それでも冷えたこの手が

空音ココロ

それでも冷えたこの手が

 僕の右手は冷たい。

 それは僕の右手は僕だけでどうにかできるものではないからだ。


 僕と彼女は高校に入った初日に出会った。

 お互いに方向音痴で体育館に行くはずだったのに正反対の飼育小屋に到着していた。偶然飼育小屋で顔を合わせた僕たちはお互いに道を尋ねようとして声をかけて、お互いに迷ってしまっていたことに笑っていた。

 彼女の名前は黒木玲子、肩の下まで延びたロングヘア―とパッツンときれいに揃えられた前髪が特徴的だった。顔は平凡、僕が言うなよと思うけど、笑った顔が可愛い普通の女の子だった。


 そんな彼女と何故か飼育小屋を一緒に世話をすることになり、ウサギや鶏、そしてロバの世話を毎日していた。どうして高校に飼育小屋がと思うのだけど、自然と触れあう機会を多く持ちたいという先代校長の思いから設置されていたらしい。

 しかし先代校長から現校長に変わってからは自然の趣を大切にするというよりはITなどの先進的なイメージを前面に出した施策が多くなっていた。その陰で先代校長の遺産ともいえる飼育小屋は通う人も少なくなっていた。


 クラスから交代で持ち回りをすることになっていたが関わりたがらない者が多いことと、僕と彼女が断らない性格だったことから半ば押し付けられるようにして世話を続けていた。

 断っておくが、進んで世話をしているつもりはないので「お前が好きみたいだから譲ってやっているんだよ」とか自分はやらないくせに恩着せがましく言われるのは心外だ。

 ただ、彼女と会いたいので続けているというのは半分くらい、いや、半分以上嘘ではないので表立った理由としては上げないものの、モチベーションを保つ要素にはなっていた。


 彼女は動物たちに名前を付けていた。

 とは言っても結構安直でうさぎがモフモフしているからモフミとかフニコとかロバはロバートで、鶏はポッポーだった。可愛いような単純のような、でも彼女が呼び始めてから僕も一緒になって呼んでいた。


「今日のモフミはよく餌を食べるね」

「こらっ、ポッポーそっちに行っちゃダメだって。って、あ、卵産んでる!」

「うさぎさんの眼は赤いですねー。寂しくなって泣きそうになってるのかなーってあー、逃げられちゃった」

「そんなにスキンシップ激しくしたらダメだって。ウサギは夜行性なんだから」

「だってー、まぁしょうがないか。君たちが夜に荒らした小屋の中を大人しく片付けておくか、しょうがないなー、可愛いからなー。そういや卵どうする? 食べるの?」

「どうしよっかー、でもこれヒヨコ産まれたらまた大変だし」

「え? ヒヨコ、いーなー。ねぇこのままヒヨコになるの待ってみる!?」

「玲子が温めるの?」

「んー、割らないよに出来るかなー、ってあー!ポッポーごめんって。取らないから突かないで」

「ロバート、今だ、玲子にスキが出来てるぞ」

「ちょっと何けしかけてんのよ。ちょっとくすぐったい、ロバート鼻息荒いって」


 僕らが通った飼育小屋は勉強をする校舎の中とは違う世界で、なんだか僕たち二人はここにいる動物たちのお父さん、お母さんになった気分だった。

 飼育小屋の前で偶然出会って、同じ世話係になって、お互いに平凡な僕らが動物を挟むことで自然に会話を出来るようになっていた。飼育小屋様々と思う。

 そんな僕たちの間で交換日記をするようになったのは世話係を初めて半年ほど経ってからだった。


「みんなの様子をノートに残しておこうよ」


 そう言った彼女と日替わりで飼育小屋の様子を記していく。

 他愛も無い動物たちの姿。猫や犬の写真をSNSにアップしている人達がいるけれど、僕たちは二人だけの思い出のショットを文字にして交換していた。

 とは言っても、狭い飼育小屋なので動物たちのネタは定期的にやってはきていても毎日書いていたら書く内容は決まってきてしまうものだ。

 動物たち以外の話で、学校の勉強でここが分からなかったとか、美味しい喫茶店が出来たみたいだよとか、商店街にあるペット屋さんのフェレットを見に行きたいとか、雑談が増えていって僕はそんな日記を読むのも、書くのも毎日楽しみにしていた。


 一年ほど経って世話係を新しい1年生に引き継ぐ頃には僕らは彼氏彼女の関係になっていた。新しい1年生に引き継いで、ずっと一緒だった動物たちと別れるのは名残惜しかったけれど僕らは笑顔で1年生に引継ぎをした。ちょっと気がかりだったのは1年生はあまり乗り気じゃなさそうだったことだった。。


「しばらくは様子見に来るから、分からないことがあったら聞いてね」

「なんか先輩たちだいぶ慣れてますね、名残惜しいんだったらそのまま続けてくれてていいんですよ」

「いつまでも僕らがやるわけにはいかないんだよ。先輩から後輩へ引き継がれていって、君たちも先輩になって後輩に引き継いでいくんだよ」


 初対面ではふくれっ面をして目を合わせずに草を食っていた彼らだったが、引継ぎをしている間は普通に世話をしているように見えていた。なんだかんだいって真面目な子たちなのだろう。

 1カ月ほどしてから少し不安はあったけど僕らは飼育小屋は彼らに任せることにしたのだった。それに飼育小屋にもずっとついてる先生だっているのだから。

 僕らも1年間やってきた、だから彼らも大丈夫だろうって。


 でもその日は突然やってきた。


 朝、学校へ行くと黒い煙が飼育小屋から上がっていた。

 急いで走っていくと赤く燃える飼育小屋が目の前にあった。


「モフミ! フニコ! ロバート!」


 飼育小屋の方へ駆け寄ろうとする僕は先生の手によって止められていた。


「危ないだろ! 離れてなさい」

「でも、先生、あそこには……」


 燃える飼育小屋の前で呆然と立ち尽くす僕、少し離れた場所に1年生の姿が見えた。1人は火を見て立ち尽くしている。もう1人は不思議な笑みを浮かべていた。まさか、あの子が……。頭の中で良くない思考が回想する。


 今はダメだ。

 冷静になれ、今はダメだ。


 きっとみんな逃げている。

 動物たちは火を恐れるんだ。

 火を見て近くの木の根元にでも逃げてくれているだろう。

 さすがに卵は焼けてしまっているだろう。ポッポーの哀しそうな顔が目に浮かぶが、また元気に卵を産んでくれるだろう。


 教室へ行きなさいと言われた僕は先生に追い払われるようにしてその場を離れた。しばらくしてサイレンの音が聞こえて消防車と救急車が教室の窓から見えた。あの程度の小屋なら燃えるものが無くなって火も弱まっていることだろう。休憩時間にでも行って様子を見ればいい。

 そう思っていたが警察が来て、教師によって立ち入り禁止にされて飼育小屋へ近づくことは出来なかった。

 飼育小屋の先生に話を聞こうと思ったのだが、事情聴取だのでどこにいるのか全く見つからなかった。

 そして僕にとって一番問題だったのは彼女の姿を今日は見掛けていないことだった。携帯を鳴らしても、メッセージを送っても既読になることは無かった。

 クラスの人に聞いても知らない、先生に聞いても分からないと言った。



 学校を出た足で彼女の家へと向かったが誰もいなかった。

 直感的にそのまま学校の飼育小屋へ向かった。立ち入り禁止のテープは張られていたが、周りにはもう誰もいなかった。


 夕暮れ時、空が橙色に染まり影はより一層闇を深める頃。

 まだ焼けた煤の匂いが残っており、何度も足を運んだはずの場所なのに空を飛ぶ鳥でさえ不気味な印象を与えていた。

 飼育小屋の扉は焼け落ちており、中を簡単に見ることが出来た。

 良く見ずとも小屋から逃げ出せなかったであろう無残にも焼けただれた塊があった。今となっては何が何の塊なのかいまいちわからない。

 陽だまりのように僕らを照らして繋いでくれた彼らは真っ黒な闇へと変わり、全身の血がどこかへ消えていくような感覚に襲われる。

 きっと彼女はこれを見てしまったのだろう。

 僕よりも彼らを愛していた彼女ならこの衝撃は僕の何倍もの苦しみになっているはずだ。どこに? 彼女はどこに行ったのだろうか?


 壁には必死に掘られた穴があり、首を突っ込んだままと思われる塊もあった。

 かつて掘られた穴を慌てて埋めた記憶が蘇る。あの時もっと掘らせておけばと後悔が湧き上がってきた。


 穴の底、暗い所を見ていると自分もそこへと落ちていく気がした。全身から抜けていく血、元気だったみんなと遊んでいた記憶が僕の気持ちを満たしてくれる。この場所にかつてあったものが、また取り戻せるのなら僕に出来ることならなんだってしよう。目に涙が溢れて来て視界が霞んでいく。


 そして目の前が暗闇に包まれた。

 生気を失った僕はただそれを受け入れて暗闇の中で目を開け続けていると目の前にモフミやロバート、ポッポーの姿が見えた。ロバートが僕の服を引っ張っぱる。モフミが自分から僕の手元に来るなんて珍しいじゃないか、今日は餌持ってないよ? はは、ははは……、なんだみんな元気そうじゃないか……。


「駄目よ」


 冷たい手が僕のことを引き寄せる。

 ロバートが僕の服を放して歩いて行く。モフミも僕の手からするりと抜けていってしまった。あぁ、置いて行かないでくれ。


「駄目よ、あなたは駄目」


 握られた手の方を振り向くと彼女の姿があった。


「探したよ」

「ごめんね」


 彼女の姿はおぼろげで、きれいに揃えられた前髪と肩の下まで伸びた髪があるのははっきりと分かった。そして耳に響く声が玲子だと確信を持たせていた。


「駄目なのか?」

「えぇ、あなたは駄目」

「それを言ったら君も駄目だろう?」

「いいえ、私はもう駄目なの。だからせめてあなただけは……」


 彼女の手は冷たく、僕は両手でしっかりと手を包む。


「ごめんね、ありがとう。私の好きな人、来てくれてありがとう。でも来ちゃ駄目よ。駄目だからね。あなたは優しい人。私の好きな優しい人のままでいて。私の手が冷え切ってしまっていても、それでもこの冷えた手があなたを帰せるのであればいくらでも差し出しましょう」

「何を言ってるんだよ、ほら帰るよ」


 僕は彼女を連れて手を掴もうとするが彼女の手だけがするりと崩れ落ちた。そのまま彼女は遠くの方へと消えて行ってしまっていた。


 僕が目を開けるとそこはベッドの上で、飼育小屋の先生が顔を覗いていた。


「心配したぞ、あんな危ない所に行って、屋根が崩れ落ちたのに巻き込まれて倒れていたんだ。運良く見つかったからいいものの」

「あ、えと。すいませんでした」


 あまり状況が飲み込めていないが、ここは病院らしい。

 僕は体を起こそうとすると先生に肩を押さえられて寝かせられた。


「まだ寝ていなさい」


 僕ははっきりと見える白い天井を見つめながら考えていた。


「あの、黒木さんは……」

「あぁ、お前はまだ知らなかったな……」


 彼女は燃える飼育小屋を見て飛び込んでいったらしい。

 狭い飼育小屋とは言え、扉もしっかりある。中に入ったのはいいものの、非力な彼女では出られなくなってしまったようだ。

 その姿は1年生が目撃している。

 そして火が消えた後、崩れた建屋に手を挟まれた状態で見つかった。手の一部は潰れて見つけられたなったという。それくらい激しい衝撃が加わったということなのだろう。


 そもそも火がついたのは1年生が掃除をした後のゴミを捨てに行くのが嫌で燃やせば何とかなる安直な考えを働かせてふざけていたのが原因だったようだ。

 彼らには失望を通り越して怒りの感情が湧き上がっていたが、優しい人のままでいてという彼女の言葉が怒りを鈍らせた。それでもこの火が消えることは無いだろう。



 悔いが残ることがあるとしたら、彼女に好きな人と言われた時に僕が何も返せなかったことだ。最後に愛しているの一言を伝えられなかったことが心に引っかかっている。


 あれから十年以上が過ぎて、もう一度恋をして結婚をした。

 彼女から優しい人でいてという言葉は胸に残ったままだ。

 彼女に伝えられなかった想いは、二度と伝え忘れないようにと事ある毎に口にするようにしていた。


 あの日以来、少し気になることがある。

 飼育小屋で彼女と別れる時に彼女と繋がっていた右手はあの時から冷たいままだ。妻は心の温かい人は手が冷たいというので気にしてはいないが、右手だけが妙に冷たかった。

 そして愛していると言葉を囁くたびに冷たさが増している気がしてしょうがない。

 僕は思う。きっと私の手はまだ彼女と繋がったままで、愛しているという言葉に彼女が答えてくれているのだろう。彼女が生きていた証は僕と繋がったまま残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それでも冷えたこの手が 空音ココロ @HeartSatellite

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ