第7話 野生の血、涙を呼ぶ


「警察の方……ですか」


 私が提示した手帳に目を落としながら京子・アンダーソンは呟いた。


「神谷勝一郎さんから、お名前をうかがってきました。昔、アメリカで勝一郎さんの息子さんと親しくしてらしたそうですね?」


 私はなるべく詰問調にならぬよう、穏やかな口調で尋ねた。


「あ……はい、聖人さんのことですね。そうです、一年ほどですけど……」


 一年というのは交際していた期間に違いない。即答したところを見ると隠そうという気はないのだろう。


「聖人さんとは、私が十九歳の時にカレッジで知り会いました。お友達のケヴィン・犬塚さんという方と三人、動物好きという事でウマがあって、そのうち聖人さんから告白されてつき合うようになりました。でもその後、聖人さんとケヴィンさんは聖人さんのお父さんが買ったアリゾナの家で動物を飼うようになり、私とは会えない時間が多くなりました」


「そのケヴィンって言う人、実は私の同僚なの。今のお話、もう少し聞かせてくれる?」


「はい。先ほども言いましたように、私も動物が好きだったので思い切って二人の家に押しかけることにしたんです。聖人さんは狼を、ケヴィンさんはコヨーテを飼っていました」


 京子がそこまで言った時、リビングの奥の方からどたんという音と「うう」というくぐもった唸り声が聞こえてきた。


「……今の音は?」


「あ、弟です。私は今、ナイトクラブを経営している男性と暮らしているんですが、弟が日本に来たいと言ったら「じゃあうちに住めばいい」って言ってくれて……まだこっちに来て日が浅いので時々、気持ちが不安定になるんです」


「そうなの……早く落ち着くといいですね」


「ありがとうございます。……それで、動物も交えた同居生活が始まったんですが……半年ほど経ったある時、私が不注意で聖人さんが可愛がっていた狼を興奮させてしまったんです。大事には至らなかったんですが、足を少し噛まれて、病院に行く事になりました」


「それは大変でしたね。やはり野生の血が蘇ったりするんでしょうか」


「そうかもしれません。彼は許してくれたし、むしろ私に怪我をさせたことを心苦しく思ってくれたようでした。ですが……」


 そこまで言うと、ふいに京子は口ごもった。私は彼女がその先を口にするのを待った。


「実はその話が私の父の耳に入り、父は私の不注意を諫めず聖人さんの狼に憎しみの矛先を向けてしまったのです。父は私たちが隣町に食事に行っている間に狼たちの檻に近づき、私を噛んだと思われる一頭を猟銃で射殺しました」


「なんてことを……」


「このことで私と聖人さんたちの関係がぎくしゃくしてしまい、結局、私たちは別れることになりました。聖人さんは父の狼藉を責めることなくなんとか立ちなおってくれましたが、やはりショックが大きかったのか、狼を飼うこともケヴィンさんとの暮らしも止めて引きこもってしまったのです」


「そんなことがあったんですか。……ところであなたが日本にいることを二人は知っているんですか?」


 私が尋ねると。京子は無言で首を振った。


「私が日本に来たのはたまたまで、聖人さんを追いかけてきたわけではありません。二人に逢いたい気持ちがないといったら嘘になりますが、あんなことがあった以上、私からはなかなか連絡を取りづらいというのが本音です」


「そうでしょうね。……ところで、ケヴィンと聖人さんの共通の知り合いで、今は日本でステーキハウスの店長をされている植草さんという方を知っていますか?」


「あっ、はい。知ってます。私たちが共同生活をしていた頃、近くに住んでいた人でよく、食事に招いて下さいました。……ただ、聖人さんにしばしば「狼をゆずってほしい」と持ちかけていたので、二人は少し距離を置こうとしていたようです」


 ふうん、と相槌を打ちつつ、私はアメリカ時代にこの植草と聖人の間に秘かな確執があった場合のことを思い描いていた。もし帰国した植草が、再会した聖人に脅しのような、なにか琴線に触れる発言をしていたとしたら……


 ――少なくとも、植草の事件とチンピラの事件は聖人という糸で繋がってしまう。


 私がとりとめのない想像に耽っていると、またどこかで呻き声と物音が聞こえた。

「すみません、今日は何だか落ち着かないみたい……」


「あんまりよその人が長くいるとよくない見たいですね。私はこのへんでお暇します」


 すみませんと頭を下げる京子に辞意を告げ、私は小奇麗なマンションの部屋を後にした。


              〈第八回に続く〉

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