第33話 A || B
ラウラは権限の及ぶ範囲でリリアに提出させたシステムのコードの解析を続けていた。都市というシステムのコア部分に理解が及べば、そこに手を入れる手段が見つかるかもしれないと考えてのことだ。目当ては判定のロジック──システムがどういった状況でどのような判断を下すのかの部分だ。
どれがそうなのかリリアに聞いたところ、私にはプログラムのことは分かりかねますと回答されて思わず目を丸くした。そんな馬鹿なと思ったが、言われてみれば確かに自分の体の仕組みをちゃんと理解できている人間は稀だ。そういうものかもしれないと独り納得した。
AIによるコード生成エンジンのロジック自体は単純なものだった。ソートや電文の送受信、データベースへのアクセスといった各種の機能を組み合わせてコンポーネント化したものを用途に応じて選択、組み合わせているだけにすぎない。しかし、この作業にはひとつ大きな落とし穴があった。
ネックとなっているのはそのコード量だった。動作する環境や状況といった初期条件によってAIのコードは適宜変更、生成されているため、それらは共通化の概念からはかけ離れたものであり、似たような行動をとるAIであっても実際は中身がまるで違うなどということが多々あった。
これを人力で読み解こうとするのは完全に時間の無駄だと諦めたラウラが目をつけたのはコンポーネントを構成している各種機能だった。これらはシステムの最小単位──例えるならパズルのピースであり、都市の建造当時から変動していない。つまり、公約数足り得る。
ラウラはその最小単位の出現頻度によって該当のプログラムがどのような状況で用いられるものかラベル付けし、判定処理で用いられるものかどうかを調べようとしていた。すでに要素への分解は終わっている。各種プログラムと構成要素、そして関連性がフロー図の形をとって目の前に表示されている。
あとは肝心の法則性を読み解くだけの──最難関ではあるが──状態だったが、一向に頭が回らない。
ラウラは両手を頭の後ろに回して椅子の背もたれに体をあずける。集中しようと無理やり指を動かしてキーボードを触ってみるが、気分が乗らない。それに加えてキーの打鍵音に混じってカチャカチャという雑音が耳障りだった。
ラウラは顔を上げ、テーブルの向かいの席で銃の分解整備をしているアデルに対し、ラップトップPCのモニタを飛び越して煩わしげな視線を送る。
「なに?」アデルがスライドのスプリングを外しながら言った。
「何か言いたい事があるじゃないの?」
「そういう言い方をするってことは、何か聞きたい事があるってことね?」
ラウラは額を揉み解し、大きく息を吸いながらPCを畳んだ。マリオが出て行くときに開けたっきりのドアが見えた。
「熱くなってみっともないって思ってる?」
「いいえ?」
アデルがクリーナー液をたらした銃身にブラシを突っ込むと、先端の布はすぐに黒くなった。ラウラは訊いた。
「じゃあ、子供を助けようって私の意見には賛成?」
「それはNoね」
あまりにもあっさり言うので逆にラウラは素直に聞く気になれた。「どうして?」
「武器が無い。食料にも余裕が無い」
「別に庇護しようってつもりで言ったわけじゃないわ」
「それは嘘ね」アデルはポリグラフのように精確に反応する。手元はフィールディングランプを削るようなブラッシング。「まあ、たとえ本当だとしても、施しをして、感謝をされて、はいさようならというわけにはいかないでしょうね。与えられた側は更に求めるか、身を差し出してくる。他に支払えるものが無いから」
実感のこもった台詞。確かブラザーフッドには構成員を養成するための仕組みや施設があるとヒューズが言っていた。
「じゃあ、物資が潤沢にあったら?」ラウラは尋ねた。
アデルが少し考える素振りを見せるが、やはり首を横に振った。「それでも私は賛成しないでしょうね。私達の目的はここで幅を利かせることじゃないのだから。まあ、その様子だと分かってるでしょうけど」
実際のところ、この階層を手中に収めるだけなら恐らく簡単にいく。片っ端から送電線を破壊してやればいいのだ。お尋ね者がいまさら手控える理由もない。二層でそうしたように電力の供給をカットすれば、機能低下と見なしてリリアが権限を掌握することができる。
その結果待っているのは泥沼の抗争だ。この小さいが決して狭くはない世界は何も変わらず、今まで通り進行してゆく。
他の人間とて馬鹿ではない。停電と施設支配の関連性に気付く。対策を立てられ、二回目は容易にいかなくなる。三回目ともなればなおさらで、とてもではないが十階層全てをその方法でひれ伏させることなどできはしない。そもそも、現状ですらこの虎の子がまったく秘密にできているわけではないのだ。リリアの起動と謎解きを依頼したブラザーフッドは当然として、シーヴズも何かしら掴んでいるはずだった。
ラウラはまずその事実が公表されているかどうかを調べた。官報。各組織の広報。場末の掲示板までオートで捜索した。結果は無し。発電施設や送電設備のメンテナンス人員を増員したとの情報も無し。リリアに関しても同様だ。それぞれ、何らかの思惑があってリアクションを控えている。ジョーカーはまだジョーカーのままだ。
「結局、チャンスを窺うしかないってことね」ラウラが頬杖をついた。
「気に病むくらいなら寝た方がいいわ。すっきりするし、いいアイデアが浮かぶかもしれない」アデルが拳銃を組み立て終える。次はライフルを取り出した。
「なんか、諭されてる気分なんだけど」
「いくつ?」
「17……多分」
「私は19よ!」
力強く胸を叩く頭ひとつ分は小さい女性からラウラは目を逸らした。
「そもそも都市の稼働率を下げるしか方法が無いっていうのが──」
ラウラが言いかけた台詞を途中で止め、席を立ってリビングに移動した。情報収集と称して暇さえあればPCに接続してネットサーフィンに勤しんでいるリリアのそばへ寄る。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
モニタではないどこか遠くにレンズのピントを合わせていたリリアが、わざわざ白皙の顔を上げて腕のジャックに挿し込んでいたケーブルを抜く。彼女なりの礼儀の表れらしかった。
「なんでしょう?」
「あなたが特権を得るための条件って、住民の管理能力不足以外に無いの?」
「厳密には施設の稼働率ですが、その認識で間違いありません」
「その条件って緩められない? ORで──他の条件を見たせばOKになるとかは? 確か、前にメインシステムにアクセスしてどうこうって言ってたでしょ? その要領で聞けないの?」
「申請は可能です」
ラウラはたたらを踏みそうになった。「じゃあ、やって。今すぐ」
「少々お待ちください──レスポンスがありました。却下とのことです」
「どうして?」
「私の権限を拡大することで居住環境の急激な変化が引き起こされるのではないかというリスクがあるのに対し、それに相応しいリターンが明確に提示されていないのが問題であるようです」
「ということは、根拠を示せばいいの? 争いが減って、人口が増加して、居住環境が衛生的になるっていう?」
リリアは頷くまではいかないまでも、思考する素振りをみせる。「ヴィジョンか、プランまで厳密に落とし込む必要があるのか、または実証しなければならないのかは未知数ですが、違った反応があるはずです」
光明が見えたような気がしたラウラは息を呑み、拳を握り込んだ。思わず存在しないサンドバッグを殴りつけようとしたところでアデルの呼ぶ声に遮られた。
「何か通信がきてるわ」
ダイニングルームに戻る。PCの上に重ねて置いておいたタブレットのランプが点滅していた。フリックで待機画面を終了すると、チャットの許可を求めるポップアップが上がっていた。相手は──マリオ。ラウラは一瞬だけ躊躇ってから通話を開始する。
「なに?」
『まずは報告だ。作業中にトラブルがあった。俺の方はなんともないんだが──』
マリオの神妙な声にラウラは反射的に聞き返した。「ヒューズは?」
『騙されるなよ。こっちも無傷だ』
やや遠くから聞こえるヒューズの声。ラウラの手がタブレットの電源に伸びた。
『おっと、切るなよ。ほんの冗談だ。普通に話を切り出すのも気まずかったから、どうにか和ませようとしたんだよ』
「5秒以内に用件を言って」
『送電盤に発信機つきのトラップが仕掛けられてた。どこかの誰かが不審者の存在──まあ、俺たちなんだが、それに気付いたはずだ』
きっちり5秒。要点をまとめた報告。
「……ボイドが仕組んだ?」
『俺もそれを考えたが、とりあえず依頼は続行してる。一足飛びに拠点が探り当てられるってことはないと思いたいが、妙に切れやがるからな、あのおっさん』
「移動した方がいい?」
『どうだろうな。まあ、そっちに任せる』
「無責任ね」
『その場に居ない人間より当事者の判断を優先した方がいいと思っただけだ。お前だってプロだろ?』
「当たり前でしょ」
『だったら、任せる。一段落したらメールでも入れてくれ』
通話が終了。ラウラはアデルと顔を見合わせた。「どうする?」
アデルが掃除の終わったばかりのライフルを担いで席を立つ。「念のために外を見張ってくるわ。探りを入れたいなら、好きにしたらいいんじゃない?」
「いいの、それで?」
「タフネゴシエーターなんでしょ、ハッカーって? マリオと値段交渉してた担当者は大体眉間に皺を寄せて覚えがあるわ」
「あいつは面の皮が人の三倍厚いからで──」
言い終える前にアデルが手を振って姿を消す。ラウラはインスタントコーヒーの壜から粉末を多めに入れてポットから熱湯を注いだ。ひと息ついて、過去に扱った仕事を振り返りながらボイドに連絡をとった。相手の反応は今回も早かった。
『レッドキャップか?』
自分の流儀──とりあえず先制攻撃。「ミスター・ボイド?」
音声のみの通話だったが、無言の裏で相手の困惑が伝わってきた。『この可愛らしい声は初めて聞くな。アドレスは確かに見覚えがあるが……どちら様だろうか?』
「そういうのはまた今度にしてもらえる? どうせ調べがついてるんでしょ?」
『その通り。ミス──どちらかな?』
「ラウラ・サルトールよ。弟を撒き餌にして生き延びたミスター・クラーク・ボイド」
マリオが隠し撮りしたボイドの画像を使ってリリアに都市データベースの検索をしてもらった。姓名をあぶり出し、そこから噂話をかき集めた。冗談めかして今のようなことを吹聴していることを知った。
『ミス・サルトール、用件は?』声からは相手の動揺のほどは測れない。
「仕事の件だけど、貴方の指定した場所に罠が仕掛けられてたわ。これは裏切りとみていいってこと?」
『禍害というやつだな。お互いにとって』
「本当に?」
『誓って』
「まだビジネスを続ける気なら、迷惑料が欲しいところね」
『いいとも』ボイドが笑った。『つい先ほどのことだが、マン・ハントが企画された。主催はシーヴズ。面目を潰されたことが理由だそうだ。賞金まで出すということで、他の連中も乗り気になっている。標的は言うまでもないな?』
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