02.お姫様は楽し……くない!

 城へ入ると王様の執事である老齢の男性に横抱きにされ、連れて行かれたさきは風呂場だった。

 執事さんといい、レオンといい、この世界の男の人は腕力が有り余っているのではないかと思う。だって少し大人になった私を軽々抱き上げるのだから。

 そんな驚きをよそに連れて行かれた風呂は、城にあるくらいだから一般家庭にあるような風呂じゃない。むしろ温泉のように豪勢で風呂の中には薔薇の花びらみたいなものが浮いている。

 風呂につかり先ほどから一緒にいたメイド服を着た女性が髪を丁寧に洗ってくれる。拒否したけど体も隅々まで洗われて、体がすっかり温まるとバスローブのような物を着せられて鏡の前に座らされる。

 そこでようやく初めて自分の顔と対面した。

「これが……私……」

 鏡に映る人はそれはもうキレイな女性だった。白い肌に高い鼻、ぱっちりとした目にほのかに色づく頬。金色の髪の色に濁りはなくとてもキレイなものだ。むしろあの世界なら私は芸能人にもモデルにもなれたに違いない。

 ただ私よりもずっと大人の女性という感じだ。バスローブの合わせ目から見える胸元だって谷間がある。だからこそ違和感がはんぱない。

「私、一体いくなんだろう……」

 そんな素朴な疑問を思わず口にすれば、背後で髪を梳いていた女性が痛ましげな顔をする。

「姫さまは再来月で十六歳になります」

「そう、なんだ……」

 中の私との差は4歳。果たして記憶がないからとごまかせる状態なのか悩むところだ。

 これからのことを不安に思いつつ大人しくしていれば、女性は手早く髪を整えてくれる。サイドの髪を丁寧に三つ編みしてカチューシャのようにして回し、キレイな花で止められている。

 後ろ髪は乾いたことでフワリとしたものになり、整えられたことで輝きがましたような気がする。

 促されるまま鏡の前から立ち上がると、今度はドレスを着せられた。正直言えば胸とウエストが凄く苦しいけど、鏡で見た自分の姿はまさにお姫様という出で立ちでうっとりと鏡の中の自分を見つめてしまう。

 うっとりしている自分を置いて女性が出て行こうとするので、慌てて声をかけた。

「あの、ありがとうございます」

 すると途端に女性は涙ぐみながら一礼すると部屋を出て行ってしまった。余程記憶がない私が不憫に思えたのかもしれない。

 広い部屋で一人になるとベッドに視線を向けた。夢にまでみた天蓋つきのお姫様ベッドで思わずうっとりしてしまう。

 でもそんな私を気にした様子もなくきなこはベッドへ上がるとこちらを見上げてきた。

「琴葉、どう? 楽しい?」

「なんかこういうのテンション上がる! 不安がないと言えばウソになるけど凄い楽しい! しかも凄い美女だし!」

「琴葉が満足してるならよかった」

 満足そうに目を細めるきなこに抱きつくと、いつものように喉を撫でてやる。途端にゴロゴロの喉を鳴らし、きなこのモフモフ具合を堪能する。

「でもさ、ずっと気になってたんだけど、実際のお姫様はどこにいっちゃったの?」

「琴葉の体の中にいるよ」

「え? この体の中?」

「違う、地球にいる琴葉の体の中」

 その言葉で思わずきなこを撫でていた手が止まる。

「入れ替わったってこと?」

「そんなところかな。琴葉は違う世界に行きたかった、お姫様も違う世界に行きたかった。どっちも同じタイミングで同じ願いだったから入れ替わることができた」

 別にお姫様が死んでしまった訳でないことにホッとはしたものの、違う心配も湧き上がる。

「突然、私の中に入ってお姫様困ってるんんじゃ……」

「んー、でもお姫様にも仲間がついてたから大丈夫じゃないかな」

「きなこみたいな精霊が?」

「そう。だからこんな入れ替わりなんてことができたんだよ」

 あまり考えてもいなかったけど、

「じゃあ、この世界に飽きたらまた元の世界に戻れるの?」

「できないよ。基本的に人間の精神は何度も世界を行き来できないんだ。だから戻れない」

「そっか……」

 正直、夢みたいだしワクワクする部分もあった。でもそれは夢であるから楽しいんであって、元の世界に戻れないとなると不安とか寂しさがヒシヒシと押し寄せてくる。

 少しだけ落ち込んだ私の手をきなこがペロリと舐める。

「大丈夫、きなこはずっと琴葉と一緒だよ」

「そっか、そうだよね」

 お母さんにもお父さんにも、もう会えないと思ったら凄く寂しい。だからこそギュッときなこを抱き締める。

「せっかくお姫様になったんだから楽しもう、琴葉」

「そうだね。どうせだから楽しんじゃう!」

 そう言って気合いを入れたものの、お姫様というのは予想していた以上に大変なものだった。

 記憶をなくしたという私のために用意された立ち振る舞いなどの作法の先生、この国の成り立ちや近隣国の情勢、その他にもお稽古事。

 それぞれをこなすと、食事と風呂と睡眠しか時間が残らない。

 私にしては随分頑張った。二週間もそんな生活を頑張った私を褒めて欲しい。

 だからやたらと厳しい作法の先生の時、クローゼットに隠れて先生をやり過ごすと、こっそりと城の外へ出た。

 自室のベランダから見える庭は手入れがされてとてもキレイだ。だから一度ゆっくり歩いてみたかった。

 それでも表の庭園を歩けば目立つだろうから、裏側にある小さな庭園に足を向けた。

 侍女の人たちが私を探しているのはわかったけど、隠れてやりすごす。裏の庭園に辿り着くというミッションを成功させると大きく息をついた。

 勿論、足元にはしっかりきなこもついてきている。

「はぁ、疲れたー」

 裏庭とはいってもそれなりの広さで、適度に散歩してから石造りのベンチに腰掛けた。

 腰掛けるにもドレスの下につけているパニエが邪魔で座るのも一苦労だ。キレイに見せるということはそれなりの努力があることも理解した。ついでにお姫様をするのにも、ただニコニコしていればいい訳じゃないことも理解した。

「琴葉、いいの?」

「よくないけど、いいことにする。折角お姫様になったのに、私どこも見て回れてないんだもん」

「えー、でもお姫様ってお城で大人しくしてるもんじゃないの?」

「そうかもしれないけど……あんなの息詰まるじゃない! そりゃあきなこはいつでもベランダから外に出られるからいいけど」

「まぁ、ネコですから」

「だよねー」

 精霊ではあるけど、基本的にきなこの姿はネコだ。高いところから飛び降りるのだって平気だし、狭いところもするりと抜けて行く。ネコだから当たり前だ。当たり前の返事をされて少しだけむなしい。

「……はぁ、どこに行っても勉強する運命なのはわかった。でも記憶ないんだよ? 病気なんだよ? それでもあんなに詰め込み学習必要なの?」

「人間のルールはよくわからないよ」

「それもそうだ」

 確かにネコであり精霊であるきなこにとって人間のルールなんて訳がわからないものだろう。

 受験勉強がイヤであの世界から逃げ出したのに、まさか逃げ出した先でも勉強に追われることになるとは思ってもいなかった。

「お作法とか爆発してしまえ!」

 投げやりに叫べばベンチ裏から噴き出すような笑い声が耳に届く。勢いよく振り返ったが、ベンチ裏には垣根があるだけで誰もいない。だからといって聞き間違えたとも思えない。

「誰?」

「申し訳ない」

 そんな言葉とともに垣根の上から顔を覗かせたのは、この城へ連れて来てくれたレオンだ。

「まさか私を探しに?」

 思わず逃げの体勢を取るために軽く腰を上げれば、レオンは苦笑しつつも私の前に回ってきた。先日見た時とは違い鎧はつけていない。ただ騎士団の制服をきていてそれがよく似合っていた。

「いえ、私は侍女に姫さまの部屋に飾るバラを取ってくるように言われただけです。でも侍女を巻いて逃げ出すのはどうかと」

「悪いのはわかってます。でも、さすがに毎日お作法、お作法ばかりで疲れちゃったの。このお城にきて外に出たのも今日が初めてなのに、これ以上お説教は聞きたくありません」

「いえ、お説教なんて、そんなつもりは……大変申し訳ありません」

 先ほどまでの笑顔がレオンの顔からするりと消え、跪くと頭を下げた。

 レオンの態度を見て先日習った家臣への態度やら考え方などを思い出す。家臣が私や王様に意見を言うのは基本的に許されていない。その時には打ち首になると教わった。

 その時は適当に聞き流していたけど、よく考えたおかしな話だと思う。そんなことくらいで殺されてたら命なんていくつあっても足りない。

「怒ってないし、王様に言いつけるつもりもないです。だから顔を上げて下さい。むしろ抜け出した私が悪いことはわかってます」

 途端に弾かれたように顔を上げたレオンは、まっすぐに私を見る。先ほどのように笑顔はない。ただ真っ直ぐ、何かを見極めるようにして私を見ている。

 その視線が少しだけ怖くて視線を逸らせば、レオンは再び頭を下げた。

「姫さまのお言葉に感謝いたします。今後このようなこと、二度とないようにいたします」

 何といっていいのかわからない。ただ年上の人に膝をついて頭を下げられるのは非常に居心地が悪い。だから、早々に話を逸らすべくレオンに声をかけた。

「もう謝るのはそれくらいにして下さい。そういえば花を頼まれたって言ってたけど私の部屋よね?」

 質問をすればレオンはようやく頭を上げるとその場から立ち上がった。

「はい、そうです」

「部屋に花瓶は三つあって、それぞれ二十本ずつ入っていたから六十本ね。この辺りのバラを切ったら寂しいことになりそうだけど」

 辺りにバラは随分咲いているけど六十本も取ってしまったら随分と色味がなくなってしまう。本当にそれでいいのだろうかと思いつつレオンを見上げれば、強張った表情で私を見ていた。

「レオン?」

「姫さま……あなたは本当に——」

「レオンさん!」

 レオンの声を遮るように生け垣から男の人が顔を覗かせた。見たことのない顔に驚いていれば、それは向こうも同じだったらしい。

 レオンの声を遮るように生け垣から男の人が顔を覗かせた。見たことのない顔に驚いていれば、それは向こうも同じだったらしい。

 お互いに声もなくただ見つめ合っていれば、レオンの声で我に返る。

「アレックス、姫さまの御前だぞ!」

 途端にアレックスと言われた男の人は膝をついて頭を下げた。

「大変申し訳ありません」

 レオンよりも少し年下に見える。レオンと同じ制服を身につけたその人に見覚えはない。恐らくレオンよりもさらに下にいる下級兵士なのだろう。

「約束していた時間にレオンさんが来なかったので探しに来ました」

「あぁ、もうそんな時間か。アレックス、私も後から行くからさきに行っていろ」

 レオンが声をかければアレックスは返事とともに深く頭を下げる。一度顔を上げ私に向かっても深く一礼すると立ち上がり背中を向けた。

 その背中をレオンと共に見ていたが、すぐにレオンの視線はこちらへと向けられた。その顔に先ほどまでの笑顔はない。むしろ鋭い視線で私を見ている。

「どうしたの?」

「姫さま、もし間違えていたら私を死刑にしてくれても構いません。いえ、既に発言の時点で何をされても文句は言えません。ただ確認させて下さい。姫さま、あなたは誰ですか? 少なくとも私の知っているソフィア様ではありません」

 正直、いずれ誰かしらには突っ込まれるのではないかと思っていた。だって私はお姫様のことなんて何一つ知らないし、侍女から少し聞いただけだ。でも私とは全然違う人だったことはわかる。

 バレたら非常に面倒くさいことになる。でもここでごまかしたらもっと面倒くさいことになる。レオンの目は確実に疑っているし、ごまかされてくれそうにない。

「あー、もう面倒くさい!」

 少し投げやりにそれだけ言えば、離れて行こうとしていたアレックスの足が止まる。そして勢いよく振り返ると呆然とした顔で口を開いた

「もしかして、琴葉か……?」

 その言葉に私はアレックスを見たまま、ただ呆然と固まることしかできなかった。

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