01.ここはどこ? 私は誰?

 ただ黒焦げになった地面を見つめて呆然としていれば、遠くから人の声が聞こえる。顔を上げてそちらを見れば、馬に乗った人がなにかを叫びながらこちらにやってくるのが見えた。

「きなこ、なにかきた!」

「ここだと隠れるところもないよ。それに琴葉のこと知ってる人みたいだよ。琴葉というよりもお姫様のことだけど」

「え?」

 どういう意味かと聞くけど、きなこはそれ以上答えない。次第に近づいてくる音に怯えながらそちらを見ていれば、馬に乗り甲冑を纏った男の人が現れた。

 私の少し手前で馬を止めると、軽い身のこなしで馬から降りると駆け寄ってきた。

「姫、ご無事ですか?」

 座り込む私の目の前に片膝をつくとこちらを伺ってくる。いかつい人なのかと思っていたけど、予想していたよりもおじさんではない。むしろテレビに出てくるイケメン並みには顔が整っていた。

 いや、むしろ問題はそこじゃない。少なくとも私はこの人に対する記憶がない。でも、この人は私を姫と信じて疑っていない。

 こういう場合、どうすればいいのか——。

「ソフィア様?」

「琴葉、人間には必殺技があるじゃん」

 男の人ときなこの声が重なる。混乱しているのに、きなこの必殺技なんて言葉でさらに混乱する。少なくとも、格闘技とかやっている人なら必殺技があるのもわかる。

 でも私は格闘技なんてやってないし、必殺技なんてものも持っていない。

「えっと……」

 困惑しつつ男の人ときなこを交互に見つめてしまう。

「テレビでやってたじゃん。きおくそーしつ」

 そんな言葉と共にきなこの瞳がキラリと光ったように見えた。正直、記憶喪失なんてドラマや小説の中のできごとで、実際に記憶喪失の人とあったことない私にはどうしていいかもわからない。

 でも、中身は日本人です、なんて言ってこのお兄さんが納得するとは思えない。

 演技なんて小学校での学芸会でしかしたことない。それでも覚悟を決めた。

「あ、あの、私は記憶がなくて……あなたは誰ですか?」

 緊張で喉がカラカラになって声が掠れる。それでも声は男の人に届いたらしい。途端に男の人は顔色を変えると、僅かに身を乗り出してきた。

「姫、まさかご冗談では」

「本当に記憶がなくて……私は誰なんですか?」

 しばらく悩む様子を見せた男の人は、改めて頭を下げた。

「あなた様はベツル国の第二王女、ソフィア=ベルツ様です。私はソフィア様に使える王宮騎士、レオン=ラーデンと申します」

「レオン=ラーデン……」

 呟いて頭の中で反芻してみるが、その名前に思い当たるものはない。むしろ外国人に知り合いなんていないし、ラノベにある騎士の格好したお兄さんに知り合いはいない。

 ついでにこの体の持ち主であるお姫様の記憶を取り出せるものでもないらしい。

「姫さま、本当に記憶がっ!」

「ごめんなさい。本当にわからなくて……」

「ツッ!」

 まさに雷にでも打たれたような顔で硬直したレオンだが、すぐに表情を取り戻すと手を差し出してきた。

「とにかくここは危険です。一度城へ戻りましょう」

「城……」

 どうやら本当にきなこが言ったように私はお姫様になってしまったらしい。でも違和感ありまくりだし、こんな急にお姫様です、なんて言われても困る。

 中身は違う偽物のお姫様になった。悪いことをしているような気分になるのは嘘をついているからだ。

 でもここに置いて行かれたらもっと困る。

 この人がお姫様とどういう関係なのかわからないけど、差し出された手に自分の手を乗せた。途端に手を握り引き上げられると、レオンと共に立ち上がる。

「姫さま、急いでこちらに向かったため馬車はありません。姫さまには騎乗して頂きたいと思います」

「きじょう……馬に乗るんですか?」

「はい、そうです。お願いいたします」

 その言葉とともに馬へと手を差し伸べられたが、馬に乗ったことなんてない。だから乗り方だってわからないし、そもそもこのヒラヒラしたドレスでレオンのように馬に乗れる筈もない。

 途方に暮れながら自分の背丈よりも高い馬を見上げる。不意にこちらを向いた馬の目は澄んでいて、ビー玉のように綺麗なものに見えた。

 何となく手を差し出してみれば、馬が顔を近づけてくる。あと少しで触れるというところっで横から出てきた手に腕を掴まれ引き剥がされた。

「え?」

「姫、何をしているんですか! 馬というのは慣れない人間に対しては凶暴なものなのです!」

 レオンの怒鳴るような強い口調に首をすくめる。

「そう、なんですか?」

 馬が凶暴なんて話は初めて聞いた。レオンの勢いもあって困惑しながら答えれば、レオンは慌てた様子で跪いた。

「ご無礼を申し訳ありません」

 頭を下げたままのレオンを見下ろしながら、どうしていいか悩んでしまう。間違いなくうかつに馬へ手を伸ばしたのは私で、そんな私を心配してレオンは怒ったのだろう。

 それはわかる。わかっているけど、顔を上げる様子もないレオンにどうしていいかもわからない。

「あの……顔を上げて下さい」

 お願いしてみたけどレオンは顔を上げない。何度か同じ言葉を繰り返してもレオンは「申し訳ありません」を繰り返すばかりだ。

「レオンさん、本当に顔を上げてくれないと……」

 だがレオンは勢いよく顔を上げると、若干青褪めた顔色で僅かに口を開いた。

「姫さまは臣下に対し敬称をつける必要などありません。そんなことをすればベルツ国そのものがバカにされます。そうなれば姫さまの父上や母上、果ては兄上や姉上にもご迷惑がかかります」

「そう、なんですか?」

「記憶がないのは重々承知しておりますが、これだけはお忘れなきよう。私はレオンとお呼びください」

 ここは私がいた世界とは全く違う世界で、私の立場はお姫様。わからないことばかりだから、ここはレオンに従うのが正しいのだろう。

「わかりました」

「姫さま、あなたの発言で国王の立場が傾くこともあります。そうなれば国内の住人にも影響が及びます。発言には気をつけて下さい」

「でも記憶がない状態ですからどう気をつければいいのかもわかりません」

「では、城に戻るまでお話を控えましょう。失礼します」

 そんな言葉と共にレオンは立ち上がると軽やかに馬へと騎乗する。それから私へと手を差し出してきた。

「姫さま、こちらへ」

 困惑しつつも言われるままに手を差し出せば、グッと引き寄せられ体に腕を回される。一瞬にして足元に地面がなくなり、次の瞬間には馬の背に座っていた。

 視界が高い。それにより先ほどまで見えなかった遠くまで見渡すことができる。太陽に照らされ青々とした草原がひたすら続き、風で草がなびく。そよぐ草で風の模様ができて水面を思わせる。

「なんだかキレイ……」

 それはちょっとした感動で思わず呟いた言葉だった。背後で笑う気配があって振り返ってみたけど、レオンの表情は変わらない。

「ゆっくり行きますよ」

「あ、待って下さい。きなこ!」

 呼びかければすぐさまきなこは膝の上に飛び乗ってきた。

「ネコ、ですか……どうされたんですか?」

「ひ、拾ったので連れて帰ろうかと。ダメですか?」

「いえ、ネコでしたら大丈夫かと」

 それだけ言うと、レオンは私のお腹に腕を回すと片手で馬を操作し始めた。ゆっくりと馬の背に揺られながら草原を進む。

 息を吸えば草の匂いが胸に心地良い。こうして自然に触れるのはもう何年ぶりかわからない。記憶が正しければ小三の時に行ったキャンプが最後だったかもしれない。それ以降はひたすら勉強……。

 一層のこと、勉強、勉強っていうくらいなら、楽しい勉強の仕方を教えてくれたら良かったのに。

 ため息をつきそうになるけど、きなこの呼ぶ声で顔を上げれば草原のずっとさきに高い壁が見えてきた。

 もう勉強をうるさく言う親はいない。勉強しろと押し付けてくる塾の講師もいない。

 だったら目一杯楽しまないと損だ。

 近づいてくる高い壁に落ち着かない気持ちになりながら、ワクワクが止まらない。

 小説の挿絵にあったような城が本当にあるのか、あの壁の向こうはどうなっているのか。想像するだけでも楽しい。

 けれども、レオンは馬の手綱を引いて足を止めると、背後からなにかを取り出した。

「姫さま、このまま城下へ入れば騒ぎになります。これをお被り下さい」

 差し出されたのは物を受け取り広げてみれば大きな一枚の布だ。でも、こんな大きな布をポンと渡されてもどうしていいかわからない。

 どうしたものかと悩んでいれば、レオンは微かに笑みを浮かべると私の手から布を取ると頭の上からふわりとかぶせてくる。

 途端に視界は狭くなり薄暗くなる。

「こちらを持って下さい。そしてしばらく顔を出さないようにして下さい」

 促されるままにきなこを抱いたまま布を持てば、レオンは再び落ちないように腕を回してきてからもう片方の手で手綱を握る。再びゆっくりと馬が歩きだし、少しすれば喧騒が耳に届くようになる。

 ざわめきが徐々に大きくなり馬が止まる。

「レオン、見つかったのか!」

「あぁ、これから城へ戻る」

「こっちから入れ」

「すまない」

 そんな遣り取りの後に再び馬が進み出す。

 ざわめきはさらに大きくなり、先ほどまでの草の香りはもうしない。その代わりに食欲を刺激する匂いと花の香りが混じり合う。

 多分、壁の向こう側に入った。そしてここは町中なんだと音からわかる。

 どうしていいかわからないから、レオンに言われた通り顔を見せないように隠しながら喧騒だけを楽しむ。

 子どもの声、お母さんの声、商売の声、馬の蹄の聞き慣れない音。色々な音が混じり合って活気溢れる場所だということもわかる。

 でもそんな音を十分も聞いていれば、徐々に喧騒も消え馬の蹄の音だけ目立つようになる。だがそれもしばらくすると足音が止まり、馬の進みが止まる。

「王宮騎士、レオン=ラーデン戻りました」

 レオンの先ほどよりも大きく響く声に思わずビクリと身が竦む。だが、抱え込む腕に力が僅かに籠もり背中を優しく叩かれる。詰めてた息を吐き出せば、鈍い音と共がして思わず布の隙間から覗き込んだ。

 斜め前にあるのは城壁とゆっくりと降りてくる巨大な橋だ。鎖に繋がれた橋はゆっくりと降りてくると、最後に大きな音を立てて完全な橋となった。

「もう布を外しても大丈夫ですよ」

 先ほどとは違い優しい声に恐る恐る布を取り去る。橋に手すりなんてものはなく、橋の端からは深い溝があってずっと下の方で水が流れている。

 まるで昔旅行で行った大阪城みたいだ。勿論、和風ではなく洋風だから外見は全く違う。

 そして橋の向こうはまさにお城までの一本道となっていた。色鮮やかな石畳、両側には芝生が広がり花壇と噴水があって、まるで夢のような景色が広がっている。

 ゆっくりと城に近づいていけば、城の前では多くの人が集まっていた。近づく中で中央にいるのが王様と王妃というのはすぐにわかった。明らかに身なりが違う。

 人前で一旦馬が止まると、レオンはすぐに馬から下りた。

「姫さま、失礼致します」

 そんな言葉と共に腰に両手を回され、馬から下ろされる。途端にメイド服の女性たちが近づいてきて布を取ると、こちらへと促される。

 でも、どうしていいのかわからない。思わずレオンを見れば、レオンが口を開いた。

「姫さまは記憶を失われた様子だ。丁重に頼む」

 途端にざわめきが大きくなり、すすり泣く声までどこからとなく聞こえてくる。

「レオン、報告しろ」

 強い口調が聞こえ身を縮めれば、レオンは王様の前で跪き報告を始めた。それを見ていれば、不意に隣に人が立つ。見ればそれが王妃だというのはわかった。

「ソフィア、私がわかるかしら」

 レオンの話だと私はこの国の第二王女ということだった。なら、王妃は私のお母さんということなのだろう。だが心配そうな顔を見ても記憶にはない。私のお母さんはやっぱり記憶にある一人だけだ。

 知らないとは言えず、首を横に振ることで否定すれば王妃は途端に悲しそうな顔をする。

「私はあなたの母よ。とにかく汚れを落としてそれから話をしましょう」

 優しく温かみのある心配する声だ。途端に申し訳ない気持ちになる。本来であればこの気持ちもソフィアが受け取るべきものだ。

 中身は柊琴葉でソフィア=ベルツではない。ならソフィアはどこへ消えてしまったのだろうか。

 背中に王妃の手が回り、促されるように歩きだす。レオンが叱責を受けている声が聞こえて、少しだけ気になったけど足を止めることはできなかった。

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