第14話:学生達との新年会
しばらくして、2006年を終えて、2007年を迎えつと急激に豪ドルが高くなり100円を超えて上昇した。3月に入り、 マグニチュード6.9、震度6強の能登半島地震、輪島で死亡1名、傷350名以上、損壊2400戸以上、小津波、余震でも震度5弱(2-3回)、この年の夏は酷暑で死者、不明者66、負傷者5300名余、猛暑による熱中症被害相次いだ。
2007年7月13日以降、台風4号が7月上陸台風としては戦後最強・945hpa。7月14日から16日は台風の通過に伴い西日本から東北南部の太平洋側の広い範囲で大雨となった。また、16日から17日にかけては、近畿地方で局地的な大雨があった。7月1日から17日までの総雨量は、沖縄地方と九州地方から東北地方の太平洋側を中心に7月の月間平均雨量の2倍を超え、宮崎県えびの市えびので1,107mmが観測されるなど各地で記録的な大雨となった。
その3日後の7月16日に新潟県中越沖地震が起きてマグニチュード6.8、震度6強、柏崎及び周辺で死者、不明者15名、負傷者2300名余り 全半壊7000余、余震でも震度6弱、小津波。 柏崎原発で関連施設に複数の被害が生じ注目されたが大事故には至らなかった。8月も茨城県沖でマグニーチュード7水戸で震度5弱だった。特に新潟中越沖地震ではNPO橫浜国際救助隊が横浜市内の食品卸、食品製造企業に賞味期限が近い商品を格安にて譲受けトラック1台と8人乗りのハイエース1台の合計2台で食料品を送った。横浜にもどってきて募金活動を積極的に行い現地の役所に送った。ただ、猛暑の夏だったので体調管理を最優先に水分補給と休息をとりながら進めていった。この年は学生を中心にしたボランティアが増えてNPO橫浜国際救助隊に参加してくれる若者が35人現れたのは心強かった。そうして、その活動は10月下旬まで行い収束していった。新しく加入してきたNPO会員の斉藤栞、泉谷茂雄が橫浜市大、池済勝と池上敏江が橫浜国大、山澤猛と米沢真子が神奈川大学の学生だった。新潟県中越沖地震のボランティア活動以後もみなとみらいのMMタワー東館のNPO事務所に出入りして平田浩一、山下健一に話を聞いていた。特に斉藤栞、泉谷茂雄は山下健一の後輩で、疑問に思った事は何でも気軽に聞いてきて、親しくなっていった。こうして2007年も12月を迎えて、今年も中華街で12月20日にNPO橫浜国際救助隊に入会してきた6人を含めて13人で盛大に忘年会を開くことになり夜7時から始まると、まず最初に代表の平田浩一から今年の新潟県中越沖地震のボランディア活動がNPO橫浜国際救助隊の最初の仕事となったが少人数の割には頑張って行動できたと話し、今後の課題についても述べたが、少人数では活動が制限されて、思ったような活動ができない事、そのため一番必要なのはボランティアを巻き込んでの大人数での活動する事だと痛感したと言った。そのためには、若者との仲介役になれる同年代のNPOメンバーが必要であり、今回6人の学生メンバーが加わってくれて大きな戦力になってくれると思うと述べた。更に、彼らを核に学生達による今後のボランティア活動のあり方なども公開討論会やNPOの会議などでNPO橫浜国際救助隊の名を売って数多くの若い戦力を増やしていきたいと締めくくった。その後、新加入した学生6名の自己紹介とNPOに期待すること、行動していきたいことなどを話してもらった。そして9時に忘年会を終えて、いくつかのグループに分かれて、元町、関内、橫浜で遅くまで飲んで熱い議論したようだ。山下健一は斉藤栞、泉谷茂雄と山澤猛の4人で元町のバーで2次会に行き、学生達に質問攻めに遭った。最初に斉藤栞さんが何故、山下健一さんは優良企業の三菱地所を早期退職したのですかと言う質問から始まり、その理由を1つは8千万円から2億円の豪華マンションを販売して、富裕層などの、お客さんと接していて、違和感を感じ始めたこと。次に、平田泰三という不動産セールスの神様と言われた男との出会いと一緒に仕事したことを通じて、でかい仕事をしたいと言う学生時代からの夢が、何だか、むなしい夢のように思えてきた。この2点が影響したと答えた。
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