第七章 | 昭和四十三年九月 | 幸治

 明け方の薄明かりの部屋で、こんなふうに雄介と向かい合うのは久しぶりだった。高邁な理想と安価な酒に酔った雄介が上気した顔で熱弁を振るい、部屋がぼんやりと白む頃には、二人して革命の成功を夢想して肩を叩き合っていた。今正面に座る雄介は、無精髭を伸ばし憔悴した顔をしてはいるけれど、目だけはあの頃と変わらず生き生きと輝いていて、それがなぜか幸治に安堵と同時に不安をもたらしていた。

「すまなかったな、こんな時間に」

 さして悪びれた様子もなく、雄介がつぶやくように話し出した。

「それと、二週間近く連絡もなくすまなかった。実は、次の手を打つために、方々根回しをしていたんだ。大学はもう駄目だ。どんなに理論立った主張でも、所詮エリートの子供じみた我が儘としか扱われない」

 茶碗の水を飲み干して、幸治に向き直る。

「お前、成田空港建設をどう思う?」


 今まさに苛烈を極めている話題が雄介の口から出たことで、幸治はさっきから自分を苛んでいた不安の正体が見えた気がした。

「俺は、今成田で起こっているこの闘争が、今後の日本を左右する重要な革命運動だと思っている。この闘争は農民にとって焦眉の問題だ。ここで国家権力に屈するわけにいかない。武力行使を厭う暇はないんだ。これに勝利すれば、必ず全国の有志が立ち上がり、革命が正義となる。俺たちの理想が俄然現実味を帯びてくるんだよ」

 季節はずれの蝉が、弱々しく鳴きながら早朝の窓ガラスにぶつかる。それを横目で見やって、雄介は話を続けた。

「幸治、俺な、地下に潜ることにしたよ」

 その意味するところを読み取って、幸治は眉間に皺を寄せた。具体的な活動内容はわからなかったが、それが非合法な政治活動や社会運動を意味する以上、今後雄介と簡単に会うことは叶わない。

「この一週間、成田のデモにも参加して、その根回しをしてたんだ。俺は革命家として生きていく」

 縁の欠けた茶碗を見つめながら、幸治は雄介の生き様と自分のそれを重ねてみた。

 革命も理想郷も、自分には遠い世界のようで現実感がない。だが、これだけは間違いようがない。俺は雄介と離れることはできない。離れてはいけない。


「雄介、俺も……」

「お前に頼みがあるんだ。是が非でも聞いてほしい」

幸治の決意を遮って、雄介は一方的にそう切り出した。

「来年、俺は父親になる。母親は駅前の定食屋で働いている律子という女だ。郷里が同じで、そんな話から深い仲になった。気立ての良いさばさばとした女なんだ。遊び半分じゃない。生まれてくる子とともに、将来を築きたいとも思ってる。でも、俺は、俺の信念をどうしても捨てられない。今成し遂げなければらないことを、みすみす諦めることはできないんだ」

 一気にまくしたてられた唐突の告白に、幸治は返す言葉もなく、茫然と雄介を見返すだけだった。

「成田のセクトに参画することも、彼女に伝えたよ。納得はしていないだろうが、反対もしなかった。ただ小さく頷き返しただけだ。だがな、実は彼女の兄貴が機動隊に所属していて、俺たちの仲を反対している。ちょうどこの前の西門での小競り合いのときに、その兄貴が前線にいるのを見かけて、それでお前に声をかけようと思ったんだが、強行突破に踏み切られてしまった」

 怒気が露わだった男の眼差しを思い出す。同時に、日盛りの往来から苛立つように雄介の部屋を見上げていた眼差しも。

 今思い返すと、あの日、挑むような男の表情に対して、女の表情にはどこか覚悟を決めたような風情が漂っていた。きっとあれは血気に逸る兄に圧されて、女が雄介の部屋まで案内してきたところだったのだろう。

「その兄貴の言い分もわかる。真っ当な職に就いて家族を養うのが筋だと言うのも当然だ。それでも、俺は、俺の信じる正義を最後まで全うしたい。今が正念場なんだ。日本を変えてやるなんて大それたことを言うつもりはない。ただ、生まれてくる子のためにも、より良い社会を作りたい。その一端を担いたい。それが俺の本望なんだ」

 いつの間にか差し込んできた朝日が、それまでぼんやりと薄闇に沈んでいた輪郭を鮮明に浮かび上がらせる。同時に、憔悴した雄介の顔も、疲労の陰を濃くしたように見えた。

「お前に、折り入って頼みがある。俺に、俺にもしものことがあったら、少しでいい、律子と子どもを気にかけてくれないか。俺の子に、俺たちの生きた証を伝えてほしいんだ。俺たちが確かにここで懸命に生きていたことを。身勝手な頼みだとわかっている。でも、他に頼める奴なんかいないんだ。頼むよ、幸治。子どもに、親父は己の信念を燃やして闘ったと、そして、お前もどんなときでも揺らぐことのない信念を持ってほしいと、熱く生きろと言っていたと伝えてくれ」

 反論も同意もできないまま、幸治は黙って雄介を見つめていた。ただ、雄介はもう一人で行くことを決めてしまったのだという孤独感だけが、幸治の胸に暗く影を落としていた。

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