第64話 蜘蛛の糸







「ど、どうだ? ネクタイの色合ってるか? 」


「ダーリン大丈夫よ。企業の面接に行く人みたいに見えてるわ」


「キマッてるわよコウ! イケメンは何を着ても似合うわね」


「光希がスーツを着るのは桜島の時のテレビ出演以来ですね。素敵ですよ」


「なあなあ蘭、旦那さまはなんであんなに緊張してんだ? カチコチだぞ? 」


「セルちゃん、主様はこの国の皇帝に謁見するそうです。リンデール王国の王様と会った時は平然としてたのに蘭も不思議です」


「アホっ! 陛下とあのクズ王を一緒にするな! 日本人なら緊張して当たり前の存在なんだよ」


参った……総理に前々から陛下が一言御礼を言いたいと言っていると聞いてはいたが、俺は畏れ多いと断っていたんだがとうとう断りきれなくなってしまった。

陛下が大島まで来たいと言っているとか言われたら断るのなんて無理だろ。

はあ〜、高貴な存在と言われる者たちには過去に何度も会ったが、俺の日本人としての血が陛下は別格だと言っている。


「そうよね。私も陛下との謁見なんて畏れ多くて逃げたくなるわ」


「一生を掛けて祭祀を通し国民の幸せを祈ってくださっている陛下とお会いできるのは、日本人としてとても光栄なことですからね」


「皇帝なのに一生祈ってんのか!? 国民のためにだけに!? それはすごいな! 」


「だろ? 私欲などなく生まれてから死ぬまで民のために祈り続ける方なんだ。あ〜どうしたら……言葉づかいに自信ねーよ……へ、陛下にあらせまして……は……えーと……」


やべぇ! アマテラス様相手より緊張する!


「あはは! ダーリン頑張って! 」


「光希、くれぐれも失礼の無いようにお願いしますね。たとえ世界が違っていても陛下は陛下ですので」


「ぐっ……が、頑張る……じゃあ行ってくるよ」


「「「「「いってらっしゃーい! 」」」」」


俺は夏海にハードルを上げられて怯みながらも、恋人たちに見送られ首相官邸へと転移した。

官邸では総理が正装で待ち構えており、俺はあれよあれよと車に乗せられ皇居へと向かった。

それから皇居の中に入り通されたところはだだっ広い空間で、そこには障子が張られた窓と4脚の椅子にテーブル。そして花が活けられた花瓶が一つだけ飾ってある部屋だった。

ここが外国の首脳とかと陛下がよく話す部屋か……写真でしか見たことが無かったけど実にシンプルでリラックスできる造りになっているな。俺は緊張しまくりだけど。


そして俺と総理がその部屋に入ると、そこには60代後半ほどの白髪の痩せ細った男性が立って待っていた。

俺はその男性を一目見た時に陛下だとすぐ分かった。その御身からはアマテラス様と同じ神気のようなものを発していたからだ。

やはり陛下はアマテラス様の……


俺は陛下の穏やかな表情でありながらその身から溢れ出る神気に圧倒され、勧められるがままに椅子へと座った。


そこからは緊張しながらもなんとか話をすることができた。

話の内容としてはまず俺が明らかに絶食したような陛下の身体を気遣うと、総理が陛下は俺たちがこの世界に来るまでの二年間、皇后様や皇太子殿下と共に食事を制限されていたと言っていた。

俺は前にも聞いていて不思議に思っていたのでそれはなぜなのか陛下に聞いてみた。すると陛下は、民が飢えている時にどうして私たちだけ食べられましょうかと当たり前のように言っていた。


俺はその言葉に学生の頃に勉強した、確か日本書紀だったと思う。仁徳天皇の「民のかまど」という話を思い出した。その話は難波高津宮から遠くの家々を見た仁徳天皇が、民の竈より煙が出ていない様子を見て貧しくて炊くものがないのではないかと、都がこうなら地方はさぞかし酷い有り様なのではないかと向こう三年間の税を免除したという話だった。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍んでいたという。


俺はなぜ天皇陛下が国民から尊敬される存在なのかがこの日初めてわかった気がした。


その陛下が俺なんかに国民を救っていただきありがとうございました。と感謝の言葉を言ってくれたのだ。

俺はその国民を第一に考える姿に、ただただ頭を下げることしかできなかった。


その後も陛下とは色々な話をした。皇后様が病にて床に伏していること。日本以外の国の民のことも憂いていることなども話していた。

俺は陛下にこのような世界になった今、日本国民をとにかく救うのが最優先ではないかと、強い国になれなかったその国の民は滅ぶのが自然の摂理ではないでしょうかと問いかけた。

そんな俺の質問に陛下はゆっくりと首を左右に振り、日本国の民の幸せを第一に願っていると。ただ、あの方舟は蜘蛛の糸なのだとおっしゃられた。


蜘蛛の糸……芥川龍之介の小説だったか? 昔お袋が児童用のものを読み聞かせてくれたな。確か自分が犯した罪を顧みることなく死んでしまった大盗賊が地獄でそのことに苦悩していたら、仏陀が現れ彼の苦悩を憐れに思い一本の細い糸を垂らした。大盗賊はその糸を登り現世へ戻ろうとするが、後ろから地獄の亡者たちが大盗賊と同じように糸を登りた。大盗賊は糸が切れては堪らないと亡者どもを蹴り落としたが、突然糸が切れて地獄へと戻らされたという話だったな。


俺はその物語を思い出し、陛下が何を言いたいのかがわかった。

日本だけが救われてはならないのだと。それは神が俺という蜘蛛の糸を遣わした本意ではないのだと。だから陛下はまずは皇室として親交が厚いアラブ神国と連合を組めるよう尽力されていた。


俺は悩んだ。アマテラス様は皇室さえ無事であればいいとは言っていた。しかし本当にそうなのか? 蜘蛛の糸のような話は世界各国に似たような話がある。それは過去にそれぞれの神が人間に対して行った教えなのかもしれない。

もしかして俺はアマテラス様に試されている? ここで日本と数ヶ国だけ救っただけではアマテラス様の本当の願いに応えたことにはならない? それか、救う過程を見られているとかか? 全力で動いて日本とインド、アラブ神国に新生オーストラリアしか救えないならいいが、余力があるのに他の国を見捨てたら駄目だとか?

陛下を見ていたらそのどれもあり得る気がしてきた。


しかしあのロシアや裏切り者の南朝鮮に分裂した中華国を救い、その国と方舟で協力して生きるのか? その他の米国や欧州とも? 将来必ず日本の脅威になるとしか思えない。

俺は陛下のお言葉に対して微妙な顔をしていたんだと思う。それでも陛下はその真っ直ぐなとても澄んだ目で俺をじっと見つめていた。


俺は俺のやり方で、できる限りのことをすると言わざるを得なかった……


もうね、人としての階級みたいなのが違うんよ。さすが毎日自分のためにではなく、民のために祈りを捧げているお方だ。アトランの腐れ神官どもとは大違いだよ。

この時俺は何故か陛下の言う通りにすれば、この俺の汚れきった魂が少しは救われるような気がした。


俺の返事を聞いた陛下は優しい笑顔を一瞬浮かべ、深々と俺に頭を下げようとしたが、俺と総理は必死で止めたよ。

それからは俺が陛下に霊薬と上級ポーションを5つずつ渡して、皇后様に一つずつ飲ませて欲しいとお願いした。宮内庁の人が怪訝な表情をしたので俺はピチピチュの実を10個取り出しそれも渡し、新たに出した3つを無理矢理総理の口に入れて食べさせた。


総理はみるみるうちに30代にまで若返り、それを見た陛下も宮内庁の人もびっくりしていた。

そこで渡した霊薬を飲めばどんな病もたちどころに良くなり、ポーションを飲めば直ぐに立って歩けるようになると説明したら信じてもらえた。

陛下と皇后様には長生きをしていただきたいので、ピチピチュの実を食べることもお願いした。

総理は手鏡で自分の顔を見て震えて固まっており、それからはまったく役に立たなかった。


その後は別室にいた皇族の方々を紹介され、お土産の入ったアイテムバッグを渡して陛下をはじめ皇族の方々に見送られながら皇居を出た。

陛下にはピチピチュの実をすぐに食べてもらうようお願いしてあるから大丈夫だと思うが、一応念のため帰り際に宮内庁の職員を脅しておいた。物が物なだけに魔が刺されても困るからね。




「ふぅ〜 凄く疲れましたよ……総理? いつまで鏡を見てるんですか? それにしても30代の総理はまさに戦士って感じですね。Bランク目指してみます? 」


「……佐藤さん。いきなり何をするかと思えばなんて事を……こんなことが本当に……女房にどんな顔をして顔を合わせればいいのか……いや、官邸の職員に誰? とか言われそうで……」


「ああ、奥さんがいましたね。じゃあこれ。奥さんにも食べさせてください。これで30代夫婦ですね」


「え? えええ!? こ、これは貴重なものではないのですか!? それを陛下はともかくこんな簡単に……」


「貴重は貴重ですけど元の世界に戻った、3ヶ月ごとに五つ手に入るものなのでそれほどでもないですよ。ただ皆さんに配るほどは無いので、俺がこの世界に持ってきた最後の実を陛下と総理に譲ったとでも言っておいてください」


「さ、3ヶ月で……あ、ありがとうございます。もう……もうなんと御礼を言っていいのか……」


「総理には超長期政権で頑張ってもらわないといけませんからね。陛下をお守りしてください」


「は、はい! 必ず! 」


「それじゃあ俺はもうクタクタなのでここで失礼します。陛下がお望みの事はまた後日話し合いましょう」


俺はそう言って拠点へと転移をした。




「ただいま〜」


「あら? ダーリンお帰り。早かったわね」


「光希お帰りなさい。お疲れ様でした」


「コウ、お帰りなさい。疲れた顔をしてるわね。お風呂用意してくるわね」


「旦那さまお帰り! あたしもお風呂用意してくるよ! 今日はあたしの番だしな! 」


「主様、お帰りなさいませ。上着をお預かりします」


「ああ、ただいま。いや〜もう緊張しまくりでクタクタだよ」


俺が拠点に転移してテントの前にいたダークエルフたちやサキュバスたちに挨拶し、マリーたちのスイーツを試食しているイスラとニーチェを見ながらテントに入ると恋人たちがリビングで出迎えてくれた。


俺は上着とネクタイとを脱いで蘭に渡し、深夜に帰ってきたサラリーマンのようにソファに勢いよく座った。


「ダーリンは堅苦しいの苦手だもんね。そのうえ相手が雲上人じゃ仕方ないわね」


「陛下に失礼なことを言いませんでしたか? 気安く肩を叩いたりしてませんよね? 」


「するかっ! もうさ、アマテラス様と同じ雰囲気出していてそのうえなんて言うのかな……徳……そう徳の高いお方でさ、アマテラス様なら神様だしって思えるんだけど、人間であのオーラというか雰囲気出せるなんてな。俺がそういう雰囲気を感じ取りやすいってのもあると思うんだが、まあとにかく緊張したよ」


そう、生きながらに徳を重ねた方だからこそ畏敬の念が湧いたのだと思う。俺の心が邪なだけになおさらだな。陛下が神々しくて神に遣わされた俺が邪なのはこれ如何に……


「伊勢神宮では跪かないといけないような雰囲気を感じたけど、それと同じとか相当よね……」


「やはり陛下は尊きお方なのですね……」


「生きている人が神気を発していたということですか? 蘭はまだ神力を扱えないのに凄いです」


「う〜んあの力は意識して出してるんじゃ無いんだと思う。日々の祭祀を通して身に宿ったというかそんな感じの神気だと思う。蘭は神狐になったばかりだから使えなくて当たり前だよ」


蘭は神獣になったので神力というものをいずれ使えるようになるとエルフの言い伝えで聞いたが、なんせ最後の神狐が七千年前とかそんな昔だからどうやったら使えるようになるのかサッパリだ。とりあえずランクを上げて年数が経てば使えるだろうとは思っている。


「むむむ……蘭は早く使えるようになりたいです。きっと種族魔法の威力が上がるに違いありません」


「え!? 蘭ちゃんのあの魔法まだ威力上がる可能性があるの!? 」


「め、女神の護りで耐えられるかしら……」


「そ、そうだな。千年くらいしたらでいいんじゃないか? うん、そのくらい後の方が有り難みがあると思うぞ? 」


いらない……蘭に神力はいらない。俺じゃ制御できなくなりそうだから本当にいらない。

アトランにいる間に最上級結界魔法をもう少し粘って取りに行っておくべきだったかもしれない。


「コウ、お風呂用意できたわよ! 」


「旦那さま早く一緒に入ろ! 」


「ああ、 今行く。それじゃあひとっ風呂浴びてくるかな。今日は本当に疲れ……」


「マスター。光一様がお見えです。緊急だそうです」


俺がソファから立って風呂場に向かおうとした時、突然玄関が開いてマリーが光一が来たことを告げた。


「緊急? まさか!? 」


俺はまさかまさかと玄関へと走り出した。

光一の訓練はまだ二日残っていたはずだ。それを途中で切り上げてくるような事態が起こったのなら……いや、光一には上級ポーションをかなりの数渡してある。きっとなにかトラブルが起こったんだろう。


俺がテントを出るとそこには拠点にいる皆に囲まれ生気を失った顔をしたボロボロの姿の光一と、その隣で泣き崩れている神崎がいた。


そしてその二人の視線の先には、ソファの上に寝かされピクリとも動かない血だらけの夏美の姿が見えたのだった……







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