第2話:でかい商売がしたい。

 橫浜市大に入ってからは実学の勉強として宅建建物取引士を取るために1年から

勉強を開始して、3年生1989年の夏に合格した。そのうち、父の友人で不動

産のセールスをして金持ちになった平田泰三という男がきて、

「健一にお前は柔道が強いそうだなと言い、世の中に出て仕事をする上で、体力が大切だから、頑張れよ」と言い、「商売をするなら、大きな金額の商売をやった方が儲けも大きいから、会社とか不動産とか扱ったらどうだ」と言い、橫浜市では、

「みなとみらい計画」があり「橫浜港の近くに豪華高層マンションが出来るだろうから、それを売買する不動産セールスなんて良いぞ」と、笑いながら言った。


 俺も、億を超える不動産売買の手数料で、金を作ったから言うのだが、デカイ商売を見つけろよと教えてくれた。この話が頭に残り、豪華マンションのセールスか面白いかも知れないと思い、数ヶ月後、平田泰三さんが来た時に、今度、時間がある時に、詳しく教えて欲しいと言ったところ、わかったと言い、お父さんと近々食事するから、その時「お前も来い」と言ってくれた。大学2年の1987年12月24日、平田さんが実家に来て、聘珍樓へ行くというので、お父さんについていった。


 メリークリスマスと言って乾杯してエビチリ、回鍋肉、フカヒレ、おこげごはんなどを食べながら平田さんがの1988年7月16日にみなとみらいのシンボルである日本一の高さを誇るランドマークタワーが完成したと言った。一番の肝は、東京に、集中している機能を分担するために商業、国際交流機能の集積と拡大を図る様だと言い、簡単に言えば大きな商業施設、国際会議場、ホテル、豪華タワーマンションをつくると言うことだ説明してくれた。


 だから横浜の不動産業が大儲けできる時代が来ると思っていたが、アメリカで2008年9月15日に起きたリーマンショックという、大型金融機関の倒産によって、

アメリカで、経済危機が起きた。その影響で、橫浜市の「みなとみらいの計画」も、その進行状況は良くなかった。平田泰三さんが、

「しばらくして、景気が回復して、投資目的で、欧米人や中国人がみなとみらいのマンションを買いに来るだろうから、そのために中国語と英語を話せるようになれ」と言い、健一が「日常会話なら出来る」というと答えると、

「商売が出来るくらいに、語学を磨き上げろ」と平田さんが言った。加えて、

「不動産で商売するなら宅地建物取引士を絶対のとらないと駄目だ」と言い、

「不動産鑑定士まで、とれれば上出来だ」と言った。


 不動産の価値を評価する為に必要な資格だと教えてくれ、最後に、営業、セールスにとって一番大切なことは、負けず嫌いなことで、人に負けて平気でいられる人間には絶対に出来ないと言った。その覚悟はあるかと聞くので健一が負けず嫌いは人一倍ですと、言い切った。平田さんが健一に、それなら結構、頑張れよと言ってくれた。その後、宅地建物取引士の本を買って1981年から徹底的に勉強しはじめた。

カセットを使い、暗記すべき事項は覚えて、1982年7月に受験申し込みをして10月下旬に受験をして12月初旬の合格発表で不合格で1983年に再度、挑戦して1983年12月、大学3年生の時に合格が判明した。早速、平田さんに報告した。


 じゃー、合格祝いをしてやろうと12月に聘珍樓で合格祝賀会をしてくれた。平田さんが、本気で不動産業界に挑戦するなら大手に入った方が良いと言い、三菱地所に紹介状を書いてやろうかと言ってくれたので、気軽にお願いした。しかし、もし、入社できたとしても売れなければ1年もすれば、いられなくなるが良いかと念を押すので、健一は、大丈夫、頑張りますと答えた。1990年3月に横浜市大商学部卒業して健一は三菱地所の不動産会社に受験したいと会社に直接でかけた。


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