第5話 どうして……?

 わたしの隣で沈んでいたソファのスプリングが、軋むような音を立てて更に大きく沈んだ。

光莉ひかりちゃん、それどういうこと?」

 消えたくなった、と言ったわたしを見る慶吾けいごくんの目があまりに真剣だったから、一瞬、言葉を飲み込んでしまいたくなったけれど。

 それでも、これは紛れもなく本当の気持ちだったから。


「あのね、わたし高校になって彼氏ができたんだけど……」


 それから、わたしはいろいろ話した。

 お父さんとかお母さんにはもちろんしないけど、クラスの友達とかにもあんまり大きな声でできないような話。いつも思ってたこととか、不満に思ってたこととか、そういうのも全部、慶吾くんは口を挟むようなことをしないで、言いたいところまで言わせてくれた。

 話している最中からまた涙がこぼれてきて、気持ちが喉を通らないくらいに膨らんでくる。けど慶吾くんに背中をさすってもらいながら話しているうちにちょっとずつ落ち着いてきて、胸の苦しさもなくなっていって、ゆっくりだけど、ちゃんと話せて。


「………………、」

「ぁ、あの、ごめんね? あの、聞いてくれてありがとう」

 話し終わったら、なんだか泣きそうな顔をしている慶吾くんの顔を見ているのがつらくなった。

 慶吾くんは、わたしが小さい頃からそうだった。わたしに何かがあるとわたしよりも悲しんでくれたし、わたしよりも怒ってくれた。

 いつも、わたしのことを大事にしてくれて、わたしが何を言ってもちょっと困ったような笑顔でなんでも聞いてくれた人。

 わたしは、もしかしたらズルいのかも知れない。

 そんな慶吾くんなら、クラスの友達みたいに翔平しょうへいの肩を持つかもしれない可能性なんてない。きっとわたしの気持ちいいことを言ってくれる。

 そういう風に、考えるようになってしまっている。


 我ながら都合のいいことばかり考えているのはわかるし、そんな自分がちょっとずつ汚いものみたいに思えてしまう。

 それでも今は、今くらいは、こうやって聞いてくれる人の存在がほしかった。優しい言葉をかけてくれる人に甘えたかった。案の定、慶吾くんはそんなわたしの気持ちをわかってるみたいに聞き役に徹してくれていた。

 そんな厚意に甘えすぎている自分のことを少し嫌になりながら、「だいぶ長くいちゃった。もう帰るね」とだけ言う。これ以上ここにいると、なんだか居心地がよすぎて出たくなくなってしまいそうだったから。


「今日は、あの、話聞いてくれてありがと。……こんなこと話せるの、ちっちゃい頃から近くにいてくれた慶吾くんくらいだから、聞いてもらえてよかった。ありがとね、ばいばい」


 それだけ言って部屋を後にしようとした背中を、優しく、けど強く抱き締められた。

「え、なに、」

「まだ、いていいんだよ」

 そう言う慶吾くんの声はいつもみたいに優しいのに、何かがいつもと違った。心を締め付けられるような気がして、放っておけなくなる声で。


「まだ、ううん、そんな遠慮なんてしなくていい。いたいだけいていいんだよ」

「違うよ、慶吾くん。お母さん心配するし、それに、明日の準備とかあるし、」

「…………、」

「慶吾くん?」

 少しだけ怖い。

 どうして、何も言ってくれないの?

 顔を見たいのに、振り返れない。


「僕なら、そんな風に無理はさせないようにする」

「え、」

「僕なら、そんな風に光莉ちゃんを不安にさせたりしない。あんな風に泣かせたりしない。ましてや、消えたいなんて、思わせるもんか……!」


 初めて聞くような声。

 小さい頃から、離れていた数年間以外はずっと一緒にいたのに、1回も聞いたことのないくらい真剣で、胸が苦しくなるような声。

 後ろから、すぅ、と息を吸う音が聞こえる。

 やだ、だめだよ。

 言わないで。

 聞きたくないよ。

 そんな願いは、もちろん届かない。


「好きだよ、光莉ちゃん。こんな風に想うつもりじゃなかったのに、こんな形で言う気なんてなかったのに……、でも、僕は光莉ちゃんが、好きだ……」

「…………、」


 消えてしまいそうで、泣きそうな、小さい声。

 聞きたくなかったのに、どうしてそんなこと言うの?

 ……どうして、今更そんなこと言うの?

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