第36話 右を向いても左を向いても導火線

 会合はつつがなく終わった。一滴の血も流れなかったことは間違いない。だが、これで街に小康状態が訪れると考えている人間は、あの場においては少数派だったはずだ。


 少なくともクラーク・ボイドはまったく逆のことを考えていた。エイヴォンが行ったのは誤解から泥沼の抗争に発展するのを防ぐための予防線であり、協力の要請ではなく威行行為だ。他の連中はどう反応するか──自分たちから仕掛けるようなことはしないだろうが、機会を見逃すとは考えられない。彼らの対立は根が深い。


 都市の最下層ではもうずっと勝者の定まらない主導権争いが続いている。原因は生活基盤の弱さだ。多数の人員を留めて置く事ができない。ここで生産できないものは上から運び込まなくてはならない。その最たるものが水だ。そのため、どの組織も決定的な支配をすることができないでいる。しかし、それでも全てを打ち捨てるのは惜しいと大勢が考えている。多少の問題を差し引いても不動産には十分な価値があり、生きている設備もまだ存在する。


 自分を電子的に監視している者はお目こぼしをすると仄めかした。仕掛けるなら、命令が末端に伝達されるまでの間だ。そこまでなら不幸な事故として処理できる。その後では取り決めを破ったことになる。


 ボイドは住所録と、知人の名簿と、ニュースを並べて見比べた。各組織はピザのように街を切り分けている。その境界線を注視する。困窮して早まった食い詰め者、手柄を求めて血気に逸った向こう見ずを探す。


 条件に合致しそうなものが見つかった。知っているタクシー兼デリバリー会社が強盗の被害に遭っていた。ボイドはすぐさま配車係の電話番号にかける。


『もしもし? こちら──』

「ディーンか? ボイドだ」


 舌打ちが聞こえた。相当に煮え立っている。ニュースを見たと切り出す前に向こうからぺらぺらと話し始めた。


『ドライバーが襲われて意識不明の重態、おまけに夜に車庫が襲われて車とバイクが何台も潰された。くそったれの社長は俺の責任だってことにしてエイヴォンに言い訳するつもりらしい。寝転がって”異常無し”の報告だけ聞いてりゃいいだけの仕事のはずが、どこぞの鉄砲玉みたいに報復までやらなくちゃいけなくなった』

「犯人に心当たりは?」

『ないこともない』

「何か、前触れのようなものが?」

『オマールのところの連中にちょっかいをかけられたって苦情が、3、4件ほど』

「本当に?」

『本当だとも。奴らはうちと競合しそうな事業を始めようとしているらしい。近くに拠点があって、そこにたむろしてることも分かってる』


 随分と追い詰められている様子だった。真実かどうかは怪しい。憶測を事実と認識したがっているようにも思えた。


 ボイドは慎重に言葉を選んだ。「商売敵を蹴落とすためであれば、確かに有り得そうな話ではある。もしそうだとしたら、一筋縄ではいかないだろうな」

『くそっ、その通りだ。自慢じゃないが……俺はこういうことには慣れてない。だから──』

「誰か紹介してほしいんだな?」

『そう、その通りだ。あんたは相変わらず人の心を読むのが上手いな』


 名簿から腕利きの始末屋を探す──リストン。ディーンにその連絡先を告げ、ボイドは通話を終えた。


 次の導火線を探すためにニュースサイトへ向こうとした自分の目を、ボイドは手をかぶせて塞いだ。いくら向こうから唆したこととはいえ、ポルノスターは2回目を見逃してはくれないような気がする。ただの妄想、思い込みの類だったが、ボイドは自分の勘に従った。今回仕掛けるのはこれきり。


 ボイドはすぐに部屋を出ると、車でファインダー社の営業所まで一直線に飛ばした。


 遠くに入り口が見える場所に駐車し、双眼鏡を片手に社屋を眺める。一階部分が道路に面して、奥の車庫まで通り抜けできるようになっている二階建ての建物。


 そこに一台の車がやってきた。深い緑の塗装をした中型のピックアップ。リストンのものだ。買い替えていなければ。


 間に合ったことにボイドは安堵し、倒していたシートを持ち上げた。シフトボタンを押していつでも発進できるようにする。


 リストンの車が出てくる。ボイドは慎重にそれを尾行した。ウィロビー・アベニューを東へ。オーランド・アベニューを北へ。そこからぐるりと建物を一回りし、平屋のアパートメントの前で車が止まった。リストンが車外へ躍り出た。コーカソイドの特徴が現れた顔の偉丈夫。腰に拳銃を差し、手には警棒を持っている。インターホンに手をかける前に慎重に中の様子を窺っている。


 ボイドは念のために手元のタブレットで現在地を確認した。オマール──ロイヤルズの縄張りで間違いない。


 ボイドは車を出し、リストンの目当ての建物の裏側に走った。そこで一部始終を拝見することにした。


 インターホンが鳴った。暫くして、くぐもった悲鳴が届いた。何かを殴る音。何かを壊す音。玄関先で1人がやられたことの証。


 次の騒音は部屋の中からだ。ガラスが割れ、物が倒れ、叫び声が上がる。裏手に面した小さな窓を突き破って逃げようとした誰かが、太く逞しい腕によって部屋に引き戻される。


 ものの数分──大した手際だった。リストンが感付く前に車を出し、大通りをゆっくりと走らせながらボイドは思案する。


 これで種は巻き終えた。シーヴズの息のかかったデリバリー会社がロイヤルズの縄張りで暴行を指示した形になる。自分から協定を持ちかけておきながら、舌の根も乾かぬうちにそれを破ったのだ。少なくともオマールはそう触れ回るだろう。事実かどうかは大した問題ではない。


 ボイドは自分の仕事に半分満足し、半分困惑していた。どちらかと言えば分の悪い賭けだったというのに、すんなりといった。そこら中に争いの火種が燻っているとはいえ、それがすぐに見つかったことにも、望んだ方向に転がったことにも驚いていた。


 自分の運ではないだろう。本心で言えば、どちらに転んでもよかったのだから。損をしないことはあらかじめ分かっていた。若者達に風が吹いている証左だろう。


 幸いにも臨時の仲介料で懐が暖まったこともあり、彼らの前途を祝う意味も込めて、ボイドは運転しながらどこか一杯ひっかけられそうな場所を探した。

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