6 決意の表れ
「とりあえず、座りなよ」
直子がいなくなった後も、セダンが停まっていた場所をいつまでも見つめている誠生に向かって真紀が声をかけた。誠生は小さく頷いて席につく。そこに先程の女性の店員がやってきて、誠生の前に水を置く。
「コーンスープでよろしいですか?」
「はい?」
誠生が素っ頓狂な声を上げる。無理もない。
「誠生、ここは『イエス』って答えるべきだ。でないと、整合性がとれない」
真紀は笑いを堪えながら言う。誠生は、わからない、というように首を捻りながらも、「じゃあそれで」と答えた。店員がしてやったりという表情で去っていく。
しばらく沈黙が続く。真紀は例の手紙に関する一つの可能性について考えていた。
「それで」と誠生が先に口火を切る。「話って何?」
「話?」
なるほど、私が呼び出したことになっているらしい、と真紀は合点する。とすれば、だ。
「手紙を見せてくれる?」
「手紙? いいけど。見せてくれって、自分が書いたんだろ?」
ぶつぶつと文句を言いながら、誠生が鞄から便箋を取り出す。
『今日午後六時に、イエローで待つ。 真希』
この店がイエローという名前であることに真紀は今気づいた。
「真紀の『き』って、紀元前の『紀』だろ? どうして自分の名前を間違うんだよ」
確かに。
「それはあれだよ、ちょっと気分転換」
「気分で名前を変えれるんだったら、俺は明日からミック・ジャガーを名乗るよ」
「明日までに気分が変わるといいわね」
そんな話をしていると、コーンスープが運ばれてきた。真紀は淡い期待を抱いたが、残念ながら店員はカップを置くとそそくさと引き返していった。
「で、話って?」
よほど気になるのか、誠生は先を急がせる。そのくせ、さっきから一度も目を合わせようとしない。
「もともと話があったのはそっちだろ?」
「え?」
「屋上に呼び出して、何て言うつもりだった?」
誠生の顔がわかりやすく赤らむ。
「わかった。順を追って質問するよ。『屋上で待つ。一人で来い』 あの強気な文面は何だ?」
「決意の表れ」
「何で赤字で書いた?」
「決意の表れ」
「どうして自分の名前を書かなかった?」
「単なる度忘れ」
「そういうのは度忘れとは言わない。呼び出して何て言うつもりだった?」
「『俺と付き合ってくれ』」
真紀が何らかの反応を見せる前に、誠生が少々大げさに顔の前で手を振った。
「ごめん、嘘だ。嘘」
「嘘?」
「最後から二番目の『単なるど忘れ』っていうのは嘘」
「じゃあ何?」
「わざと書かなかった」
「何で?」
「書いたら捨てられると思ったから」
「どうして?」
「だって、俺と真紀の仲だよ? 幼稚園からの腐れ縁だ。どうせ、『なんだ、誠生か』でポケットにねじ込んだが最後、洗濯機の中で散り散りになっても、もはや何の紙だったか思い出せないのがオチだ」
「確かに」と言ってから、いくらなんでもかわいそうかと思い直す。「まぁ、放課後までには忘れてた可能性はあるけど、捨てたりはしない。ついでに言うと、洗濯機にかけるようなミスもしない」
何とでも、というように誠生が眉を上げる。
「真紀の番だよ。答えは?」
本当のことを言えば、こういうのは苦手だった。心臓が波打っている。
「そうだな」と真紀は考えるふりをしながら、落ち着きなく足を組みかえる。「『少し考えさせてくれ』」
誠生の表情は残念そうというよりは、つまらなそうだった。絶対にあっていると自信があった数学の問題の答え合わせをした、という感じだった。
「そう言えば」と真紀は言う。「いま思い出したことが三つある」
「何?」と誠生は言う。『今度は何?』の『何』だ。
「この週末は特に予定がない。中目黒においしいカレー屋があるらしい。私は一人で食事をするのが嫌いだ」
誠生が何と答えるか、気恥ずかしさを堪えて待ったが、その口から出た言葉は真紀にとって少々意外なものだった。
「少しずつ前に進んでいこう」
そう言うと、誠生は真紀の顔を見ることなく、窓の外に視線をやる。豪雨に洗われた街は夕日を受け、さらに黄色の度合いを増していた。ガラスの向こうのビルに区切られた空にはくっきりとした虹がかかっている。
「これからもよろしく」
そう言って真紀は手を差し出した。
Safe <了>
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