第5話 符術

     符術



 背後からの声は、女性のものだった。

 俺が慌てて振り返ると、一瞬黒い影が目に映ったが、悲鳴のようなものと共に即座に消えた。


「ん? 消えた?」

(私も良く見えませんでしたが、気をつけなさい! この者達同様、手練れかもしれません!)


 うん、ここは用心するべきだろう。

 もうあんな痛いのは御免だ!


 だが、あの声そのものに悪意は感じられなかった。

 なので、声のした方向に訊いてみる。


「あの~、何か用ですか?」


 すると、ちゃんと返答があった。


「ってって。あ! そいつ、起こしちゃダメっす! すぐに殺すべきっす! と言うか、生け捕りは不可能っす!」


 そして、くさむらからひょっこりと顔が現れた。

 ふむ、どうやらこけていたようだ。


 少し幼さの残る丸顔に、ぱっちりとした目。そして、赤いバンダナを額にしている。また、ほどけば肩くらいの長さだろうか? 綺麗な黒髪をポニーテールに纏めている。

 美少女から美人への過渡期というところか? 高校生くらいに見える。

 だが、服装は黒ずくめで、時代劇とかで見る、忍者そっくりだ!

 腰には、短めだが、刀のようなものも挿している!


 俺は一瞬コスプレかと思ったが、起き上がった彼女は、定番のミニスカではなく、普通の股下。うん、良く考えればここは異世界だ。女性はこういう衣装が一般的なのかもしれない。


(アラタ、この世界でも、あの衣装は珍しいかと思いますよ? そして、さっきの手練れという言葉は取り消します)


 あら? やっぱそうですか。

 何れにせよ、こちらに敵意は無さそうだし、彼女はこいつの事を知っているようだ。


「え~っと、生け捕りは不可能って、どういう事ですか? と言うか、貴女、誰?」


 うん、現状、伸びているこいつを捕まえるのは容易いのでは?

 あ、でも、ロープとかはないな。

 そして、いきなり現れたこの女、一体何者だ?


「あ~、あたいはあんたの敵じゃないっす! と、とにかく、詳しい事はそっちに行ってから説明するっす! ちょっと待つっ…、ぶぎゃっ!」


 あ、またこけた。

 今回は、豪快な音と共に、叢に埋没する姿がはっきりと見えた。

 う~ん、もしかして天然ドジっ

 まあ、依然として突っ込み所満載のだが、説明してくれるならこちらも大歓迎だ。


 俺が彼女を待っていると、いきなり奈月先生の声が頭に響き、更に背後から声がした!


(アラタ! 後ろ!)

「全く、俺としたことが、だらしねぇ~っ! じゃ、先ずは俺の武器を返して貰うぜ! で、縮地しゅくち!」


 げ!

 今ので気付いたか!


 俺は慌てて振り返る!

 が、既に弟は居ない!

 腰に手を当てると、なんと、そこに挿してあったはずの鉈が無い!


「チッ! 鉈を奪われた! で、何処だ?!」

(アラタ! 右です!)


 見ると、鉈を構えた弟が、俺の右前方、10mくらいのところに居る!

 あの一瞬でどうやって?!


「ケッ! 魔法は別格なようだが、動きはやっぱり素人だな。って、その恰好、噂に聞く陰陽の者か! やっぱりいやがった!」


 そいつは俺の背後を指さす!

 そして、どうやらこのが『オンミョウノモノ』らしい。


「だから起こしちゃダメなんす! さっさと殺さないからっす!」


 再び背後から声がする。


「そら~、あんだけ派手にこければな! なんで、姉ちゃん、感謝するぜ! って、結構上玉だな。なら、兄者には悪いが、これは俺が貰っちまうか! 飽きたらきっちり殺してやるよ!」


 ふむ、やはりあれで起きたと。まあ、一度目はともかく、二度目は豪快な音がしたしな~。

 そして、また奈月先生だ。


(アラタ、どうやらあの動きは、この世界での武術系の技でしょう。もはや魔法の域に達していますが。それでどうします? 今ならそのむすめを囮にして、逃げる事も可能でしょう。あの者は、今や貴方より、あの娘に興味があるようです)


 ぐはっ!

 本当にこの人、鬼だな!


「それができるくらいなら、就活なんてしてませんよ! 何とか詐欺でもやってます!」

(ア、アラタを試しただけです! ですが、いい返事です! なら、解っていますね?」

「はい!」


 しかし、格好の良い返事はしてみたものの、今の俺の攻撃手段は、この左腕のみだ。

 触れる事が出来れば、また気絶してくれると思うが、なにしろ、あの動きだ!

 奴は一瞬で、10mもの間合いを取りやがった!

とにかく、近寄るだけでも難しそうだ。

 奴も、俺の左腕が尋常では無い事くらいは、既に気付いているだろう。


「また独り言っすか? なんか、さっきから見ていて危ない人っすね~。あ、でも、ひょっとして、それ、魔法の詠唱っすか?」


 ぶはっ!

 やはり俺は変な奴と見られたようだ。

 しかし、この娘、落ち着いているな。

 こいつの目的は、今や、明らかに貴女の身体だぞ?


「い、いや、危ない奴と思われても仕方ないけど、俺、魔法とか使える程いかれてないから!」


 すると、また、頭に直接声がする。


(いえ、アラタ、この世界では魔法は一般的ですよ。まともに使える者は、3人に1人くらいでしょうが。ともかく、そういう理の世界なのです!)


 なんと!

 確かにそう言えば、あいつら回復魔法がどうとか言ってたな。

 また、さっきの瞬間移動についても、先生が、あれは既に魔法だとか説明してくれた。


 俺が納得して振り返ると同時に、彼女が返事をする。


「え? なんか良く分らないっす。どっちにしても、あいつはさっさと殺して欲しかったところっすけど、こうなったら仕方ないっすね~。あたいも、伊達に陰陽の者とは呼ばれていないっす!」


 そして、彼女は何やら言葉を続ける。


「来たれ! 森羅万象のことわりよりほっする力! 陰陽式符術、雷槍らいそう!」


 彼女はそう叫び、最後に舌を出す!

 驚くべき事に、その舌には白い文字で『雷』と描かれている!


 まさに落雷だ!

 空気が割れる轟音と共に空が光り、雷線が弟に直撃……しない?

 奴は既にそこには居なかった!


 そして、初めて見たが、多分あれが魔法って奴なのだろう。

 アニメやゲームとかでしか見た事ないけど、凄すぎだろ!

 もっとも、当たらなかったようだが。


「は~ん? 何処を狙ってやがる!」


 声のした場所は、彼女の背後の辺りだ!

 これはヤバい!


「逃げろ!」


 俺は思わず叫ぶ!

 俺が振り返ると、彼女も気付いたようで、既に走っている!


 そして居やがった!

 奴は彼女の背後から、鉈を振り翳し、追い縋っている!


 このままでは不味い!

 彼女も殺される!


(アラタ! 多分大丈夫です。ですが、追いなさい!)

「はい!」


 しかし、奈月先生はさっき、彼女は大した事無いって、訂正してなかったっけ?

 何故大丈夫なのか分からないが、とにかく俺も奴を追って走る!


(すぐに分かります。左腕の用意はいいですね?)


 先生、俺にはさっぱり分からないんですが?

 まあ、とにかく俺も追うだけだ!


 俺も大分追いついたが、もう、彼女と奴との距離は、数メートルくらいしかない!

 ここで、あの武術系スキルとやらを使われれば、彼女は間違いなく餌食にされるはずだ!


 突然、彼女がいきなり立ち止まり、腰の刀を抜きながら、振り返る!


「ほ~、遂に観念したか! じゃあ、遠慮なく…、うげっ!」


 ぬお?

 さっきからの感じでは、こけるのは彼女の方では?


 何故、奴が派手にダイブしている?


「アラタ! 今です!」

「はい!」


 なんか、良く分らんが、とにかく奴は転んだ!

 このチャンスを活かさない手は無い!

 俺は左手を伸ばし、奴の足を掴……めない?


「縮地!」


 チッ! またあの瞬間移動だ!

 今度は何処だ?!


 すると、背後から声がした!


むすめ! 後ろです!」


 げ!

 この声はランドセルからだ!


 奈月先生、ちゃんと声も出せるんだ! って、それどこじゃないな。


「へ? 誰っすか?」


 彼女も驚いたようだが、すぐさま後ろを向いて、刀を構え直す。

 叢から奴が姿を現す!


「はは~ん。やっと俺にも解ったぜ! これじゃ下手には動けないな。だが、それはお前らも同じだ! でだ、問題はどっちから狩るかだ。妙な魔法の使い手か、それとも陰陽の者か? 兄者が居れば……って、そうだ! おい、兄者はどうした?!」


 ふむ、こいつはまださっきの戦闘で起きた事を、全て魔法のせいだと勘違いしているな。

 まあ、それはいい。

 しかし、下手には動けないって?


(アラタ、良く見なさい! この辺り一帯、草が結ばれています!)


 へ?

 俺が足元を見ると、なんと、そこら中で、草がアーチ状に結ばれている!

 俺、良く引っかからなかったな。


(結ばれているのは、ここから先、あの娘の周りだけのようですね。しかし、あの娘、思ったよりもやりますね。おそらく、彼女の仕業でしょう)


 ふむ、何となく理解できてきた。

 多分、彼女は、俺が奴らと闘っていた時にここに来たのだろう。

 そして、俺が奈月先生から説明を受けている間、ここいら一帯に、罠を仕掛けていたに違いない。子供の悪戯レベルだが、ここではかなり効果的だろう。

 彼女も、俺がこいつを起こそうとした時、慌てて止めようとして、自らひっかかったと。


 また、今のこいつの動きを見れば、彼女が言った意味が全て理解できた。

 確かに、こいつを拘束するのは不可能かもしれない。


(ですが、アラタなら可能です)


 それはそうなのだが、問題は、どうやって奴に触れるかだ!


(それは私に任せなさい。それよりアラタ、これはチャンスですよ?)


 あ~、そうだった! 

 奴はまだ、しきりに辺りを見回している。

 どうやらこいつは、起きる時に俺だけに意識を向けていて、兄者とやらが横で死んでいたのを見ていなかったようだ。


 なので、俺は奴に返答してやる。


「お前の兄者とやらは、お前に腕を斬り落とされて死んだよ!」

「え? や、やっぱり、俺が……、って嘘だな! 兄者が腕の一本くらいで死ぬ訳があるか!」

「あっちに行けば分かるぞ。あそこらは、お前の兄者とやらの血で染まっている! あれからどれだけ経ったと思っている! お前の下手糞な攻撃のせいで、奴は失血死したんだよ!」


(その調子です! もっと動揺させなさい!)


 勿論そのつもりだ!

 どうもこいつは、すぐに頭に血が上るようだし。


「う、嘘だ! お、おま、お前が殺したんだ! そ、そうだ! やっぱりお前から殺す! 殺す! 殺す! 縮地!」


 チッ! 動揺はしたようだが、また罠に引っかかってくれる程、甘くはないか!

 奴の姿がまた消えた!


(アラタ! 伏せなさい!)


 俺が慌ててかがむと、前後から声がする!


「お兄さん、ナイスっす! 来たれ! 森羅万象の……」

「殺す! 殺す! 殺す!」


(今です! 立ちなさい!)


 もはや、どうなっているのか分からないが、俺は先生の声に反射的に従う!


 金属がぶつかる音がして、背中に衝撃を受ける!

 よし! 奈月先生、もとい、ランドセルで防げた!


(振り返りなさい!)


 俺が振り返ると、奴が目の前で鉈を振り翳していた!


「殺す! 殺す! 死ね!」


 もう完全に目が泳いでいる!


「ままよっ!」


 俺は奴の鉈目掛けて、左手の平を広げる!


 金属音が鳴り響き、鉈が弾け飛ぶ!


「……符術、雷槍!」


 乾いた轟音と、眩い光と共に、奴に雷が落ちた!

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