第三章 | 昭和四十三年九月 | 幸治

 機動隊との衝突は初めてではない。これまでも何度か小競り合いの衝突があり、そのたびに多少の負傷者や検挙者を出してはいたが、それらは概ね、学生相手に武力行使できない機動隊側の威嚇といった程度のものであった。怒号を纏いゲバ棒で武装する学生に対して、重装備とはいえ金属製の装備を持たない機動隊は、応戦一方の構えであるのが常であったが、今回の攻防は今までとは様子が違っていた。

 前線にいた幸治は必死で後方の雄介の姿を探したが、殺気立ったヘルメットの黒い波に押し戻され、身動きが取れない。羽交い絞めにされた右肩を振りほどいて前方を振り返ると、同い歳くらいの若い機動隊員と目が合った。餓鬼が、いきがんなよ、そう言って睨みつけてきた機動隊員の目は怒気が露わで、思わず怯んだ瞬間に下顎に頭突きを食らわされる。目の前が一瞬真っ暗になり、鉄錆の匂いが口の中に広がった。よろけながらも、沸々と湧き出る怒りに任せ、ゲバ棒を盾に前方の機動隊員をなぎ払う。そうしながら、幸治はなぜか敗北を予感して、誰も救えない無力感に苛まれていくのだった。


 去年の春、幸治は、雄介の誘いを受けてこの闘争に参加した。滔々と思想を説いて共闘を謳う他の勧誘者と違って、雄介は独特のビジョンを持って革命の必然性と正義を訴えた。熱弁をふるっていながらもどこか飄々としていて、決して他人の思考を捻じ曲げるようなことをしない雄介が、学生たちの中で一目置かれるような存在になるのに、それほど時間はかからなかった。それと同時に、大学側からも機動隊側からも目をつけられることにもなったのだが、幸治が雄介を守ることを自分の使命だと感じるようになったのは、決して革命の旗印を守るという類のものではなく、どこか運命にも似たものが雄介を失うなと告げているからだった。


 じわじわと隊列が後退する。怒声は悪態に、気勢はうめき声に変わって、膠着の隙間を広げる。負傷者が抜けて歪になった隊列は、もはや統制された鎮圧部隊に抵抗する力もない。

 革命だけが歴史を変えることができると本気で思っていた。若さはそれを成し遂げるために与えられた力だと信じていた。傷つくことも傷つけることも、勝利の前では些細な犠牲だった。たとえそれが心に負った傷であっても。

 無垢な血気を書き連ねたアジ看はなぎ倒され、気高い主張を積み上げたバリケードは瓦解する。撤退の悲痛な叫びとともに、助けきれなかった仲間たちを置き去りにして、幸治たちは残骸と化した西門に背を向けて走り出した。目も眩むような生々しい残像が次から次へと頭の中で映写されては、古いフィルムのように焼き切れていく。


 根城にしている下宿に雄介の姿はなかった。仲間たちに聞いて回ったが行方を知っている者はいない。機動隊に捕まったのだろうか。すぐにでも確かめたかったが、怪我を負い憔悴しきった体で無闇に動き回るのは危険だ。明日になって情報が増えるのを待つことにする。

 横になっている負傷者を避けて、幸治は壁にもたれて目を閉じた。瞬きを忘れて乾ききった眼球がまぶたを圧迫する。淀んだ熱気が沈殿した下宿は、血と汗のにおいに混じって、時折誰かが悔し涙を啜る声が聞こえる。募る焦燥感を持て余し、浅い眠りを繰り返して朝を迎えた。

 検挙者を知らせる一報が届いたが、そのなかに雄介の名前はなかった。

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