 いつ運行開始になるのか? と、しつこく訊く僕に、駅員は「船」で向かった方が早いと言った。

「船?」

 ──水上バス? そんなのあったっけか? とも思ったが、言われるままに駅を出て、船着き場に向かうのだった。


 船着き場は閑散としていた。というか、こんなところに船なんて乗り入れしていたっけ? そもそも駅のそばに河川があったか? 定期便? あれ、そういえばこんなに大河だったっけか? 少々疑問に思うが、切符を購入し、水上バスというよりは、遠洋漁業の漁船のような、大きな船に乗り込んだのだった。


 程なく出航した。


 あぁ、風が気持ちいい。潮風? ああ、少し湾に出て、海を通って行くわけか? 


 些か遠回りだが、眩しい太陽とともにデッキで浴びる海風は、ひどく心地良かった。


 が、その船は僕の地元の最寄り駅には到着せず、離れ小島のような閑散とした漁村に到着した。促されるように船を降り、不本意だったが、そこからまた今度は陸路、路線バスで元の大きな乗り換え駅に戻ることとなった。バスは悪路をガタゴトと走り、乗り換え駅に到着し、そして、そこからまた各駅停車を探し、そして何故か再び船に乗船して──、何度も何度も様々な交通機関を利用して、なんとか実家に帰ろうとするのだが、どうにもこうにも、どうしてもたどり着けなかった。


 どうやっても、しまいには船に乗り、訳の分からない土地に到着するのだ。


 そして何度目かの船旅で、僕は開き直った。デッキでベンチにもたれかかりくつろぐ。そのうちどうにかなるさ、と。すると、ふらっと眠気を催し、つらつらとうたた寝をしてしまい、滑り込むように深い眠りに落ちる。その刹那、


 ──僕は目を覚ました。それらはすべて、夢だった。 


 実家から離れて暮らしていると、たまに見る帰省する夢。でも、いつもたどり着けない。


 夢とは、睡眠中に脳が記憶の整理を行うために見る現象と言われるが、まったく行ったことのない土地、まったく知らない知人、やったことのない事、違う自分、支離滅裂すぎて、記憶や経験とかけ離れている内容の方が多いのでは、と僕は思う。


 ふと横を見ると、椅子にちょこんと行儀良く座り、僕のデスクのパソコンに向かって、カチャカチャとキーボードをたたいている女の子がいた。

「あっ──」

 声を上げると、その子はこちらに向き直り、そして微笑んだ。窓から射す陽の光に照らされて、それはとても柔らかで可憐だった。

「あ、れ?」

「目覚めた。ようやく」

 白いレースのキャミソールに、薄いピンクのカーディガンを羽織った女の子は、首を傾げて肩をすぼめてそう言った。チャーミング、少しおどけた女の子らしい仕草、とても愛らしい、が、僕は戸惑う。

 

 この女の子はだ。


 起き上がろうとしたが、身体があまりに重くて動けない。重いのか、力が入らないのか、分からない。左腕を少し持ち上げて、右腕を伸ばし左腕を触ってみる。


 左腕は、肘から先が無くなっていた。

「そんな──」

 やっぱり、夢ではなかった。食い千切られ、食べられた。彼女に。

 どうしてこんなことに。なぜ──、僕は──、涙があふれ、泣いていた。


 いま確かなこと、彼女は普通の人間ではない。確実に。


「泣いているの?」

 彼女はやわらかい口調でそう言った。当たり前だ、左腕が無くなったんだ。

「君は普通じゃない」

 しゃくりあげるのをこらえ、声を振り絞った。

「そんなにショックだった?」

「君は怪物なんだ──」

「酷い言い方。でも、そうね。お前からすれば、そうかもしれない」

「君はなんなんだ?」

「私が普通の人間じゃないと知っていたら、助けなかった? 好き勝手したくせに」

 そんな──、

「ひどいよ。こんなこと。僕は、君を──、君が怪物だなんて分かるはすもないよ」

 僕は目を閉じた。ぶつけようのない、憤りや悔恨のごった煮のような思いがこみ上げ、苦しくなった。

「そうね。でも、正直に言うと、お前には申し訳ないけれども、私も私が何者で、どこから来たのか、なぜここに居て、何のためにこの世界に発現したのか、何も分からなかったの。ごめんなさい。本当に」

 ばかな、今更、そんな事言われても。

「ひどいよ──」

 でも、彼女の語る言葉には、今までに無かったような、温かさみたいなものが感じられた。それは、凍っていたものが溶けたような、人肌の温もりのような。


「私が私として、己を正確に認識したのは、お前に拾われてからそれ以降かもしれなわ。それまでの私は、ただ生物としての本能に従い、生存し、様々な食物連鎖の末に、今の形を獲得したと考えられるの」

 

 なにそれ──?


 彼女の言う事はやはり意味が分からない。それこそ人間じゃないからだろうか。理解するのがどだい無理なのだろうか。が、とにかく人間じゃないモノが、少し人間ぽく、或いは人間の姿形になったという事はなんとなく想像できた。でもだからと言って、もうどうしようもない。


「我思う、ゆえに我あり」


「そう、これね。言うなれば。ネットで学んだ言葉を借りれば、そうね。自我を獲得したの、私は、お前に拾われて」

 と言って、彼女は傍らに来て、ベッドに腰掛け、そして僕の手を握った。

 

 今更、優しくされても──、そのうち僕を全部食べるつもりなのだろうか? それはなんだか恐怖よりも、哀しみの方が強かった。天使が舞い降りたとかなんとか、突然綺麗な女の子が現れて、浮かれていた僕が愚かだったのだ。──でも、どのみち、あの時の僕は、生きる気力を殆ど無くしていた。そんな後ろ向きな奴には、天使ならぬ、悪魔だったのだ。お誂え向きの結果というのか。


「お前、痛かった? 痛くしないつもりだったけど。ねぇ、そのうち治してあげたいと考えているの」

 直す?

「どうやって? これは治るのか? 無くなったのに? 人間の腕はトカゲのしっぽみたいに生えてこない」

 僕は目を開け彼女を見た。いつの間にこんな女の子らしい服を? でも、もうそんな事どうでもいいし、驚かない。

「そうね、もう少ししたら、きっと出来ると思う。きっと、まだ色々と、私は私をコントロール出来ていないのよ」

「──?」

 コントロール? 怪物が? 何を? 意味が分からない。が、


 僕はぶつけようのない思いを拗らせた。彼女に握られている右手を強く握り返し、目一杯引っ張り、右腕で彼女を乱暴に抱き寄せる。そして、彼女を押し倒して、やろうと思った。

 が、やはり体が重くて、彼女を抱き寄せるだけで精一杯で、力尽きた。

「くそっ! 僕は、僕はっ──」

 死ぬのか──。

 また激しくしゃくりあげてくるのを、必死で抑えた。


 彼女はうつ伏せに抱き寄せられ、なんの抵抗もせず、されるがままになっていた。

 そして、僕の頬に自分の頬をくっ付けて、

「好きにしていいよ。感情をぶつけられるの、嫌いじゃないわ」

 と優しい声で言った。

「なっ!」

 

 戯れか?


 僕は一瞬そう考えたが、彼女の身体の柔らかさを全身で感じていると、 


 いや、──彼女に、悪意は無いのかもしれない。


 或は、もう、どっちだっていい。


 と、投げやりか開き直りにも似た感情がふっと沸き上がった。腹が据わったとでもいうのだろうか。そもそも普通ではないのだ。騙すとか、陥れるとか、悪魔とか、そんな人間的な考えなんて通用しない。今まさに彼女は自己を認識したというのなら、もうそれで、後はなるようにしかならない。人と人の出逢いだって、嘘偽りなく正直に接して、結局そうなんだから。


 そう考えてみると、別の意味で僕はハッとして──、右腕でもう一度彼女を抱きしめた。

「ごめん──」

 今の彼女には、何を考えているのか分からない空気や、僕に危害を加ええる危険のようなものは感じなかった。以前の彼女に感じていた、ある種独特の、遠い存在のような感覚、それらが消えていたのだ。人との空気に敏感な僕には分かる。彼女は別人というわけではないが、その雰囲気は大きく変わっていた。


 僕はただ、逆に自分自身が浅ましく思えた。確かに彼女は普通じゃなく、それに僕の左腕は無くなった。でも、またで感情をぶつけようだなんて。この期に及んでだ。これまでも、奇妙だと思いつつも、彼女の美しさに魅かれ、好き勝手にしていたんだ。彼女を。欲望の赴くままに。不可思議なことに目を瞑って、欲望を優先していたのだ。愚かしい。それこそ僕も、ある種怪物だ。


 その後、しばらくの間、僕と彼女はそのまま無言で抱き合っていた。


「それはそうと──」

 彼女は起き上がり、僕の前で両手を広げて姿を見せつける。

「どう? この服? この姿、似合う?」

「えっ!?」

 ひらっと一回転してみせて、少しおどけたようにまた小首をかしげた。

「どう、ねぇ?」

「あっ、いや、その、かっ、可愛いよ」

「フフ、そう、フフフ、そうね、そう言われるの、楽しいものね」

 そういって、彼女は自分の着ているキャミソールの胸元のレースや、カーディガンの裾を触り、まじまじと見る。とても嬉しそうに。

「その、君、見違えるほど、人間らしく、というのは変か? いや、女の子らしく、可愛くなったよ。あっ、元々、可愛かったんだけど、その外見だけって意味じゃなくて、その──」

 僕は何をいってるんだ。左腕を食われて、下手すれば死んでたのに。というか、彼女の方も何を言ってるんだ? 僕の左腕を食べ、その前にはハム次郎を食べ、あんな巨大な怪物にだって──、本当に、僕等は、何言ってるんだろうか?


「目覚めたら、真っ先に見せようと思っていたのよ」

「どこで、それを?」

「ネットの通販ね。便利なものなのね。食べるモノも、着るモノ、なんでも届くなんて。この部屋から一歩も出なくても、生きていけるのね、この社会というものは」

 

 彼女は本当に楽しそうに笑っていた。見蕩れてしまうほど可憐に。普通の人間じゃない、不自然なことのはずなのに、彼女の笑顔はとても自然に見えた。


 左腕は、肘の所が火傷痕のようなケロイド状になって、傷口は塞がっていた。とてもグロテスクに。


「あ、あのさ、変なこと聞いてゴメン。君の本当の姿は、その、あの停電の時、暗闇にいた巨大な怪物というか、その──、あれは君だったんだろ?」

「そうね。怪物──、ひどい言い方ね。ふん。せっかく買った洋服着て見せてあげたのに。馬鹿」

「ゴメン」

「でも、そうね、アレについてはもうはぐらかさない。アレは私。でも、本当の姿ではないわ。あの時は、まだ私は自我を把握しきれていなかったの。それに、あのオッサンに気が立っていたし、興奮して、たぶん、攻撃性が暴走してしまったの。私の中の生体情報が無秩序に現出してしまっただけ。狂暴な生物のそれの。まったく出鱈目な個体として。そういう意味では、本当に化け物ね。でも、もちろんアレは本来の私ではない。イレギュラーよ。もう一度アレになれって言われてももう無理だわ、きっと」

「もしかして、君は色んな形に変化出来るの? もしくは色んな生物にでも?」

 というか、どうやってアレから元に戻ったんだ?

「そうね、きっとそうよ。おそらく、──なんにでもなれると思う。その生物の情報があれば、だけど」

「情報?」

「言うなれば、DNA情報、ゲノムとでも言えばいいかしら、生物の。ほら」

 といって、彼女は腕を前に伸ばして、そしてパッと握りしめていたこぶしを開いた。


 ──そこには、彼女に食べられたはずのハムスターのハム次郎が乗っていた。


「嘘っ!」

 そのハム次郎は、少し驚いた様子で辺りを気にしながら、ちょこちょと彼女の手の平の上で回っていた。

 生きている!? そして、その動きも仕草も、ハム次郎だ!

「まさか、生きてたの! どこにいたの!?」

「私の中」

「えっ──」

 彼女は手の平を閉じて、そして再びパッと開いた。そこには何もなく、ハム次郎は消えてなくなっていた。まるで手品のように。

「ちょっと、ハム次郎返してよ」

「いやよ。お前、私に分裂しろっていうの?」

「分裂!?」

「このネズミは、きっとこのコ自身だけど、もう私でもあるの。離れられないわ」

「は、ハム次郎は生きてるの?」

 彼女はしばらく答えず、少し考えるように宙を見上げて「うーん」と唸るような、それこそ、おどけた少女のような仕草をして見せた。

「そうね、おそらく──。でも、生きているとか、死んでいるとか、その定義につては、私、まだ少し分からない事があるから、なんとも言えないわ」

「わからない? 生死が?」

「そうね」

 といって、彼女は腰に手を当てて、堂々と立ち尽くした。

 なぜそこでドヤ顔なんだ。

「もう一度見せてくれる? ハム次郎に触れてもいい?」

「いいわよ。触るだけなら。でもその前に、まだ買った洋服あるから、着てあげる。見たいでしょ?」

「──うん」

 そういって彼女は、いつからそこに有るのか? 部屋の隅に山積みになっている通販の段ボウル箱を漁り出した。

 通販の支払いはどうしたのか? それにしても彼女の、とっても普通の女の子だ。僕を餌として生かして、そのうち食べるつもりとか、そんなのは馬鹿な妄想だと逆に思ってしまう程に。


 しばらくして、彼女はタンクトップにデニムのショートパンツ姿になってこちらに向き、微笑んだ。ややはにかみながらも、得意げに。

「どう? こういうのも似合うでしょ?」

 とても女の子らしく、そして些か子供っぽくもあり、こっちが恥ずかしくもなる。

「あの、とても、か、可愛いよ」

 僕等は何をしているのだろうか?


「あ、そうそう、お前、なにか食べる物、作ってあげようか?」

 通販の段ボウルの箱からいくらでも出てくる洋服を、あれこれと物色する手を止めて、彼女は言った。

「えええっ!」

「お前、お腹空いているんじゃないかしら? ずっと寝ていたし」

「嘘っ! あれ? 料理なんて出来るの? まじでっ!」

「ふんっ、失礼ね。なんだって出来るわよ。PCとネット環境があれば、どんな情報も手に入るのよ。ちなみに、お前が寝ていた三日三晩、私はお前を看護していたのよ。治療も食事も、なにもかも」

「嘘ーっ!?」

 というか、三日三晩! 72時間も寝続けていたのか? 僕は──。

「フフッ、便利なところなのね、ここは。なんでもネットで手に入るわ」

 と言って、彼女は僕の部屋の申し訳程度のキッチンへ、すたすたと行く。

 

 その後ろ姿からは、とても僕の左腕を食い千切って食べた怪物だなんて想像もできない。

 それこそ夢だったのではと──、いや、或いは今のコレが全て夢で、そのうちまた覚めてしまうのだろうか?


 優しく、愛らしく、逆に不自然な程普通の女の子らしくなった彼女。これはまるで、僕の都合の良い夢のようで、そもそも彼女の出自やらはまだ謎なのに──、

 

 が、もうどうでもいい。とにかく、彼女がご飯を作ってくれるのだ。それを堪能してから、考えても遅くはないだろう。


 どうか夢よ、せめて彼女がご飯を作り終えるまでは、覚めないでくれ。


 僕は、そう祈るばかりだった。



 


 

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