第五章 | 昭和四十三年九月 | 幸治

 雄介の消息が掴めないまま一週間が過ぎた。根城にしていた下宿に入ってくる情報も日ごとに減り、徒労だけを持ち帰る日々が続いていたが、それでも幸治はここに足を運ばずにはいられなかった。

 かつては噎せるような活気の中をアジビラが舞い、青臭い理想論が飛び交っていたこの部屋も、この数日ですっかり様子が変わってしまった。持て余した若さを発散するためだけにここに来ていた者たちは早々に離脱し、そうでない者たちも次の目標を見つけられず、行き場を失っていた。あの日バリケードとともに崩壊した結束力は、風通しの悪い下宿に漂う煙草の煙と同じく、人いきれの中で宙に浮いたままだ。

 仲間のひとりに雄介の行方を聞いてみたが、相変わらず答えは同じだ。「検挙されてねぇんだろ、じゃあどっかに隠れてるんだろうよ。当局に目ぇつけられてたからな。お前もそこそこ面が割れてるんだから、あんまり大っぴらに出歩かないほうがいいぜ」

 未だ行方が知れないことへの焦燥は募るばかりだが、仲間たちの回答は確かに雄介が生きていることを示唆していて、それが幸治の溜飲を下げる唯一の慰めとなっていた。


 帰り道、危険を承知で、幸治は雄介のアパートに寄ってみることにした。警察にも住所を知られている雄介が、まさか帰宅しているとは思えないが、幸治には他に思いつく場所が見当たらなかった。

 日盛りの坂道を顔を伏せて上る。こめかみから噴出す汗が、顎を伝ってアスファルトに滴り落ちる。アパートが見える曲がり角から慎重に辺りを窺うと、通りから二階の雄介の部屋を見上げている男女に気がついた。決して長身とは言えないが見事に鍛え上げた体躯の男が、女を庇うようにして、挑むように二階の窓を睨みつけている。その表情に見覚えがあって、幸治は曲がり角から数歩足を踏み出した。と同時に、男も幸治に気づき振り返る。

「おい」

 目が合って瞬時に気づいた。一週間前の小競り合いで幸治に頭突きを食らわせてきた、あの若い機動隊員だ。女に何事か告げ、こちらへ向かってくる。幸治は後ずさりしながら、もと来た坂道を駆け下りていった。男が何か叫んだが、自分の鼓動と靴音にかき消されて、なんと言ったのか聞き取れなかった。


 それからの数日を幸治は自分の下宿で過ごした。自分が想像しているよりも警察は闘争の終結に本腰を入れているのかもしれず、雄介のことは気がかりだったが、今は身を潜めているのが得策だろう。数日前の雄介の下宿前での光景が蘇る。やはり雄介は、重要人物として警察にマークされていた。でも、なぜだろう、あの機動隊員の挑みかかるような眼差しが、警察官の使命を超えて憎悪に近いものを孕んでいるように思えて、それが幸治の記憶に引っかかっていた。それに、あいつは制服を着ていなかった。目立たないための配慮であれば、なぜ往来から窓を見上げるようなことをしていたのだろう。一緒にいた女もやはり警察関係者なのだろうか……。

 そんなことを考え出すと、あり得ないとは思いながら、あの男と話をすれば良かったと思えてくる。雄介の消息を知るのにも、警察の情報はこの上なく有難い。とは言え、あいつは簡単に口を割る男じゃないだろうな、そう一人ごちて、幸治は殺風景な部屋の煎餅布団の上で寝返りを打った。近頃ではさすがに夜は気温が下がって、寝苦しくはない。


 深夜というより明け方だろうか、幸治は耳慣れない物音で目を覚ました。薄く開けた廊下側の窓を押し開く音。飛び起きると、通路の蛍光灯に逆光で映し出された男が、背丈より高い窓をよじ登り、部屋の中に入ろうとしているのが見える。

「誰だ」

 咄嗟に声を潜めたのは、その侵入者がずっと探していた人物だと気づいたからだった。

「俺だよ、雄介だ。すまない。ちょっと話があってな」

 台所に降り立った雄介は、神妙な面持ちで、幸治の戸惑った顔を覗き込んだ。

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