第40話 出会いの予感

 ストリンガーの経営するフルーツパーラーはいつ訪れても清潔そのものだ。白くライトアップされた店内には塵ひとつ落ちていない。客層も店構えに相応しく、ここには酔漢、浮浪者、失業者、依存症の人間の姿はない。胡乱な連中は近づくことすらできない。この階層においては少数派である裕福層向けの商売。


 蛍光灯の明かりの反射でネックレスと腕時計がまばゆく輝く男女の背後を通って螺旋階段を上る。店の二階にある特等席の半円形テーブルでは、クリップスのストリンガーがボディガードに挟まれて細長いスプーンでサンデーをつついていた。ボイドが現れたことに気付くと、遮光グラスをずらして自分のブースに来るよう目線で主張する。


 少し距離をあけてテーブルの前に立ったボイドは両手を後ろに回した。ストリンガーがメニューを差し出す。


「何か注文するか?」

「炭酸水を」


 ストリンガーは表情だけでおどけて店員を呼び、自分の分のピーチパイを付け加えて注文する。空になったサンデーグラスを下げさせ、ボディーガードに少し外すように言った。入れ替わりでボイドが席につく。


「どうにも状況が芳しくないらしい」


 ストリンガーの唐突な発言。連絡を受けてこの場に呼び出されたボイドは、それがいったい何の話題なのかを聞くような真似はしなかった。


「うまく網の目をくぐられているようだ。聞いたところでは、腕っこきの用心棒もしくじったらしい。あっさりと片がつくものだと思っていたが、何やら雲行きが怪しくなってきたじゃないか?」


 運ばれてきた炭酸水を口に含んでボイドは曖昧に頷いた。泡のはじける感触を舌で味わう。


「このまま仕損じ続けたらどうなるのだろうな? 取るに足りない命令ならともかく、事は面子の問題だ。君には縁のない話だろうが、言いたいことも言えずに上から殴られ続けるというのは大変なストレスに見舞われる」

「察するに余りあります」

「いまごろ部下たちに当たり散らしているのかもしれない。上から首を切られるのが先か、頭の血管が切れるのが先か」


 ストリンガーは余裕の表情。エイヴォンは長くは持たないと見ている。店員が持ってきた格子模様のパイをフォークで四つに割り、満足気な表情で硝子張りの壁ごしに階下の店内を見渡している。


 ボイドはストリンガーの視線の先を追った。「盛況ですね」

「コストは馬鹿にならないが、収入は安定している。手堅い商売というやつで、客層が上品なおかげでトラブルとも無縁だ」

「ついでに、個人的趣味も満足させられると」


 ストリンガーが口元をナプキンで拭って微笑んだ。大の甘党であるくせに体つきはスリムでしなやかだ。洒落者でもあり、同じ服を着ているところ見たことがない。皺ひとつ無いネイビーのシャツは店内と同様に隙がない。


「他の商売も上手く運んでいる。だからというわけではないが、センフォードに三つあるうちの倉庫の中身を別の新しい場所に移すことにしたよ。あの辺りも大分老朽化してきた。何日かすれば、無人なことに気付いたホームレスでごった返すのだろうな」

 ボイドは苦笑して立ち上がる。「ご馳走様」

「何か書くものはいるか?」


 懐から取り出した手帳を見せる。ストリンガーは頷いて、ボイドの残した炭酸水を飲み干した。


 店を後にし、手帳に書き連ねる。センフォード6205の一番から三番倉庫に残された物資は自由に使用可能。加えてリストン・カーライルの再就職先の工面についても一筆。道すがら配送サービスの店に立ち寄り、ラックから埃をかぶった便箋をひとつ抜いて破ったページを中に詰めた。


「こいつをハントリー・ドライブ104のジョー・ホプキンスまで頼むよ。何でも屋のジョーだ」


 くすんだ髪にカールを効かせ過ぎた老女の店員はカウンターに置かれた手紙をつまらなそうに一瞥する。本人同様に年季の入った携帯端末──ちらりと見えた画面はコミック──を片手にぞんざいな仕草でメールボックスに投げ入れた。


「大至急で頼むよ」


 正規の送料とは別に、ボイドはプリペイドのマネーカードをそっと差し出した。老女はメールボックスから便箋を取り出して若い配送役の男に握らせ、尻を叩いて裏に向かわせる。ボイドが艶のある笑顔を送る。老女が投げキスで返す。




 ******




「これは上手くいってるってことでいいのか?」


 ヒューズが中継器への盗聴器設置を終えて両手で蓋を押し込んだ。これで五つ目。二つ目は見張りがいたため接近することすらできなかったが、それ以降は問題なく進んでいる。進捗の状況は悪くない。


「まあ、そうなんじゃないか?」


 マリオはサイドカーの中で前かがみになって巡回AI用のプログラムの再修正を行う。次のポイント──これから向かう先の区画のプライオリティを変更、値を引き上げる。アップロードが完了。これで暫くすればこの辺りのドローンのアプリケーションはパラメータを修正したもので上書きされる。ネットワークの中継器しか存在しない地点を、さも重要施設であるかのように厳重に警護しだす。理論上は。


 工具を片付け、ヒューズがバイクにまたがった。「いい加減な返答だ」

 マリオが片手を上げてひらひらと振る。「文句を言うなよ。なにせさっき思いついて、いま試してるんだからな。そもそもプログラムの解析ってのはそう簡単なもんじゃない。全体を理解して初めて部分部分の意味が見えてくるんであって──」

「分かった、分かった」ヒューズがアクセルを回す。バイクがゆっくりと前に進みだした。「引き続きうまいことやってくれ」


 効果は現れているはずだ。警護用ドローンの分布は変化している。事実、移動中に見かける機体の数は明らかに増えている。これが敵に対する目くらましになり、いざというときの盾にもなる。


「自分で操作するわけにはいかないのか?」ヒューズが聞いた。「女どもに返した一機だが、あれはお前が作ったプログラムで動かしてただろう?」

「ひとつふたつを動かす分にはいいんだが」

「ああ、それもそうか。人の手で一斉に大量を動かすとなると、単調な動きになりそうだ」

「かといって自律的に動いてくれるほどのアルゴリズムは組むのに時間がかかる。となると、元々備わってる機能を使って上手くやるしかないってわけだ」

「なるほどな。それで、俺が仕掛けた盗聴器の具合はどうだ?」

「ちゃんと傍受できてるよ」


 マリオが自分の端末に猛烈な勢いで溜まっていくトラフィックとログを確認して渋い顔をする。この調子では一時間もすれば空き容量が枯渇する。別のサーバに送るにしても通信がそれで塞がるのはまずい。なにかしら情報量をフィルタできるキーワードが必要だ。


「なにか目ぼしい情報は?」

 マリオはこめかみを指で押した。「データ量が多すぎる。この中から使えそうなのを探すのは生半じゃないぜ」

「なにせ中継器だからな。濁った用水路からひとつまみの宝石を探し出すようなものか?」

「シャベルじゃおっつかないな」


 マリオは引っかかりそうな単語でデータ群に検索をかける。シーヴズ。ロイヤルズ。クリップス。ヴァイス。ボイド。ジョー。彼らの声紋データにアドレス。ここに来て知った情報の数々。


 一件ヒット。ボイドの通話──仕事上のトラブルがどうのこうのという、他愛もない世間話。

「おっと──」


 ヒューズが目を細めた。向かう先には墜落したドローン。バイクを停めて損傷の具合を確かめる。


「こいつはひどいな」


 銃弾で真っ二つに切り裂かれていた。引き千切られたような断面をしている。


「まだ熱がある。今しがたやられたらしい」ヒューズが残骸を蹴り飛ばして道を空け、バイクに戻る。「迂回でいいか?」


 マリオが頷こうとした直後、機関銃の乱射音が会話を遮った。二人は頭を抱え、急いで物陰に隠れた。


 息を潜めて待つ。やがて敵対行動をとるドローンを蹴散らしながら、遠くから車がやってきた。乗り捨てたバイクを発見すると、ぞろぞろと男たちが降りてきて取り囲む。何事かをわめき始めた。近くにいる。手分けして探せ。


 心臓が鳴る。マリオは乾いた唇を舐め、音が出ないようにゆっくりと拳銃のスライドを引いて正常に動作することを確認した。

 どうする──マリオは隣の男に目で聞いた。ヒューズはというと、マリオの焦りなどお構いなしに、ポケットから何かの装置を取り出していじっていた。コードを両手に持って配線を繋ぎ、スイッチを押す。


 轟音。空気が振動した。すぐ近くで炎が上がり、二人が隠れた路地までオレンジの光が伸びてくる。


 大口を開けて呆気にとられるマリオをよそに、遠くから聞こえる犬の吠え声以外に物音がしなくなったことを確認してヒューズが通りに顔を出した。振り向いて手招きをする。


「ついてる。全員車外に出ていた」


 マリオもよろよろと立ち上がる。爆発の発生地点は先ほどまで移動に使っていたバイクだった。車体の半分が消し飛び、焼け焦げ、見るも無残な姿をさらしている。「買ったばっかりだってのに……なんだよ、いまのは」

「爆薬に決まってる。リュックの底に詰めてたやつだ。工作用だったんだが、思わぬところで役立ったな。見ろ」


 ヒューズが笑った。奴らの乗ってきたフォーカスはフロントガラスに多少傷がついている程度の損傷しか負っていない。開けっぱなしのドア、吊り上がったヘッドライトの目は、倒れ伏して動かない男たちの不甲斐なさに憤っているようにも見えた。


「わらしべ長者ってやつか」マリオがシャツをはたいて今さら吹き出てきた汗を乾かした。まだ胃が浮いているような感覚がある。

「少し待ってろ」ヒューズが笑って腰のポーチから工具を取り出した。


 車の電気系統を手早く弄る。ドライブレコーダーを取り外し、応答を求める通信機を黙らせ、電波を辿ってGPS発信機を無効化した。鍵は刺さったままだった。倒れた男たちの持っていた武器をかき集めて機関銃の鎮座する後部座席へ投げ込む。ヒューズは定位置の運転席へ。マリオは助手席へ。


「運が向いてきたな。さて、どうやってこいつを外壁まで持っていくか」


 ヒューズが声を弾ませてラジオに手を伸ばす。マリオがそれを叩き落とし、シートを後ろに倒してダッシュボードに足を乗せた。


「念には念をだ」

「うっかりしてたよ」


 車が発進する。久しぶりの運転に気を良くしたヒューズがラジオの代わりに耳障りな鼻歌を口ずさみ始める。マリオはラップトップPCを開いてラウラに連絡を取ろうとし──無数にある仕事用のアカウントの一つに、見慣れないアドレスからメールが届いていることに気付いた。


 文面:僕も貴方と友達になってみたいです。

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