第4話:三菱地所での仕事始め

 その後、山下健一は、営業1課の仲間に1人ずつ、挨拶して回った。山田信二係長、井上康男係長、池山浩一先輩、梅田安吉先輩、砧義彦先輩、安田敬一先輩と新入りの健一を含めて合計7人のセールスとなった。新入社員の山下健一の最初の仕事は新しく販売を開始したマンションの内覧会の必要書類の運搬や近くの駅でのビラ配りがほとんどだった。3ケ月間は内覧会、展示会、説明会の資料運びなど下働きが主な仕事だった。その後、この会社では、先輩セールマンと同行して営業活動の勉強を半年間、多くの営業1課の諸先輩についてセールスに行くのが習わしだった。


 1990年10月5日に山下健一は、陳忠夫という友人の誕生パーティー招待されて誕生祝いを持って出かけた、食事をした後に友人のお父さん、陳浩一さんに横浜駅とみなとみらい、山下公園近くの高級マンションについての意見を聞いた。すると、今は世界中、景気悪いから、買う人はいない、下げ止まりを待って2-3年したら、欲しいと言う人が出てくるかも知れないねと教えてくれた。


 続いて、横浜中華街で昔から商売して儲かっている華僑は、自分の子供や孫のために買いたいと思っている人もいるはずだと言った。また、中国人の金持ち、金儲け好きだから、安くなったら買って、高ったり、貸したりしたい人もいるよと、投資目的の人、多いと言った。だから、健一が高級マンション売りたいと思うなら、株、景気が上向いてきてから動いた方がいいよと言い、その気のある人を今のうちに探すと良いと話してくれた。私も安くて良ければ買いたいよと笑った。そこで、米国株と日本株の下げ止まりを注視していく事にした。


 そこで、伝説の不動産ブローカー平田泰三にも、この話について聞いて見ようと思い、今週土曜に中華街で会いたいと電話をして了解をもらった。山下健一が平田泰三さんに、入社の時に世話になったお礼を言った。その後、華僑に横浜みなとみらい、山下公園近くのベイエリアの高級マンションを販売しようと思っているが、どう思うと聞いた。すると、平田さんが、逆お前はどう考えてると聞き返してきた。そこで、友人の父の華僑の人から聞いた、日本、米国株が上がりだしたら売ろうと思うと言った所、その答えは小学生の答えだと笑った。間違ってはいないが、もっと頭を働かして考えろと言った。


 1990年は日本経済はあまり良くなかったが1991,1992も、あまり芳しくなくしかし、1985から1990年で日経平均株価は急上昇、いわゆる平成バブルであり、その時に大儲けした奴が必ずいるはずだ。彼らは賢明だから1990年にピークをつけた後、まだ株を買う時期でないから様子を見ているはずだ。そういう金を持っている連中をどうやって探すかと質問してきた。


 健一が証券会社、銀行で聞いたりすればと言うと、教えてくれると思うかと再度、聞くので、難しいかなと健一が言った。高級な家、マンションの売り物件は、どこが一番情報持ってるかとまた聞いてきたので我が社の様な大手不動産会社と信託銀行、メガバンクと答えた。実は信託銀行は富裕層のお客をかかえていて、多くの不動産情報を持っているんだと教えてくれた。ズバリ、三井信託銀行だと言った。


 そこで、山下健一が平田さんに横浜駅前の三井信託に人に紹介してよ、お願いすると、紹介しても良いが、相手も営業で何かメリット無ければ、良い情報をくれないよと言い、それでも良ければ紹介しても良いと言ってくれたので、三菱地所の定休日・水曜日の1990年12月10日、三井信託銀行・横浜西口支店で10時に会う事にした。実は、平田泰三の息子、平田浩一が神奈川県立神奈川工業高校を1985年に卒業したが、平田泰三が以前から日本株投資をしており、神奈川工業高校時代の1983年から、株投資を教えて、かなり儲けたので、その時代のことを良く知っているんだと笑いながら言った。息子は中華街の有名店の息子と仲が良く株仲間をつくって彼らと投資をしていると教えてくれた。

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