第二章 | 平成十四年四月 | 雄太郎

 駅員室の硬いパイプ椅子に座らされ、雄太郎は事情聴取を受けた。幸いにもタックルされた男に怪我はなく、服が少し汚れてしまった程度で済んだ。だが、当然ながら男は激昂し、理由を問い詰めてきた。

「学生時代の部活の先輩と勘違いしました。悪ふざけのつもりでタックルしたが、人違いでした」

 咄嗟に思いついた言い訳は、さすがに自分でも苦しいと思ったが、駅員は意外と容易く信じてくれたようだった。それは曲がりなりにも、雄太郎がネクタイを締めたビジネススーツ姿だったのに比べ、タックルされた男が、この肌寒い夜に半袖のシャツ一枚で、しかも明るいところで見ると、隆起した両肩から腕に掛けて、タトゥーが透けて見えていたことも、無関係ではないだろう。

「単なる人違いだったってことだし、この人も謝ってるんで、警察には届けなくてもいいですよね?」

 明らかに雄太郎の肩を持つような駅員の言葉に、男は不快そうに眉を顰め、雄太郎を睨んだ。肉体労働を想起させる分厚い体と、無精髭に覆われた頬の傷が、威圧さと気難しさを感じさせるが、睨みを効かせた表情は、思いのほか険のない顔立ちで、見かけよりも優しい人なのではないかと雄太郎は思った。

「洋服のクリーニング代、お支払いします。あと終電もなくなってしまったんで、ご自宅までのタクシー代も。本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」

 雄太郎は男に何度目かの謝罪を述べて、深々と頭を下げた。自分でも説明ができない、不可解な行動の引き金になったのは、確かにこの男の横顔のはずだった。だが、だからと言って、彼に非があるわけではない。悪いのは自分だ。

「ラグビー部?」と男が不機嫌そうに言った。

「はい?」

「さっき部活の先輩って言ったろ? 部活って、ラグビー部?」

「はい。そうです」

「だと思ったよ。タックル、強烈だったしな」

「すみません……」

「ったく」

 男はそう言って、頬の傷を撫でた。それから大きくため息をついて、「ま、もういっか」とつぶやき、立ち上がった。

「名刺くれよ。クリーニングとタクシー代の請求書送るから。あとさ、もし本当の先輩見かけても、いきなりタックルなんかすんじゃねえぞ。死ぬほど驚いたぜ」

 そう言って、男は少しだけ笑顔らしきものを見せた。

「本当にすみませんでした」

 もう一度改めて頭を下げながら、雄太郎は頭の片隅で、閃光が走るのを感じた。やっぱりこの男の何かが、雄太郎の記憶をくすぐるのだ。ホームで感じた激情が蘇る。そしてあの、止むに止まれぬ衝動を思い出す。

 何だろう、この気持ちは。誰だろう、この人は。

 頭を下げたまま、雄太郎は固く目を閉じた。

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