第37話 強敵

 エイヴォンは上着のポケットの中で振動する電話機を取り出した。顔をしかめ、机の上に置いてスピーカーをONにする。


『あんたはとんでもない破廉恥漢だよエイヴォン』


 電話機からオマールの声がする。エイヴォンは言った。


「もとはと言えばそっちがうちの商売にちょっかいをかけようとしていたのが発端だ」

『そうかもな。だが、このタイミングはない』相手が言い返せないのを察してオマールが続ける。『こっちも部下の手前、報復措置を取らなきゃならない。悪いがさっきの話は手伝えないよ』

「好きにしろ」

『もちろん、そうするよ。それじゃあ──』


 キスを最後にオマールが通話を切った。エイヴォンは勢いよく電話に手を伸ばし、すぐさま別の所へかける。


「俺だ。いま集めてる人員を少し……3分の1でいい、北西のエリアに向かわせろ。相手はロイヤルズ──理由? どこかの馬鹿の仕出かしを埋め合わせしなきゃならんからで、しかも当の本人は姿をくらませているときた。分かったならもう間抜けな質問をするなよ。叩きのめせ。ほんの少しでも舐められるな」


 エイヴォンの我慢がもったのは、部下への指示を終えるまでだった。電話を切り、机の上に叩きつけ、スタンドにかけてあったバットを握ってその上に振り下ろした。


 携帯電話のフレームが割れる。中の機械部品が傷つき、ヒビが入るが、砕けない。小さく頑丈に出来ている。エイヴォンはそのことに更に腹を立てた。バットを掲げ、振り下ろす。持ち上げ、叩きつける。電話を粉みじんにできない事を悟ると、今度はその下の机を割り始めた。スチールのデスクから破片が飛び散ることはないが、耳障りな金属音は鼓膜を突き抜けて脳天に響く。


 ライリーは壁を背にして、彫像になった気分でその醜態を無表情で眺めていた。エイヴォンは頭の導線が切れかかっている。近頃はとくに自制が効いていないようで、他に部下の居ない場所での癇癪はますます酷くなっていく。腕の筋肉が疲れきってバットを持ち上げられなくなったエイヴォンが荒い息をついた。顔中から吹き出た汗が鼻の頭に集まって床に落ちる。


 エイヴォンがバットを捨て、足をもつれさせながらライリーの下にやってくる。両腕にしがみつき、ゴス服の胸元──ジャボの部分に顔をうずめ、まるで匂いを嗅ぐように深呼吸する。


 ライリーは自分のボスを上から見下ろした。うな垂れた背中、贅肉と弛みが目立つようになった首が無防備に晒されている。銃は持っていないが、そんなものが無くても凶器になりそうなものは幾らでも転がっていた。机の上のペン立てに挿してあるボールペン、エアコンを修理するためのドライバー。少し動けば手を伸ばせる位置にそれらはある。だが、自分で握っては意味がない。


 ライリーはエイヴォンの背中に優しく手を添える。やがて息が整ってきたエイヴォンはプラスチックケースから取り出した錠剤を口の中へ放り込み、IWハーパーをグラスに注いで一気に飲み干した。


「ドイルはどうしてる?」エイヴォンがふらつきながら言った。

 ライリーは頭の中でメンバーのスケジュールを確認する。「待機中のはずです」

「奴も行かせて、さっさと終わらせろ。鴨撃ちだ。癪に障る奴だが、腕は間違いない」


 エイヴォンが執務室奥の寝室に引っ込む。ベッドに倒れ込む音が部屋の外まで聞こえてきた。ライリーは壁に寄りかかり、何重もの層になったスカートから自分の携帯端末を取り出して履歴から番号を選択した。


「もしもし?」

『どうしてあんたから?』


 トマス・ドイルは無愛想に応じた。カメラはOFFになっているが、渋っ面で顎鬚を撫でているのが目に映る声。


「ボスはお休みになりました。今から指定する場所に行って、ロイヤルズとの交戦部隊に加わってください」端末に表示された地図をタップし座標を送る。

『戦うのはいい。だが、その地点は意味がない。分かるか? 射線が通らない』


 少しはなれたビル、その一番高い場所が送り返されてくる。勝手の分からぬ素人に優しく教え諭すように、そこから眼下に向けて共有された地図に線が引かれる。


「仕事の細部はお任せします。僕の事を嫌うのは一向に構いませんが、役割はきっちり果たしてください」

『別に嫌いというわけじゃない。いけ好かないとは感じてるが』

「その2つがどう違うのか分かりませんが」

『文字通り体を張って今の立場を手に入れたところなどは、やるものだと思ってる』

「質問は以上ですか? では、よろしくお願いします」

『バックアップは?』

「必要になったら適宜申告をしてください」

『了解』




 ******




「どうも予想と違うんだけど」


 ライフルのスコープ越しに街を眺めるアデル・ゴールドバーグの目に映るのは、白い煙と火花──銃火だった。音こそ聞こえないが見間違えようがない。


『何が?』ヘッドセットから聞こえるラウラの声。

「もう戦闘が始まってる」


 三人は人目をはばかるようにして街に出ていた。目的は情報収集と、機器の設置だ。あくまで無理のない範囲でカメラとマイク、アンテナを設置し、退散する。そのつもりでいた。人狩りに出くわす前に。


「まさかとは思うけど、マリオとヒューズ?」

『それはないはず』疑念はラウラによって即座に否定される。『座標が全然違う』


 アデルは心当たりを探す。そういえば──この階層は、頻繁に縄張り争いをしていると聞いた記憶がおぼろげながらにある。


「多分だけど、縄張り争いね」

『そうなの?』

「私たちを狙ってるわけじゃないと思うわ。とりあえずはこのまま静観ね。外の警戒よろしく」


 通信機から溜息混じりの了解が聞こえた。現在地ば街の北西、外壁に近い場所に建っている人の住んでいないビルだ。そこの部屋の中から見晴らしのいい一室を選んで窓から下界の様子を探っていたところで思わぬものを見てしまったという状況だった。


 ラウラには部屋の外で今いる階への階段を見張らせている。銃などほとんど撃ったことがないという彼女に、無理やりハンドガンを押しつけてその場を任せてきた。拠点に置いてくるわけにはいかないためリリアにも銃を持たせてサポートとしてつけているが、あの機械人形がどの程度役に立つかは未知数だった。


『待って、それからどうする?』

「もちろん逃げるわ」

『撃たないの?』

「ここで1人、2人仕留めても何がどうなるわけでもないでしょ」

『古巣の人間かもしれないから?』

「無いとは言わないわ」


 考えはした。仮にブラザーフッドに出くわしたらどうするかについて。結論はあっさり出た──戦場なのだから、そういう巡り合わせもあるだろう。


「でも安心して、その場合でもちゃんと撃つから」

『あー、もう』


 ラウラが苛立たしげに言った。何に苛立っているかは分からなかった。


 アデルは観察を続ける。ビルの狭間から見える道路では硝煙が銃弾で切り裂かれている。街灯に当たり、ビル壁を削り、ときおり人が倒れる。争っているのは2つの勢力に見える。混乱がひどく、どちらが優勢かは分からない。


 ちょうどそのとき、道端に放棄された廃車の陰から狙いをつけていた男が、向いている方向とはまったく別の所から撃ち抜かれた。一瞬しか見えなかったが、男が撃たれたあとに地面の方で何かが弾けたように見えた。つまりは高高度からの一発。


 アデルは射手を探してスコープを動かす。上──建物の窓。屋上。自分だったらどこを陣取るか。いま、戦場になっている場所を狙うのに適した地点。


「いま、私が見てるあたりで高さ順に建物を絞れる?」


 ラウラからの回答はタブレットの画面上に直接表示された。地図のアプリにリストが並ぶ。タブレットを窓際に置いて片手で操作──名前をタップすると、地図に赤い点が表れた。現在地と比較して方角を定め、スコープを向ける。


 842m先。少し離れた位置にある、ひときわ高いタワー型の建物を中層から品定めするように視界を上げていく。屋上まで到達。ひっかかるものが見えた。規則正しく並んでいるフェンスの中に不自然な黒い点。


 スコープをズームさせる。ピントがぼやけ、再び合う。視界に映っていたのは、自分と同じようにライフルを構えた人物だった。銃口は、こちらに向いている。


 アデルは反射的に顔を背けた。一瞬遅れて弾丸が到達し、つい先ほどまで除き込んでいたスコープが持っていたライフルごと砕け散る。


『────!!!』


 通信機から声が聞こえる。恐らく銃声を聞きつけてラウラが何か叫んでいる。いまの一発が近くを通ったせいで右耳が駄目になっていた。アデルはイヤホンを左に付け替えて応答する。


「なに?」

『なに、じゃないでしょ! 無事なの!?』

「掠ってもいないけど、スコープが壊れた」


 アデルは持ってきている代えの銃に手を伸ばそうとして、痛みに顔をしかめた。撃たれた衝撃で肩と肘の関節が捻挫している。足と片手を使って床を滑り、窓際に寄って考えをまとめる。


 この腕で戦えるか──1km近い距離を当ててきた相手に楽観的な考えは捨てた方がいい。痛みが引くまで待つこともできない。階下に人を寄越されたら終わりだ。すぐに逃げるべきだが、都市外壁を越えてアジトに引っ込むまでに狙撃手の視界に晒される可能性のある箇所がいくつか存在する。


「リクエストがあるんだけど」

『言って』

「この、ライブラリタワー? から撃たれたんだけど、逃げる前に相手を倒さないといけないわ」

『よく分からないけど、分かった。それで?』

「このまま隠れた状態で、相手の位置を特定したいんだけど、できる? それから、私の方がすぐには銃を撃てない。代わりに撃ってほしいんだけど」

『1つ目は多分できるけど、2つめは無理』

「ゼロインを済ませてあるスペアの銃がここにあるわ。これのスコープと私のタブレットを繋げられる? それで私が代わりに狙いをつける」

『連動はさせられると思うけど、撃つのは絶対無理。手元がブレるに決まってる』

『私が担当するというのはどうでしょうか?』


 リリアの声が聞こえた。ただし、通信機ではなくタブレットからだ。


『申し訳ございません、お二方の声のトーンから窮状なのではないかと判断し、お持ちの端末を介して割り込ませていただきました』

「撃てる?」アデルが訊いた。

『トリガーを引くだけでしたら問題なくこなせると思われます。私には呼吸が無く、また筋肉の収縮もないため、身体的な問題から狙いがそれることもありません』

「じゃあ、任せたわ」

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