第38話 カウンターストライク
一通りの指示を終えて自室に引きこもったライリー・アダムスは、今月分の組織の収支に関してマクロとスクリプトで帳簿のチェックを行っていた。奇異と侮蔑と好色の視線から解放されたため、自前のダークブラウンのセミロング以外のゴスファッションは脱ぎ捨てている。サイズのひとつ大きいユニセックスな格好でソファに横たわっていた。
脇に置いていた連絡用の電話が鳴る。ライリーは応答ボタンを押して肩に挟んだ。
「なにか?」
『驚愕だ』
ドイルの声。いつもの淡々としたトーン。台詞のわりに切羽詰っている様子はない。通話口にあたる風から、外にいることが分かる。ライリーは作業の手を止めて電話の方へ多くの意識を集中した。
「不測の事態ということですか? 詳しい説明をお願いします、ミスター・ドイル」
『狙撃中に妙なもの──廃ビルの方角だ、視界の端に光るものを見つけたんで確認したところ、俺と同じようにライフルで戦闘地帯を見下ろしているやつがいた。光ったのはスコープのレンズだろう。恐らくだが、ロイヤルズではないと思う。うちの連中で手ごろなのが何人かいたはずだが、撃とうという気は感じられなかった』
「それで?」
『撃った。どうせ他の組織の誰かが偵察か、さもなくば物見遊山に来たんだろうと思ってな』
ライリーは小首を傾げた。
「どの辺りに驚く要素が?」
『なんと、避けられた。銃弾をだぞ。正確には直前でこちらを気付いて、間髪入れずに回避行動に入ったんだが。おまけにその一瞬の間に撃ち返してもきた。いやはや、とんでもないお嬢さんだ。ああ、本当に女性かどうか確かめたわけではないので推測だがな』
皮肉を流してライリーが言った。「今日はやけに饒舌ですね?」
『聞き苦しかったら謝ろう。死にかけたせいでテンションが上がっている』
血相を変えて聞きかえす。「まさか、怪我を?」
『いや、無傷だ』金属質な音。何かを叩いている。『近くのフェンスに当たって肝を冷やしただけだ』
「人をからかうのはできれば平時のときにお願いします」
『悪いな、まさか心配されるとは思わなかった』
「代えのきかない戦力ですから」
いまあるものは全てそっくりそのままいただく予定なのだから、僅かでも毀損されるわけにはいかない。
「欲しいものを早く言ってください」
『何人かこっちに回してくれないか? 先手をとれたおかげで相手の銃は破壊できたが、これで終わりとは到底思えなくてな。今から言う地点を数で押してほしい』
ライリーはソファを握り締めた。出せる人手は無い。どうにもタイミングがまずかった。そもそも今の小競り合いも余剰人員で行われているのだ。戦況自体は優勢だが、それは組織力に差があるおかげでしかない。
「すぐには出せませんが、動かせる物はあります。僕がサポートに入るので指示をください」
電話口から長く息を吐く音が聞こえる。『やれやれだ。暫くは我慢比べだな』
*******
アデルはライフルケースを部屋の入り口に向かって蹴った。すぐにやってきたラウラがそれの取っ手を掴み、廊下に引っ張り出す。
「どう?」
『ちょっといま調べてる』ラウラがラップトップPCのキーを叩く音が聞こえる。『あった。スコープとの連動はできる。コンピューターで映像を解析して照準の補佐をやる機能がついてるから、そこで利用されてる画像をそのままそっちに流す。いま出てきたアイコンをタップして』
アデルは無事なほうの腕で壊れたライフルの銃身を掴んで窓際に置いていたタブレットを床に落とした。確かに画面には見慣れないアイコンが出現している。それを言われるまま起動すると、四角い黒塗りのウィンドウが表示された。1分もしないうちに、コンクリートらしきものに変わる。
「いま、壁の方を向いてる?」
『ちゃんと映ってるみたいね』
ライフルが持ち上げられ、風景が移る。長く続く廊下の先に見えるのは上下階への階段。
『ご指示をお願いします』リリアがいつもの合成音声で言った。
「まずは移動をしてほしいんだけど──」
『タブレットでお示しください。アプリケーションの情報はこちらと共有されております』
アデルが地図でルートを指定した。まずは外に出て、後方二つ目のビルまで後退。そこまでのルートは狙撃手のいる建物からは視認できない道を使える。そして、そのビルは、今いるところより20mは高い。他の建造物のせいで眼下の通りを見渡すことはできないが、ライブラリ・タワーとの間には遮るものがない。
「ここの屋上までのぼって。エレベーターは、多分生きてないわね。25階あるけれど──」
『問題ございません』
「よろしい! では、駆け足!」
頼もしい返答にアデルはひとつ大きく手を叩いた。衝撃で関節が痛んで顔がひきつる。部屋の外で足音が遠ざかる。
「それで、次なんだけど──」
アデルが詳細を切り出そうとすると、心得ているとばかりにラウラが遮った。『相手の補足でしょ? マリオ達がもってったドローンをこっちに回してもらえるように伝えたわ。そのカメラが撮影した映像をそのタブレットに映るようにする。問題はカメラの解像度と飛行の高度ね』
「そのドローンはいつごろ到着? あんまり時間をかけるとここを囲まれる」
アデルは部屋の外からは見えないはずの壁際をゆっくりと移動した。半ばから折れている銃にテープで応急処置を施し、形だけでも真っ直ぐにする。遠目には壊れているかどうかすぐに判断できないはずだ。
『すぐ来るわ。あいつら、ちょうど拠点に戻ってきてたのよ』
「なに? トラブル?」
そろそろと廊下に出る。ラウラがあぐらの状態で壁に背をもたれかけさせながら、一心不乱にPCを操作していた。
「電動バイクを手に入れたらしいんだけど、その見返りに水と食料を渡すんだって。で、取りに戻って来てたってわけ」
イヤホンの電子音声と肉声が重複する。アデルはヘッドセットを外して床に落とした。
「作戦を説明するわ。私がここでちょろちょろと動いて囮になる」スーツの上着を脱いでライフルにかぶせ、更なるカモフラージュにする。「その隙に、リリアが撃つ」
「囮、って」ラウラが絶句し、こちらを見上げて目を丸くする。それでも手元は忙しなく動いている。
「相手の意識をそらさなくちゃならない。多分、まともにやったらリリアの方が先に撃たれるわ」
「あー、もしかして、敵は凄腕?」
アデルは歯を見せて片目をつむった。溜息をついたラウラの肩を叩いてその場から離れる。つま先でヘッドセットを拾い上げ、ようやく聞こえるようになった右側の耳にイヤホン装着し、ライフルの銃床を肘に挟んで肩に担いだ。これなら空いた手でタブレットを持つ事ができる。
『新しいアプリを送った』
画面にポップアップした無機質な二重丸のアイコンをタップ。またしても四角いウィンドウが現れ、今度は外の景色が映った。ドローンが撮影しているのだろう、様々な建物を上から見下ろしたもの。
ライフルのスコープの画面と、空撮のウィンドウを被らないように縮小、移動させ、横に並べる。二つの別々の映像を使って遠隔操作で狙いをつけるなど当然初めての試みであり、中々骨が折れそうで心が浮き立ってくる。
「じゃあ、仕掛けてくる。配置についたら教えて」
『気をつけてよね?』
『了解いたしました』
エールを受けてアデルは廊下を走る。階段を四段飛ばしで駆け上がって二つ上の階の適当な部屋に入った。身を低くして壁際まで寄り、ロックレバーを外して網入りガラスの窓を開け放つ。
素早く身を躍り出し、歯を食いしばって痛みに耐えながら腕を持ち上げ、壊れたライフルの銃口を外に向ける。
頭の中で三つ数え、銃と体を引っ込める。ライフル弾が窓ガラスを貫通して部屋に飛び込んできたのは僅か1秒後だった。
まったく期待通りの反応。死に体だと感付いてはいるだろうが、それでも無視はできない。
アデルは別の部屋に移動しながらドローンの画像を確認した。遠目にサイズの違うホールケーキを重ね合わせたような形状の建物が見える。敵の潜むビル──あと少しの距離。
アデルは階をまたひとつ上に移動し、今度は姿を見せずにじっくりと身を潜めた。相手を焦らしつつ時間稼ぎをする。その場に腰を下ろし、上下に揺れるスコープ側の画像も確認する。リリアはすでにこのビルを出ており、軽快な足取りで指定の建物の非常階段に足をかけるところだった。
「ドローンの高度を上げられる?」
『ちょっと待ってて……実機のコントローラーから送信する信号をテンキーから送れるようにアプリを組んでて……よし、OK。ちょっとぎこちないかもしれないけど。高く飛ばすんだっけ?』
「そう。高度以外はそのままで。これ以上近づくと気付かれる可能性が上がる」
ゆっくりとドローンが上昇し、ライブラリ・タワーのこちら側を向いている面、そして屋上が見える。さすがに元いた地点からは退散しているようで、フェンスのそばからは姿を消していた。屋上のどこにも見当たらないため、階下のどこか、窓を開けるなり外に身を乗り出すなりして撃ってきている。
アデルは隣のビルとの連絡橋に出た。身を低くして走りぬける。最後の数歩は頭から滑り込むように飛んだ。すぐ後ろでガラスが割れる。
転がって起き上がり、髪と睫毛の上にかかった破片を払い落とし、目を皿にしてドローンの映像をくまなく観察する。どこかにいるはずの敵。周辺視で動いているものを探す。
「いた」
思わず声が出る。屋上から三つ四つ下がった、ビル空調の室外機で埋め尽くされたフロア。室外機にかぶせられたビニールシートの一部を使って体を隠し、ライフルの銃身を僅かに突き出している。
「リリア、見えてる?」
『はい、その映像は共有済みです。こちらももうすぐ指定のポイントまで辿り着きます』金属の階段を踏み鳴らす音。
「っと、待った! まだ姿を出さないで!」
ドローンが嫌なものを画面に映し出した。複数の機影。自分たちのものではないマルチコプターだ。射線には出ないようにして通路の陰からわずかに顔を出し、肉眼で外を確認する。幸いにもこちらのドローンには気付いていないようだったが、マルチコプターはこの建物に向けてまっすぐ向かってきていた。
考えてみれば当たり前の話だ。こちらが持っているようなものを、人も物資も桁違いの集団が所持していないはずがなかった。あれが到着すれば不意打ちどころではない。屋上などすぐに見つかってしまう。
「どうにかなる?」
アデルはほとんど期待せずに聞いた。ラウラの返答は落ち着き払っていた。
『なるかも。試してみる。リリア、二層の管理者権限持ってるアカウント貸して』
『作成してお送りしました。セキュリティ上の問題から有効期限は5分です』
『それで十分』
「二層? なんで二層?」
『ああいう遠隔操作の機械っていうのはいつ来るか分からない命令を受信できるようにしてなくちゃいけなくて、つまりそれって常に外部からの攻撃に晒されてるのと同じ意味なわけ。だから乗っ取りや偽の命令を防ぐために通信を暗号化するのが当然なんだけど──』キーの乱打音をバックにラウラが長広舌をふるう。『ラッキーだったわ、テリトリー拡大の目的で設置したばっかりの送受信アンテナがいきなり役立つなんて』
「暗号の続きは?」アデルが聞いた。
『ああ、ごめん。その暗号の方式ってみんな似たようなのを使ってるわけよ。自分で編み出してるような人間もいるけど。通信の周波数をミリ秒単位で変えたり小細工は可能だけど、基本的には鍵を盗まれるか特定されたら終わりね』
こんな風に、という台詞と共に、マルチコプターの一機が力なく墜落する。
『特定する手法はいくつか編み出されてるけど、いま使用が可能なものを全部使ったわ。相手がどれだけの機材を用意してるかは知らないけど、二層にあるコンピュータ-の半分近くを使ったアタックには耐えられないでしょ。パワーが違うわ』
「そういうことね」
ようやく理解できたアデルが長く息を吐いた。最初の一台を皮切りに、まるで殺虫剤をかけられた蠅のように次々と地面に向けて落下していく。
『まあ、ほんとは妨害電波を飛ばせれば一番楽なんだけどね。それにしても、こっちが落としたのは最初の一台のはずなんだけど……ああ、おかしな通信を受信した時点でコントロールを奪われることを懸念して自分から電源を落としたってわけね』
面倒な相手だとぼやくラウラを無視してアデルが指示を飛ばす。
「屋上に出て、素早くバルコニーから銃を向けて。構え方は分かる? 座ってもうつ伏せでもいいけど、ストックを部分を肩に当てて──」
リリアが応答した。『アデル様のフォームをトレースいたします』
上下左右に揺れていたスコープの画像が固定される。周りの景色から立射だと分かる。目標がレティクルの中心に入る。
「0.5mm右! 0.7mm上!」まったく指示どおりに銃口が向きを変える。「撃って!」
発射音。緩やかなカーブを描いて、狙撃手に弾丸が吸い込まれる。ビニールシートを吹き飛ばし、敵の頭の上を掠め、その後ろにある室外機に穴を穿った。
姿を現したのは、ニット帽をかぶったジャージ姿の無精髭。一瞬だけ驚愕の表情を見せ、予想だにしなかった方向から狙われたことに気付いてすぐに姿をくらました。
『申し訳──』
「いえ、私のミスよ。ここからじゃ、その地点の風の状況が分からない。少し考えれば分かることだったわ」リリアの謝罪をアデルは大きな声で遮る。そしてすぐに次の指示を出す。「こちらが複数人いることに向こうが気付いた。恐らくだけど、警戒して暫くは隠れてるはず。ドローンを落として向こうの目も潰したことだし、いまのうちに撤収しましょう」
通信機から体を叩く音が聞こえる。ラウラが腰を上げ、埃を払っているのだろう。
『はー、つかれた。なんか、出だしから躓いた気分なんだけど』
「先が思いやられる?」
『こんなのがごろごろいるわけでしょ?』
「みんな必死で生きてるってことね。素敵だわ」
*******
「ミスター・ドイル? どういう状況です?」
金属の破砕する大きな音が聞こえた。ライリーはドイルの無事を確認する。
『完全に予想外の方向から撃たれた。幸運によるものなのか、意図的なものかは分からないが、弾は外れてくれたよ。相手が二人以上いるのは確実だろうな』
「いまはどちらに?」
『下に向かってる。悪いが今回は退かせてくれ。相手の戦力が不明では戦いようがない。でかい口を叩いておきながらこの有様で、顔から火が出る思いだが』
「いえ、こちらも見誤っていました。電子戦でも侮れない相手のようです」
『揃って一杯くわされるとは、なかなか無い事態だな』
「そうですね。ですが、負けてはいません。せいぜい引き分けといったところでしょう。こちらに人的損失なし、墜落したドローンも回収できれば御の字ですが、あれで全部というわけではありませんから。修理費用とかかる時間を考えると、溜息が出ますが」
『その強靭なメンタルだけは見習いたいね。しかし、所属不明の強敵か。もしかするとこれは、人狩りに出張ってる連中を差し置いて、俺たちが当たりを引いたのか?』
「そうかもしれません」
上から逃げてきた指名手配犯など単なるノイズ程度に考えていたが、もしかすると何か縁のようなものがあるのかもしれない。自分のレンタルサーバに仕掛けられたポートスキャンの履歴、それを追った結果表示された歓迎の文言とメールアドレスを眺めながら、ライリーはどうしたものかと考え込んだ。
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