第41話 プラン
シャワーを浴びて埃を洗い流したラウラは髪を拭きながら食堂に入った。このところ慌しかったせいで染め直す機会のなかったネオングリーンの髪は、根元はブルネットに戻ってきている。炊事場には金髪をタオルでまとめ上げた後ろ姿。先に上がっていたアデルが電気コンロを使ってお湯を沸かしていた。
「何個?」アデルがワークトップの上に積み上げた缶詰を指ではじいた。
「二つ。あいつら帰ってきた?」
「まだみたいね」水面の揺らぐ鍋に六つを投げ入れる。「連絡はきてないの? それとも、もう死んでるとか?」
「縁起でもないからやめて」
タブレットを確認すると着信が二件あった。どちらも作業の経過報告で、好き勝手に書かれた文面──現在依頼を遂行中。こちらも交戦あり。傍受したデータは依頼者に送りつけると同時にデータサーバにも保管してあるから暇があったらそっちでも調べておいてくれ。
「しばらく戻ってこないかも。合流しろってメール出す?」
「いいんじゃない? 折角やる気になってるんだから、水を差すこともないわ。攻めには勢いが無いとね」
アデルがシンクにお湯を捨てて鍋ごとテーブルに持ってくる。余熱に手間取りながらリングを引き起こしてプルトップ缶を開け、成型肉にフォークを突き刺す。
「これを食べ終わったら、拠点を換えましょう」
「移動? ここがばれたってこと?」
「追跡には十分気を使ったけど、当たりをつけられていてもおかしくはないわ。カメラを全部回避できたっていう確証もないわけだしね」
ラウラがまだ熱い缶詰をお手玉しながら、にわかに愛着の沸いてきた部屋を見渡した。長いこと使われていなかったおかげで汚れも少なかった労働者用の集合住宅。
「荷物、どうしよっか」
「必要最低限で。仕事道具と、それから水と食料が少しね」
「やっぱりそうなる?」
ラウラが方々走り回って集めた下着と服と靴に別れを告げていると、食堂に三人目が入ってきた。
「すみません、勝手が分からずに手間取ってしまいました」
生まれて初めてのシャワーを終えたリリアがプラチナブロンドを模した細糸のような物体から水を滴らせながら歩いてきた。メッシュのパーカーが半分濡れてしまっている。ラウラは自分の首にかけていたタオルでそれを拭いてやった。
「漏電しなかった?」
「問題ございません。防水性能には自信がございます」
ラウラは思わず口笛を吹いた。自信ときた──少し前なら不備は無いとでも表現していただろう。日頃の学習のおかげか、随分と口語表現にこなれてきたように思える。
「そういえば最初も水に浸かってたわね。話、聞こえてた?」
「もうしわけ──」
「そういうときはYESかNOでいいのよ」
「いいえ」
「移動するわ」ラウラがタオルを自分の首に戻した。「準備しておいて」
リリアが頷いた。「すぐにでも。バッテリーは十分です。重量の関係からあまり重いものを運ぶことはできませんが」
ラウラは笑って缶詰のフルーツを全部口にいれ、残ったシロップを全て流しに捨てた。色気もへったくれもないウインドブレーカーに袖を通し、髪をまとめて赤い帽子を被る。鏡は必要ない。見せる男もいない。アデルの方は既に準備を終えていた。スーツは下だけ残して上はブラウスのみ、大型のガンケースに通したベルトを肩にかけている。
「ああ、そうそう」ラウラは肩越しに振り返った。「聞きたいことがあるんだけど」
リリアが両手を揃えて首を僅かに傾げる。「なんでしょう」
「あのとき、なんで撃ったの?」
街で遭遇した狙撃手。リリアの機転がなければ危なかったことは十分承知している。だが、それでも腑に落ちないことがある。
「あの状況下ではそれが最善だと判断したからです」
「もしかして、わざと外した?」
「いいえ」
「じゃあ、殺すつもりだった?」
「はい」間を置いての返答。
ラウラは帽子を少し持ち上げた。「そこが気になったのよ。都市の住民を自分から減らそうとしたのはどういうロジック? あなたの役割からするとまったく逆の行為にあたるわけじゃない?」
今までにも結果として人死にが出るかもしれない行為への協力はあった。しかしそれは消極的な関与であり、今回のように直接手を下したケースは初だった。
「パラメータの変化です」
「噛み砕いて言うと?」
「一口に住民といっても、そこには個人が存在し、それぞれで重要度が違う──私はそう考えるようになりました。マクロとミクロの差異。情報収集の成果です」
「ネットサーフィンの?」
「半分は」
リリアが少し視線をずらした。ラウラが笑った。ジョークに対する気まずさの表現──これも学習のたまもの。
「つまり、私たちを評価してるってことでいいのね? 共犯者からビジネスパートナーくらいまでランクアップした?」
「そうとらえていただいても結構です」
「じゃあ私も聞いていい?」アデルがわざわざ手を上げて割り込んだ。「結構切実な問題なんだけど」
「どうぞ」
「何人までなら殺していい? あなたにとって許容できる数は? それとも、数だけじゃなくて手段も関係してくる?」
あけすけな問い──ラウラは思わずウインドブレーカーの胸の部分をさすった。当のリリアは眉一つ動かさずに答える。
「現状が維持されるボーダーラインについての質問であると理解しました。今年度予想される人口の減少数が標準偏差の範囲内で収まることがその条件にあたりますが、これは全体で見る必要があるため、アデル様が何人殺せるのかについて明言することは困難です」
「今年は何人減る予定なの?」
「約3万6千人になります」
思わずラウラの声が1オクターブ高くなった。
「そんなに? 毎年それだけ減ってるってこと?」
「あくまで都市建設から現在までの年数で割った単純な減少率ですが、およそ2%で推移しています。もともとの人口が500万人超、現在が200万弱となっています」
2%。3万6千。実数で聞かされるとんでもない数──これをプラスにするのは並大抵の努力ではおいつかない。ところが、萎えるどころか逆に体の奥底からやる気が沸いてきているのをラウラは感じた。あまりにも途方もない数字にネジが外れたのかもしれない。
「それってもうちょっとまけられない?」
不可能な条件をそのまま呑む必要は無い。なだめ、すかす。ビジネスの手口としては初歩の初歩。
「どのように?」
「エリアをもうちょっと絞れない? 例えばどこかの階層に限定して人口の減少傾向が緩やかになるとか。その功績でシステムの覚えが良くなったりすると、願ったり叶ったりなんだけど」
「それが以前に仰っていたシステムに提示するプランということでしょうか?」
「単なる思いつきだけどね、今はまだ」
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