3.捕食

 

 食は本能的欲求であると同時に、人類の究極の快楽とも言われる。それは、食欲が睡眠や排泄など生命維持のための根源的な欲求でありながらも、それを満たし、たとえ満腹になったとしても、フルコースの最後のデザートのように、甘い物は別腹、さらに食べることを望むからだ。

  事実、古代ローマ帝国の貴族たちは宴会で世界中の珍味や酒を豪勢に並べ、食べ続け、そして満腹になると喉を突いて嘔吐し、また食べたという。食という快楽に溺れたのだ。


 捕食は空腹時における本能的な欲求だ。でもまさか人間が、現代人が、野生の猛獣のように小動物を食べるなんて、普通は信じられない。


「あり得ない──」

 彼女にとってそれは快楽なのか!? もし本当なら、常軌を逸している。

「まさか、ハムスターを殺したの? うそでしょ?」

「フフ、ククククッ、腹が減ったと言ったわ。動物が獲物を狩り捕食するのは本能なんでしょ?」

「嘘! 食べたの? まさか?! 嘘でしょ? ほんとに!?」

「お前には理解できないかも知れない。見えるの、光りが。生命の輝き。生き物が生き物を捕食するさま、その美しさ」

「なっ、なに言ってるの! あり得ないよ?!」

 信じられない、からかっているのか? 彼女は満足気に、ひどく微笑んでいた。

「噛みくだく瞬間の、断末魔? その感触、精神の光り、魂のオーラのような──」

 彼女は陶酔するかのように、目を閉じ、そして祈るように呟いた。

 本当に本当だとしたら──、

「頭がおかしいっ! なんてこと、マジで怒るよっ!」

 と声を荒げたが、すると彼女は目を開け──

「お前、ごめんなさい。お前にとって大切な鼠だったの? でも私には抑えられない衝動がある。力がある。お前には悪気はない。命をもらったのは、ごめんなさい」

 今度は本当に申し訳なさそうな、悲しい眼差しで訴える彼女。

「なっ」

 命をもらった?

「い、一体、なんなんだ──」

 彼女は病気なのか? 精神を病んでいるのか!? すぐさまそういう考えが頭に浮かんだ。いやむしろ、最早そうとしか思えない。ただ、彼女が本当に申し訳なく思っているのは、嘘ではないようにも感じた。それがさらに不気味に思えた。

 

 しばらく黙って彼女を見つめた。


 不意に、舌なめずりをして見せた彼女。


 それを見た刹那、僕は言いようのない、抑えられない情動に駆られ、彼女を抱き上げ、乱暴にベッドに押し倒し、そして抱いた。

 

 昨夜とは違って、ひどく手荒く、激しく彼女を求め貪った。


 何故そんな乱暴な性的衝動に駆られたのか、自分でもよく分からなかった。僕もおかしくなってしまったのかもしれない。

 

 彼女はなんの抵抗もなくなすが儘になっていた。寧ろ、それを望むかのように激しい情動を受け入れた。何度も何度も、果てることのない欲望の権化そのもののように、僕は彼女を責めた。


 怒りや憤りが欲望と綯交ぜになって、訳の分からない心境で、それを彼女にそのままぶつけたのだ。


 そしてことが終わり、ただボーっと、自分の、特になにも無い、生活に必要な物がただありきたりに置かれているだけの、薄暗い部屋を眺めていた。


 彼女は僕に背を向け、うずくまるようにして寝ていた。

 狭いシングルベッドなので、二人の人間が普通に仰向けに寝たとしても密着する。左腕に、彼女の白く薄い背中越しの息遣いが伝わる。彼女の奇行に対する怒りも困惑もあるが、それ以上に、それを口実に彼女をひどく手荒く扱い、情動をぶちまけた自分にも嫌気がさした。

 

 雨のしずくが窓を叩いていた。外は激しい雨が降っていた。

 

 流石に裸では寒い。僕は彼女にタオルケットをかけた。

 

「君は一体何者なんだ──」

「ルイーズ・シャーク」

「え!?」

 ただ呟いただけだった。が、不意に返事をした彼女に驚いた。てっきり眠っているとばかり思っていた。

「私の名前、ルイーズ・シャーク」

 外国人──。だけど、いまさら名前を聞いても、なんのイメージも湧かない。でも、なんでこんなに日本語が堪能なの?

「外国の、人なんだ。日本に住んでいるの? 留学生なの?」

「学生であることは間違いない。欧州よ」

「どうして日本に? 親の仕事の都合とかで?」

「父親は欧州の物理学者。その娘よ」

「え? 物理学者?」

 全く予想もしていなかった、妙な答えが返ってきた。

「それにしても、君、日本語が上手だね。ずっと住んでいたみたいに。それこそ生まれた時から」

 彼女は少し黙ってから、

「日本語は覚えた。昨日」

 と言った。また訳の分からないことを言いだしたと思った。そう思った瞬間、彼女の言うことがすべて嘘のような気がしてきたので、僕は質問するのをやめて黙ってしまった。

 が、彼女は言葉を続けた。

「彼女の父は、欧州の素粒子物理学研究所で働いていた、大学の教授」

「え?」

 はあ? でも、そんなことよりも──、

「彼女の父のチームは有名で、かのルーカス職の学者と共に研究をしていたのよ」

 僕は話半分で聞いていた。

「ルーカス職? なんだそりゃ? ジョージ・ルーカス? ジェダイの騎士的な?」

「ふっ、言うと思った。お前、馬鹿だから。ルーカス職はハリウッド映画のスター・ウォーズとは関係がない。ルーカス教授職。英国ケンブリッジ大学の理数系の、最も名誉ある教授職。馬鹿なお前とは対極の人間」

 なに? 何故? 今更つらつらとそんなことを──

「あっそ、すいませんね、馬鹿で。単なるジョークだよ」

 というか、ジェダイの騎士で映画「スター・ウォーズ」がすぐさま出てくるとは、案外色んなことを知っているのだなと、余計な考えが浮かんだ。しかし、だからと言ってどうということもなく、それもこれも意味不明だ。

「ちなみに彼女は、大学で学んでいた」

「大学生なの? 飛び級なの?」

「お前よりはるかに頭脳明晰で、利口だった」

「そりゃ申し訳ありませんね。僕も大学生──」

 だった。ついこのあいだまで。

「ていうか、何故自分のことを彼女って、三人称で呼ぶの? それに過去形だし」

「フフ、馬鹿なお前でも、気がついたか? そうね、つまり過去だから。彼女の記憶の断片から調べてみた」

「はあ?」

「私が彼女だった時の記憶の名残り。今の私は彼女だが、正確には彼女ではない」

 なっ、何を言ってるの!? 呆れ返ってしまった。もうここまでいくと嘘まじりというよりは、支離滅裂、妄想癖なのだろうか? 病んでいる!

「一体、何のこと言ってるの? 君は、記憶喪失なの?」

「フフッ、そういうことにしておく。もうこの話はおしまい」

「おい」

「わたし、眠たくなってきた。寝る」

 と言って、彼女はタオルケットにくるまった。


 結局彼女は、夜遅くまで起きなかったのだった。雨は夜中までずっと降っていた。


 今日、僕と彼女はただコンビニ弁当を食べて、セックスして、そして寝た。それだけだった。彼女が寝ている間、部屋中をあちこち捜索したが、結局ハム次郎は見つからなかなった。僕は探すのに疲れ、彼女の食べかけの弁当を食べて片付けた。

 

 ハム次郎は、本当に彼女が食べてしまったのだろうか。


 まさか──。

 

 食は究極の快楽といわれるが、性欲もまた然りか? と感じた。人間は生物としての生殖行動以外にも、感情の高ぶりによりソレを求める。いくらでも、いくらでも。


 彼女が自分のことをルイーズ・シャークと名乗ったこと、そしてインターネットで何かをしきりと検索していたことを思い出し、出鱈目かもしれないけど、一応調べてみようと思い立った。


 そもそも、彼女は何の為にここに来たのだ? 或いは何故アパートの階段の下で、全裸でいたのだ? 物理学者の娘? それが何故こんなところに? 名前や素性を知ったところで、まだ何も判然としない。名前や欧州の物理学者の娘がどうのこうの、たとえそれらが本当だとしても、謎は謎のまま。何一つ合点がいかない。


 僕はパソコンに向かい、試しにルイーズ・シャークと打ち込み検索してみた。すると、やはり何もヒットしない。しかし、シャーク教授というワードと、それに関連し「欧州素粒子物理学研究所で事故」のニュース記事を見つけた。世界最大級の衝突型円形加速器がある研究所。そこで大変な事故があったらしい。

 もう一週間近く前の出来事だった。バイト先でのごたごたで参っていた頃で、世間のニュースも全く頭に入っていなかったのだ。

 大規模な爆発と火災、テロの可能性等の記事もあった。消防や警察の出動、それに軍隊まで動員して事態を収拾したらしい。


 シャーク教授という物理学者は本当に存在し、そして彼は事故の犠牲者で、死亡となっていた。


 彼女の言うことは、本当の事?


 そして、調べているうちに「施設見学中のシャーク教授家族、事故に巻き込まれる」との記事と共に、娘ルイーズ・シャーク、死亡とあった。


 死亡──?


 彼女、この名前を騙っただけの嘘なのだろうか?


 しかし、検索を続けているうちに、やや信憑性には欠けるものの、様々な陰謀論的まとめ記事等が、山のように出てきたのだった。


 事故隠蔽、情報操作、テロ等の記事に混ざって、危険な実験、ブラックホール出現、地球破壊の危機や、異次元の扉が開いたなど超自然的なものまであった。軍隊の出動は、異世界から出現したモンスターを駆除するためだとか。些かオカルトに過ぎるが、その陰謀論的まとめサイトに掲載されていたシャーク教授一家の写真を見て──、僕はぎょっとした。

 

 シャーク教授と思しき男性と妻と思しき女性、その真ん中で微笑んでいるルイーズ・シャークと思しき少女。優しく微笑む美しい少女。その容貌、それが今ベッドでタオルケットにくるまり寝ている彼女と、瓜二つ。そのままの彼女だった!


 そんな馬鹿な──、まさか彼女は──、これはどういう事なんだ!


 困惑した。似ているだけか? いやそんなレベルではない。がしかし、何故ここにいる? 僕はスウスウと寝息をたてている彼女を見た。


 まとめ記事の書き込みでは、異世界の扉が開き、この世界に侵入したモンスターは8体。うち1体は駆除に成功し、残りのモンスターは行方不明。とあった。


 

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