第9話 飢えた牙、宵を食む


  ナイトクラブ「シリウス」は馬久津町で最も大きな商業ビルの地下一階にあった。


 客層は中高年が多く、私はスーツ姿の男性客に紛れて壁伝いにカウンターを目指した。


「おひとりですか?」


 訳ありと見たのだろう、初老のバーテンダーが落ちついた口調で私に尋ねた。私は警察手帳を近くの客からは見えない角度で提示した。


「お席へどうぞ。……ご注文は?」


 こういうことに慣れているのか、バーテンは如才なく私をあしらった。私はカウンター席につくとジンジャーエールを頼んだ。


「この店に京子さんていう歌い手さんはいるかしら」


 私が小声で問いを投げかけると「おります。彼女が何か?」とバーテンが返した。


「ちょっとね。彼女目当てに来ているようなお客は?……もちろん、男性で」


「そうですね、ショータイムの直前になるといらっしゃる男性が一人。痩せた方です」


「どのくらいの頻度で来るの?週に二、三度くらい?」


「それにお答えする前に、一つうかがってもよろしいですか」


「何かしら」


「実は数日前にもやはり警察の方が、全く同じ質問をしにいらっしゃいました。私の記憶では、大抵刑事さんと言うのは二人組で行動されるようですが……その方に心当たりは?」


「あるわ。たぶん同僚よ。私たちは同じ人間を追っているの。それ以上は今は言えないわ」


 私は不審がられることを承知で捜査内容の一部を口にした。バーテンは目の奥に訝るような色を一瞬、見せた後「そうですか」と言った。


「お探しのお客様は、今まで三度ほど来られました。三度目の時は、先ほど申し上げた刑事の方がいらっしゃっていた時で、その時以来、お見かけしておりません」


 ケヴィンが……私は困惑した。もしケヴィンか聖人が数日前に京子と接触したのなら、私が聞きこみをした際にそのことを話しているはずだ。……となると、二人が京子と接触していないか、あるいは京子があえて二人のことを黙っていたかのどちらかに違いない。


 ――いったい、何をしようとしているの、ケン坊。


 私が苛立ちを募らせているとフロアの照明が暗くなり、ショータームが始まった。

 ミラーボールの灯りに照らされてステージに現れたのは、スパンコールをちりばめたタイトなドレスに身を包んだ京子だった。私は京子がジャズナンバーやゴスペルを歌っている間中、息を詰めて誰かが入ってこないか眺め回していた。結局、薄暗いこともあってカウンターから見える範囲には人の動きはなかった。


 歌い終えた京子は深々と一礼すると、バックの紹介を始めた。私はそっと席を離れ、壁の方に移動した。出口にたどり着いてステージを振り返った瞬間、アンコールに応えようとしている京子と目が合った。一瞬、目を瞠った京子の顔には「ここまで来たの」という驚愕の色が貼りついていた。

 

 ――間違いない。彼女は聖人と会っている。ではなぜ、私にそれを言わなかったのか?


 私はいったん廊下に出ると、来店時とは逆の方向にある階段を上った。予想通り、階段を上ったところは通用口の前だった。私はビルの裏手に出ると、自動販売機の前に立った。


 ――しばらく、ここで張り込んでみるか。


 私が肚をくくって自動販売機の影に身を潜めた、その時だった。私の耳が獣の唸り声のようなものを捉えた。まさか。私は思わず身がまえると、闇を見つめた。同時にふーっ、ふうーっという息遣いが聞こえ、少し先の闇に黄色く光る二つの目が浮かびあがった


 ――人狼?まさか。


 私が駆け出そうとした瞬間、があっという咆哮と共に、闇の中から人間とも獣ともつかない黒い影が、私めがけて襲いかかってきた。 

            

               〈第十回に続く〉

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