第8話:湾岸豪華マンションが売れない

この年末も山下健一は自分のN証券の口座に2百万円振り込んで残金を1780万円にした。その後、1996年も1997年になっても山下健一が橫浜湾岸エリアのマンションを売ろうと頑張ったが先輩みたいに金持ちのお客さんの御贔屓筋が無くて7千万円後半以上の高額物件は売れなかった。その代わりに2千万から3千万円台後半の物件を1995年に10戸、1996年に12戸とコンスタントに売っていった。1995、1996年と2百万円ずつN証券口座に入金して2180万円とした。2007年になり、山下は、相変わらず高額物件の販売はできないが、3000万円前後の物件を12戸、販売して、新人としてはベスト3に入る売上金額で年収6百万円とは別に報奨金と歩合金をあわせると1千万円を越えた。1997年頃から徐々にヨコハマ・ポートサイド壱番館も売れ出して174戸売れて、残り40戸になった様だ。


1997年11月4日夜に平田浩一から電話でヤフー株を180万円で10株で指値買い注文を入れろと言われ了解し、翌日、会社に出かける前にN証券に売りの注文を入れた。その晩帰ってみると1800万円で買えて、残金が380万円となった。その後、平田から電話で、投資研究会でヤフー株に注目成長株とみて180万円から175万円で60株入れ、買えたと言っ。山下のを入れると70株買ったことになると言った。


1996,1997年もヨコハマポートサイド ロア壱番館の売れ行きが上がらずに1998年を迎えた。その後1998年から2000年にかけて、一部に景気の持ち直しがあり、ヨコハマポートサイド ロア壱番館も売れ出したようだが半分近くが、売れ残り、値引きする部屋も出て来たようだ。また、買ったが、ローン返済が厳しくなり、売りたいと言う人ができてた。


2000年2月21日、朝9時前に山下の携帯電話に平田から電話が入り、忙しい所すまんと言い、ヤフー株全部成行で売れと言われ、会社に出る前にN証券へ行き、全株成行売りを指示、10株を16300万円で10株、16.3億円、買った価格の9倍の値段となり、税引き後利益が128960万円で残金が13.1億円となり、一気に10億円超えとなり平田浩一のヤフーの成長性を見抜く目はたいした物だと感心させられた。


 その日の夜に平田浩一から電話で投資研究会で買ったヤフー株60株を成り行き売りを入れたが5株しか売れず明日に持ち越したと言った。翌日の晩に、また平田浩一から電話で、売れ残っていた投資研究会のヤフー55株、なんと16790万で売れたと大喜びしていた。総額で昨日と今日で100億円になったと大はしゃぎだった。その後、何と関連株が急に下げ足を早めて暴落に近い下げとなり山下健一も平田浩一も肝を冷やした。


 2000年2月26日、平田が投資研究会の7人を夜にホテルニューグランドの部屋を借りて祝賀会をすると言い、そこで、今後の運営方針も話すと電話が入り、山下健一も参加することにした。ます、全員で乾杯して、ヤフーの大成功を皆で祝った。そうして、雑談をして盛り上がって1時間後、そろそろ、今後の事を話したいと思うと平田浩一が言い、基本的にヤフーが駄目株になるまで追っていこうと言い、2001年の下値を、うまく、買い上がろうと思うと話した。

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