第2話 不死身?

         不死身?



 俺は起き上がって、辺りを見回す。

 ここは、木々に囲まれた草地のようだ。

 草の背丈は、腰辺りまで伸びたくらいでそれ程高くない。そして、この直径数十メートル程の草原の周りに、神社にある御神木かと思える程の巨木が、鬱蒼と茂っている。


 俺は記憶を辿ってみる。

 そう、俺は無実の罪を着せられ、公安の人に保護して貰う途中、階段から落ちたのだ!

 常識で考えるならば、俺の現在地は、あの公安の人の車の中か病院、ないしは警察だろう。


 しかし、あの意味不明な会話!

 あの会話から想像できる事は、俺は彼等の言う、ゴミ捨て場のような世界に飛ばされたというところか?

 じゃあ、ここがそのゴミ捨て場?


 だが、周りを見る限りでは、とてもそうは見えない。

 自然に恵まれた、深い森の一角に見える。


 更に俺の身体を確認する。

 そう、あの最後からは、俺の身体は傷だらけのはずだ。下手したら、骨折とかもしているかもしれない。


 しかし、何処も痛くはないし、服も汚れてはいない。あの時の真っ白なパーカーに、薄青いジーンズのままだ。

 だが、ここで俺は異変に気付いた!


「なんじゃこりゃ~?」


 なんと、俺の左手が、漆黒と呼ぶに相応しい黒さなのだ!


「骨折でもして変色したのか? って、流石にこの色は無いよな。痛くもないし、ちゃんと動く」


 俺は左手をぐるぐる回してみる。

 少し重い気がするが、大して違和感は無いし、傷とかも無い。

 ただ、袖から出ている手が真っ黒なだけだ。


 袖を捲ってみると、腕の付け根までが染まっている。

 肩口から上は普通の色だ。念の為に右手も確認してみるが、右腕はごく普通の肌色。全く違和感も痛みも無い。


 ただ、そこで更におかしなことに気付いた。

 何やら、真っ黒な左手の手の平で、数字が光っている。


『205948』


 なんだろう?

 この数に、何か意味があるのだろうか?


「う~ん、解らない事だらけだな~。だが幸いにも、動くことには異常はなさそうだ。とにかく、此処が何処かが分からない事には話しにならない。だが、どうするべきか?」


 道が無いかと辺りを見回すと、森の中に、獣道のような、細いがかろうじて歩いていけそうな道があった。


「こういう場合、無闇に動いていいものか疑問だけど、とにかくあの道を行ってみよう。現状、それしかする事が無さそうだ」


 俺が歩を進めようとすると、足が何かに引っかかった。

 それは、燃えるような赤、炎の色とでもいうべきか。


「ん? ランドセル? しかし真っ赤って! とにかく開けてみよう!」


 ランドセルの中には、2Lのペットボトルが2本と、黄色い小箱が5つ。後、100円ライターが2つ入っていた。ポケットとかも調べてみたが、それだけのようだ。


「う~ん、なんか理解できたような気がする。これで当面なんとかしろってことか? 〇甲の水はいいとして、カ〇リーメイトはフルーツ味より、チーズ味の方が好みなのだけど、仕方あるまい。ライターに関しては、火でも熾せというところか?」


 ランドセルは、意外にも俺の身体にフィットした。と言うより、背負うと、自動的にバンドの長さが調整された感がある。

 女の子用みたいな色は勘弁して欲しいが、贅沢は言えないだろう。あるだけマシだ。



 再び、俺が森に入る道に向かおうとすると、そこから二人の男が顔を出した!


 二人共、髪の毛はぼさぼさで、顔中に髭を生やしている。更に、上半身は裸の上に、直接、茶色い毛皮のベストを纏っている。

 腰に大きななたを携え、がっしりとした身体つきで、『山の男』といった感じだ。

 片方の男は、胸に大きな傷跡があり、それがトレードマークのように、前の開いたベストからはみ出していた。

 もう片方の男は少し小柄だが、彼も腕に沢山の傷跡を残している。


 ふむ、周りは巨木が鬱蒼と茂る森だ。二人共、いかつい顔立ちは似ているから、兄弟の猟師さん? それとも、林業関係者か?


 だが、これは丁度いい!

 分からない事だらけだが、これでここを脱出できる目処がついた!


「すみませ~ん!」


 俺は片手を挙げて、彼等に駆け寄る。

 彼等も俺をすぐに発見したのか、お互いに顔を見合わせてから、こっちに向かって来てくれた。


「すみません。道に迷ってしまったようなんです。できれば、最寄りの街に出る道を教えて欲しいんですが」


 うん、街にさえ出てしまえば、交番に駆け込み、あの公安の人に連絡を取って貰えれば、何とかなりそうだ。

 あの、テロリストに仕立て上げられた件が気になるが、公安の人達も、連中の目的は只の時間稼ぎだと言っていた。なので、暫くすれば俺の無実も晴れるだろう。それまでは、彼等に保護して貰うしかなさそうだが。


「なんか、見た事も無い派手な奴だな。弟よ」

「ああ、用心してかかるべきかもしれないな、兄者。しかし、こいつは好都合だ! あいつらには散々だったからな!」

「うむ、埋め合わせは必要だな」


 男達は、俺に近寄りながら会話を交わす。


 ん?

 この人達、何を言っている?

 派手なってのは、この真っ赤なランドセルのことだろう。

 確かに、これだけは違和感が爆発しているからな~。

 だが、埋め合わせって何だ?


 俺が戸惑っていると、なんと、二人は腰の鉈を手に取り、身構える!


 え? 何この展開?

 俺、そこまで不審人物に見えるのか?

 それとも、この人達も、既に俺が核テロリストだという情報に踊らされているのだろうか?


「おい、貴様! 一人か?」


 胸に傷のある、兄者と呼ばれていた方が、俺に訊いて来る。


 俺は辺りをぐるりと見まわしてから答える。


「はい。俺だけのようです」


 うん、周りには他に誰も居ない。


「そうか。しかし、貴様、愚かだな。取り敢えず、その後ろに背負っている、その派手な荷物を黙って差し出せ! 後、金目の物があるんなら、さっさと出せば、道を教えてやらんでもないぞ?」

「うん、兄者、確かにこいつ一人だけみたいだな。じゃあ、後はいつも通りだ」


 二人は、そう言って、鉈を俺に向けて誇示する!


 へ? へ?


 どうやら、俺は勘違いしていたようだ。

 こいつらは、猟師さんなんかじゃない!

 もしそうだったとしても、こいつらが狩る得物は、動物ではない!


「ちょ、ちょっと待って下さい! わ、分かりました! 金目の物は無いですけど、このランドセルが欲しいなら、あげますよ!」


 そう、どうせ拾ったものだ。こいつに価値があるとは思えないが、これで済むなら御の字だ。もっとも、中に入っていた、水と食料には若干未練があるが、今はそれどころではないだろう。


 俺は、念の為に、再びジーンズのポケットとかもまさぐってみる。何か、こいつらにとって価値がありそうなものが入っていたらいいのだが。


「おい! 俺達は気が短いんだ! さっさと寄こせ!」


 遂に二人は鉈を振り翳す!


「は、はい。ちょっと待って下さい!」


 ポケットには、やはり何も入っていなかったので、俺はランドセルを下ろそうとする。


 が!

 何故か、ランドセルが外せない!

 俺の身体にフィットしたそれは、肩のベルトをずり降ろそうとするも、全くずれない!

 フィットしすぎだろ!


「兄者、時間切れだな」

「そうだな、弟よ。ここは、俺達が手伝ってやるしかなさそうだな」

「全く~、兄者はいつも楽をしようとし過ぎなんだよ。どうせ結果は変わらないんだから」


 え? え?

 二人が、いきなり俺の目の前から消えた!


戸惑う俺を尻目に、視界の左右の端から、鉈の影が掠めた。


「ぐはっ!」


 息ができない!

 痛いなんてものじゃない!

 階段から落ちた時も痛かったが、それとは別次元の痛みだ!


 我に返ると、俺の右腕が地面に落ちていて、胸には深々と鉈が突き刺さっている!

 更に足元には大量の血!

 俺はそこで意識が薄れた。



 気付くと俺は、真っ赤に染まったパーカーを着ている男を見下ろしている。

 そして、その男をうつ伏せにして、背中のランドセルを剥ぎ取ろうと、悪戦苦闘している男が二人。


 俺は理解した。

 うん、俺は死んだのだろう。

 これが、幽体離脱って奴か?

 今の俺は、多少気分が悪いだけで、先程の痛みはもう無い。


 音も入って来た。


「兄者、これは取れないぞ! 一体どうなってやがるんだ?」

「落ち着け、弟よ。きっと、何か絶対に奪われたく無い物が入っていて、そうそう外れないようになっているのだろう。こいつの見慣れない服装からも想像できるだろ!」

「そうだな、兄者。ひょっとしたら、身分の高い奴かもしれないな。じゃあ、もう片方の腕も切り落とすか。だがこの腕、なんか、真っ黒で不気味だな。でも、もう死んでるんだ!」


 弟の方が、少し戸惑いながらも、鉈を俺の左肩に向けて振り上げた!


 こいつら!

 仏さんにそこまでするとは! 罰が当たるぞ!

 

 俺も何か抵抗してやりたいが、現状、黙って見ているしか無さそうだ。

 なにしろ、今の俺には肉体が無いようだ。身体を動かそうとしてみるも、何の反応も無い。


 そして、その鉈が振り下ろされる!

 俺は思わず目を閉ざす!


 カイーン! と、金属同士がぶつかる音がした。


 おそるおそる目を開ける。

 そこには、予想した光景ではないものが映る。


 弟の鉈が宙を舞っている。

 そして、俺の漆黒の左腕は無事だ。まだ、しっかりと肩に繋がっている。


「な! かってぇぇ~っ! 何だ? この変な腕?」

「弟よ、何度も言うぞ。落ち着け! 服の下に鎧を着ているのかもしれないぞ。この背嚢、兄的には結構気に入っていたのだが、仕方無い。壊して中身だけ頂くぞ」


 ふむ、彼等には、このランドセルが背嚢に見えるのか。

 まあ、元々は軍用品だったと聞いているし、納得できるか。って、そんなことは、今はどうでもいいか。


 今度は、胸に傷のある兄の方が、鉈をランドセル目掛けて振り下ろす!


 カイーン!


 再び、さっきと同様の音がして、鉈は見事に弾き返される。

 ランドセルには、傷一つついて無い。


「ケッ! やっぱりこいつは怪しいな。弟よ、これは絶対に、何かいいものが入っている!」

「そうだな! しかし、これ、どうやって開けるんだ?」


 全く、こいつらアホだな~。物を知らないにも程があるだろ!

 下に付いているポッチを押せば、簡単に開くのに。

 俺は堪らず助言してやりたくなったが、よく考えれば、こいつらを助けてどうする?

 こいつらは、問答無用に俺を殺した連中だぞ?


(大体分かりました。もういいでしょう)


 いきなり声がした!


 あの声だ! あの、エンマとやらと話していた、少し高くも柔らかい、落ち着いた、女性と思われる声だ!

 しかし、この声は、どうやら俺にしか届いていないようだ。

 二人は尚もランドセルを開けようと、あちこちをいじり回しているだけだ。


 そして、続けて声がする。

 今度は男の声だ。


(ああ、私の気は済んだ。そして、今気付いたよ。済まなかったな)


 ん? 何だ? 初めて聞く声だ。

 それで、何の気が済んで、何が済まなかったんだ?

 さっぱりわからん!

 だが、その声と共に、何か力が漲ったような気がする。


 更に、無数の声が頭に響く!


(あたしはまだよ!)

(まだ殺し足りない!)

(もっと苦しめ!)


 これはあの時の! あの、階段から落ちた時にした、悪意に満ちた声だ!


 俺が戸惑っていると、目を疑う光景が俺を襲う!


 俺の漆黒の左腕が、真っ白に輝く!


 同時に、何か、柔らかい光が俺に差し込んだ気がした。

 すると、俺の胴体とは少し離れていたところに落ちていた右腕が、俺の右肩目掛けてぶっ飛んでくる!

 どこの合体ロボだよ!


 真っ赤に染まったパーカーが、みるみる元の白さに戻っていく!

 よく見ると、左手の手の平に向かって、赤い液体が吸い込まれるように奔流を為して行く!


 そして、俺の視界が変わる! 目の前には、圧し潰されている、青々とした草だ!


 俺は理解した。

 そう、何か分からないが、俺は生き返らされたのだろう!


 再び、頭に直接声が入る。あの女の声だ!


(さあ、その左腕で、彼等と闘いなさい!)


 なんだなんだ?

 左腕で闘えって? 

 俺、武器も無いし、そんな格闘スキルも無いんですけど?


 とにかく、俺は手をついてから、立ち上がった!



 だが、この状況に驚いたのは、俺だけでは無かったようだ。

 彼等もかなりびびったようで、慌てて俺から距離を取る。


「な、なんだ? 兄者! こいつヤバいぞ!」

「落ち着け弟よ。多分、仲間が居るはずだ! そいつが回復魔法を唱えたに違いない!」

「そういう事か! 全く騙されたぜ! なら、用心すべきはその術者だな! しかし兄者、こんな回復魔法が使える奴なんて、見た事ないぞ!」


 二人は、俺を背にして、辺りをきょろきょろと見渡す。

 ふむ、俺に対してはノーケア。警戒する必要も無い程の雑魚と。

 まあ、その通りなのだが。


 しかし、回復魔法って? ここ、ゲームの世界?

 それ以前に、この現象、回復とかではなく、蘇生では?

 多分だが、俺は一度死んだはずでは?


 ここで、俺は少し落ち着いてみる。


 あの声は言った!

 左腕で闘えと!



 俺は、ゆっくりと両手の指先を動かしてみる。


 うん、ちゃんと動く!


 そして、こいつらは、その回復魔法を唱えた奴とやらを探すのに必死なのだろう。まだ俺に背を向けてやがる。


 これはチャンスか?


 しかし、現状の俺に武器は無い。

 だが、あの女の声の感じだと、俺のこの、漆黒の左腕そのものが武器のようだ。

 確かに、さっきの光景からは、この左腕には攻撃は効かないようだった。


 ええいっ! ままよっ!


 俺は、小柄の方、弟と呼ばれていた男に突進する!


 そう、鉈を弾き返せるこの左腕でぶん殴れば、何とかなるだろ!

 こいつは今、隙だらけだし!


「まだ痛い思いしたいのかよ?」


 げっ!


 どうやら俺の行動は、完全にばれていたようだ。

 弟が振り返るのと、鉈が視界に飛び込んで来るのとが同時だった!


 俺は、咄嗟に左手でガードする!

 あの、金属同士がぶつかる音がした!


 よし! 弾き返せた!


 弟の目が大きく見開かれる!

 ふむ、こちらから仕掛けようとしたのが、かなり意外だったか?


 しかし!


「うごっ!」


 俺は悲鳴を上げていた。

 背中に激痛が走る!

 振り返ると、兄の方が、俺の背後に立っていた。


「貴様は大人しく死んでろ」


 その声と共に、兄の右腕が動き、俺の視界がぐるぐると回る!


 あ~、さっきと同じ感覚だ。

 もはや痛みは感じない。

 ただ、気分が悪いだけだ。



 またもや俺の視界が下を向いている。

 そこには、首の無い、真っ赤に染まったパーカーを着けた死体がある。

 更に周りを見回すと、やはりあった!

 俺の頭だ。

 胴体から数メートル程離れた所に落ちている。


 これは、俺が振り返った瞬間に、兄に首を刎ねられたと見るべきだな。

 流石にこれでは完全に死んだだろう。



(ふん! 貴様にはお似合いだ!)


 また、悪意に満ちた声が、直接頭に木霊する。だが、これも初めて聞く声音だ。


(え? そうだったのか…。こ、これは悪かった! 僕の誤解だったなんて!)


 更にその声は、さっき同様、意味不明の言葉を続けて消えた。


(全く、不甲斐無いですね! ですが、その意気です。次はしっかりやりなさい!)


 これはあの女の声だ!

 そして、再び身体に力が漲る感じがして、俺の漆黒の左腕が光る!


 う~ん、またですか。全く、何が何やら。

 前回もだが、もはや怪奇現象どころではない!


 俺の頭が、胴体に向かってぶっ飛んでいる!

 腕と頭の違いはあれど、さっきと同じだ!


 俺の視界が青空を捕らえ、指先が動いた!


「こ、こいつ! 不死身かよ!」

「だから、落ち着け! 弟よ! だが、兄的にも、ここまでの回復魔法は初めてだ! こんな事は、相当上位の術者にしか出来ないだろう。これが噂に聞く、陰陽の者かもしれん!」 


 現在、俺は仰向けの状態で、俺を見下ろす二人を交互に睨んでいる。


「なら、何度でもだ!」


 弟の方が、鉈を振り翳す!

 しかし、こいつの目は、どことなく怯えている感じがする。

 まあ、死人がほいほい生き返るんだ。こっちもびびったが、こいつらの方だって、相当不気味なはずだ。


「落ち着けと言っている! さっきの様子では、こ奴の攻撃自体はカスだ。つまり、解るな? 弟よ」

「あ~、そういう事か! 解ったぜ兄者! これだけの回復魔法、いや、もはや回復魔法を超えていやがる! こんな大魔法、そうそう何度も唱えられるはずがねぇっ! それに、見回した限りじゃ、やはりこいつ一人のようだしな」

「うむ。流石は我が弟だ。そう、こ奴自体は、もはや脅威では無い。おい! 貴様! 兄的にも、これ以上貴様を痛い目に合わせても無意味だ。なので、さっさと、その背嚢の中身を出せ! さもなくば、本当に死ぬことになるぞ?」


 俺はどう返答するものか迷ったが、ここで気付いた。

 こいつら、さっきまでは、問答無用に俺を殺そうと、いや、殺した!


 そう、こんな事を言い出した時点で、こいつらはかなりびびっている!

 努めて冷静を装っているだけだ!


(これは意外でしたね。ですが、いい読みです! 私もそう感じます。この機を逃してはなりませんよ!)


 またあの女の声だ! 直接頭に響きやがる!


 しかし、いくら相手がびびっていようが、現状、俺に攻撃手段は無い。

 せいぜい、さっき言われた左腕を使って殴るくらいだ。

 とても勝てるとは思えない。

 あんな痛い思いは、こいつらじゃないが、もう御免だ!


(殴るのもいいですが、相手をその左腕で掴むだけでいいのです。ただし、気を込めなさい! 気合でも、憎しみでも、何でもいいです!)


 ぬお?

 俺は思っただけなのに、返事が来た!

 う~ん、この女の声のことわりが気になるが、今は後回しだ!

 とにかく今は、この女の声を信じるだけだ!



 そして、この声は、やはりこいつらには聞こえていないようだ。

 二人共、用心深く鉈を構えながら俺を見下ろし、俺の返事を待っている。


「わ、分かった。こんな物で良ければ、喜んでくれてやる。だけどこれ、簡単には取れない。手伝ってくれるかな?」


 俺はそう言いながら、立ち上がろうとする。


「ま、待て! ゆっくり動け!」

「そ、そうだ! 弟よ、お前は何時でも殺せるように構えていろ! 兄がやる!」


 俺は要求通り、ゆっくりと立ち上がり、兄の方に背を向ける。


 うん、こいつら、かなり追い詰められている。

 俺も、今頃になって気付いたが、この、無手の男に何を身構える必要がある?

 それこそ、弟の方ではないが、何度でも殺せばいいのだ。もし、俺がそのオンミョウノモノとやらでも、もう唱えられないんだろ?


 もっとも、女の声のアドバイスが正しいのなら、俺の左手は、どうやら凶器のようだが。

 そして、俺も今はそれを信じるのみ!


 また、こいつらがそれに気付いているのならば、ここは、もっと俺から距離を取るのが正解のはずだ。

 しかし、弟の方は俺の目の前で、隙無く鉈を構えて居る。


 そう、こいつらが本当に冷静ならば、疑問に思うはずなのだ。

 何故、俺が走って逃げないかを!


 だいたい、俺がこうやって大人しくしている方がおかしいだろ?

 何しろ、こいつらは俺を殺したのだ!

 二度も!



「うん、先ずは右から外してくれ」


 俺は、右肩を下げながら、右後ろに振り返る。


「よ、よし! 動くんじゃねぇぞ!」


 正面に居る弟の声は、少し震えているように感じる。

 そして、背後から手が伸びて来る。

 その手が、俺の肩口のベルトを掴んだ!


「そう、その調子で外してくれ」


 だが、完全にフィットしていたランドセルの肩ベルトは、当然ずれない。

 そらそうだ。さっき、自分でやろうとしたが、全くずれなかったのだ。

 これは、フィットしていると言うよりも、貼り付いていると言うべきだろう。


 思った通り、肩バンドを掴んだ手に力が入り、激しく揺さぶるが、全くずれる気配は無い。


「おかしいな。ちょっとそのままでいてくれ」


 俺は左手を、ゆっくりと右肩に持って行く。

 すると、掴んだ手はそのままに、揺さぶるのだけはやめてくれた。


 よし! かかった!


 俺は、その肩ベルトを握りしめている手首を、憎しみを込めて掴んだ!


「うぎゃっ!」


 背後から悲鳴がし、俺が掴んだ手の力が抜けた!


「何しやがる!」


 正面からの声と同時に、大きく構えられていた鉈が振り下ろされる!


「そうなるよなっ!」


 俺は、お辞儀をするように頭を丸め込んで、背中でその鉈を受け止める!

 勿論、背中とは言っても、ランドセルだ!

 背中に衝撃と共に、金属音が、……し…ない?

 代りに、ぐちゃっという音と、何やら生温かい物が、首筋に降りかかる!


 そして、俺の掴んでいた腕が、急に軽くなった!

 慌てて左手を目の前に引くと、肘から先だけの腕を掴んでいた!


「うげ!」


 こいつ! 誤って、兄の腕を切り落としやがった!


 俺が予測していたのは、兄が無力化され、弟の鉈をランドセルで弾くまでだった。

 これは出来過ぎだろ!

 ぶっちゃけ、そこから後は出たとこ勝負! と言うより、何も考えていない!


「お、お、お、お、おま、おま、おまおまえ~っ!」


 弟が絶叫する!


 ふむ、自分で兄弟の腕を斬り落としたのが、そんなに堪えたか?

 俺の腕の時は冷静だったくせにな。


 俺が顔を上げると、弟の目が完全に泳いでいる。

 俺の方を向いてはいるが、両手をわたわたさせ、もはや、駄々をこねる子供のようだ。

 そして、何故かその手には鉈が無い!


 うん、これは想像がつく。こいつ、慌てて鉈を手放してしまったのだろう。


(素晴らしいです! 予想以上です! 今です! 仕留めなさい!)

「分かってるよ!」


 再び頭に声が響き、俺は思わず声に出して返事をしてしまう。


 そう、こいつらは人を殺すくらい、何とも思ってはいない。

 正に、殺らなければ、殺られるのだ!

 そして、命を懸けた勝負なら、俺のような、ド素人に巡って来る勝機は一瞬のはずだ!


 俺は、掴んでいた腕を、そいつの足元に放り投げた。

 正直、こんなもの、持っていたくはないしな!


「あ、あ、あ、あに、あにじゃ~っ!」


 奴はその腕を、何とか地面に落ちる前に受け止めたかったのだろう。

 バレーボール選手さながらの動きで、ダイビングレシーブだ!


 よし! 隙だらけだ!


 俺は、ここで後ろがどうなっているか確認したかったが、それこそ勝機を逃すだろう。


 俺も左腕からダイブして、その首根っこを、思いっきり憎しみを込めて掴む!


「ぎゃぇ~っ!」



 断末魔と思われる悲鳴と共に、そいつは動かなくなった。

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