治療の倫理

 進化論の話で触れたように、まず「生存は良いこと」ではない。医者の価値観において「良いこと」だから治療をするのではなく、患者が求めるから治療をするというのが倫理的だろう。尊厳死の観点ではこの考え方が重視されているように思う。


 自殺未遂の治療において顕著だが、本当に「死にたい」と考える患者に対して、合意の取れない「治療」を施すのは倫理的に正しいのだろうか。生命・身体の自由を尊重するならば、自死や自傷もまた許されるべきだと考えることもできる。


 現実問題としては医者の方も仕事だし、法の整備が不十分だったり、合意を取るのに手間取っていると死んでしまうので治療を施す他ないことが多い。現代の医者を非難しているわけではない。


 精神的な「治療」には、さらに思想の自由も絡んでくる。「治療後には感謝する」という論については、感謝するような精神状態に「治療」するのだから当然であり、

倫理的正しさには寄与しないように思う。


 後々から見れば「治療」された者にとっての利益が大きくなる可能性もあるが、これは抽象化すれば「より大きな利益が見込まれる場合に、小さな害をなすことは倫理的に正しいのか」という問題であり、トロッコ問題に確率を混ぜて難しくしたような話になる。

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