第31話 したたかに
「もっと妙な話を持ちかけてくるもんだとばかり思ってたんだが」拍子抜けしたマリオが頭を掻いた。
「まあ別におかしくはないんじゃない? ありきたりと言えばそうだけど、私たちの仕事っていったらこれでしょ」
ラウラがPCを操作する。マリオのタブレットにデータが転送されていた。添付ファイルを開くと、三層の地図らしき画像の上に、いくつのマーカーがつけてある。盗聴器を設置して欲しいポイントということだろう。
マリオはすぐにそれを自作のソフトに取り込んでタッチパネルから弄れるようにした。自分で作った地図──ドローンから抜き取って作成したもの──と重ね合わせる。ほぼほぼにおいて一致。謀るような意図は感じられない。
ハッカーに求められるものは大まかに2つ。ひとつは秘密を暴くこと──盗聴、隠し撮り、情報の窃盗。今回の場合もそれだ。マリオ自身も何度となくこなしてきた。そして、もうひとつはその逆。忍び寄る悪意から依頼者を守る事。どういった鍵が優れているかは泥棒に聞くのが手っ取り早い。
横から画面を覗きこんだヒューズが言った。「問題は位置だな、ガードの巡回コースに重なってる。人気があるとは思えない。ドローンが飛ぶ音でも集めるつもりか?」
「いや、多分だが、この辺りに通信の中継器があるんじゃないか? 直接人の声を集めるんじゃなくて、そいつから通信を傍受しようってことだろう」メーラーを起動して資料と一緒に同梱されていた連絡先のアドレスを入力。
「足元を見られるなよ」
「心配なら代わりに交渉するか?」
「顔を見られてるのはお前だけだ」
両手を上げて背中を向けるヒューズ。マリオはおどけながらメールを送信した。反応が返ってきたのは10分もしないうちだった。前にダウンロードしていたSLGを暇つぶしにプレイしている最中に返信の到着がポップする。
文面:直接話せないか? お互いの名前は伏せて。
「音を立てるなよ」念を押してからマイクをONに。通話を開始。「もしもし?」
『早速の連絡ありがとう。仕事を受けてくれると解釈してもいいのか?』
低く、はっきりとした声。ボイド本人で間違いなさそうだった。「乗り気ではいるね。で、引き受けるかどうか決めるために、こっちも色々と聞きたい。この指定されたポイントは中継器を表してるのか?」
『ああ。それと、ケーブルだな』
「そういう機器は大体他の連中が目をつけてそうなもんだが」
『その通り。だが、そこは少々メンテナンスが難しい場所にある。なにせAIの巡回地域だからな』そんなことは先刻承知かもしれないがというニュアンスの声。『そこに触手を伸ばそうというわけだ。今までも何度か他のハッカーに注文していたんだが、いい返事が貰えなくてね』
その理由は簡単に想像がつく。危険だからだ。だが、自分たちであれば造作もないとボイドは考えている。
「だからってまったく手垢がついてないってことはないはずだ。その場合はどうする? 全部取っ払ってあんたのものだけ残せばいいのか?」
『いや、残しておいてくれて構わない。不審に思われたくないからな。ひとつ聞きたいが、既にある盗聴器の通信先を特定することはできるか?』
通信先を調べること自体は難しくない。マリオが目を向けるとヒューズが頷いた。これでハードの問題もクリア。
「通信先だけならできるね。多分だが。盗み見した通信内容だが、復号は飛び飛びになるかもしれない」
リリアの協力があったとしても暗号化された電文の内容を完璧を解析できるかは五分五分だった。なにしろ自分とラウラ、二人だけではマンパワーに欠ける。
『構わない』
「傍受した内容と一緒にそれらの送信先もあんた宛に届くようにすればいいのか?」
『ああ。仔細は任せる。これに関してはそちらがプロだ』
「了解。それで次は肝心の報酬の話なんだが──」
金は受け取ったところで使い道がない。二層で派手にやらかしてからすぐに口座が凍結された。かといって物資もそれほど必要としていない。生産設備に忍び込んで盗み出せるからだ。ボイドはそれらの事情を全て諒解しているとでも言いたげに答えた。
『この階層で君の手足になって働く、というのはどうだろう? もちろん限度はあるが』
お尋ね者の自分たちでは街中には出られない。仮にボイドが約束を履行しなかった場合、盗聴装置を即座に無効化してしまえばいい。悪くない条件だ。そのせいで足元を見られている気分になったマリオは思わずひとつ条件を付け足した。
「それに加えて、情報が欲しいね。俺はここいらの事情に明るくない」
ボイドが笑った。まんざらでもないといった具合に。『随分とさらけ出すんだな?』
「どうせそれくらい承知してるんだろう?」
『段々と君のことが好きになってきたよ。それでは、取り引き成立だ。そして早速の情報提供といこう。盗聴器を仕掛ける際には周りに細心の注意を払ってくれ。誰かに見られてないとも限らない』
マリオは眉間に指をやった。「AIの支配地域なんだろう?」
『そうだ。だが、数こそ少ないが、その辺りには人が住んでるのさ。物好きなんじゃなく、彼らはそこに住まざるを得ないんだ』
「追いやられたのか? 縄張り争いにでも負けて?」
『ある意味ではそうだ。ここはインフラが弱いのは知っているか? 君と待ち合わせを行った浄水施設だけじゃない。構造的に汚れが堆積しやすいんだ。最も顕著なのは空調で、排熱、排気が弱い。なにせ地下だからな。外部の換気塔も動かなくなって久しい』
「それくらいは知ってる。それが?」
『つまり、人が住みにくい環境だということだ。居住可能なエリアが少ない。階層の面積自体は一番広いというのにな。そして、彼らはそんなところで生活しているだけあって随分強かだ。子供だからといって甘く見ると火傷をすることになる』
マリオは思わず上擦りそうになった声を抑えた。
「子供?」
『最も弱い立場にあるのは誰か──考えるまでもないだろう?』
*********
レッドキャップとの通話を終えたボイドは別の連絡が来ていることに気付いた。相手は──シーヴズの構成員。ボイドは貴重品のアルコールを惜しみなく使ったマティーニで喉を湿らせてからそちらに繋いだ。「もしもし?」
『ボイドか?』
相手の声は苛立っている。それを指摘はしない。余計な怒りを買う。
「ああ。何か?」
『人探しを頼みたい』
「相手は?」
『レッドキャップっていう小僧──ハッカーだ』
更にマティーニを一口。オリーブは入っていない。「誰だ?」
『とぼけるな。お前が情報を仕入れていないはずはない』
「少し会話を弾ませようとしただけさ。もちろん知ってる。あんた達との経緯も含めて。それで?」
『居場所を知っているなら教えろ。金は弾む』
この男がこのタイミングで自分に話を持ちかけてきた理由について考える。監視されている? だとしても確信には至っていない。もしそうだとしたら問答無用で踏み込んで銃口を突きつけているだろう。だからといって油断し切るのも不味い。疑い半分、ボイドはそう位置づけた。
「どれくらい?」
『2000』
暫くは贅沢ができる。ボイドは口笛を吹いてみせた。売り渡すかどうか──レッドキャップの値段はまだ未知数だ。
「見つけたら知らせるよ。この辺りに潜んでるのか?」
『そうじゃなければ連絡なんぞしない』
予想外の反応だった。ある程度の確信を持っている。彼らがレッドキャップの存在に感付いた理由についてあたりをつける。自分と同じ思考を辿った。それにしてはアクションが遅い。恐らくだが、自分がばら撒いた置手紙を手下の誰かが拾ったのだろう。もう少し文面に比喩表現を用いればよかっただろうか。しかし、それで肝心の本人に気付かれなければ意味がない。
「話はそれだけか?」
ボイドが聞き返したときには通話が切られていた。苦笑し、この階層で縄張り争いを続けている別の組織に連絡を入れた。
「やあ」
『ボイドか?』
「少し面白い話がある。買わないか?」
『中身次第だ』やや鬱陶しいと感じている声。
「レッドキャップという名前に心当たりは?」相手の反応がない。ボイドは続ける。「2層でシーヴズが一杯食わされた件については?」
小さな悪態が聞こえた。『思い出した』
「どうやらこの辺りに潜んでいるらしい」
『……いくら欲しいんだ』
「50でいい。単なる噂話だ、真偽のほどが分かってからで構わない」
『情報、感謝する』
通話終了。今度はまた別の組織に連絡を取った。
「もしもし? ボイドだ」
『久しぶり』軽やかな女の声。『何かしら?』
「レッドキャップという名前に心当たりは?」
『もちろん。この辺りに潜んでいるかもしれないって話でしょう?』
「おっと、耳が早い。連絡の必要は無かったな」
『耳寄りな情報でも?』
「いや、まだだ。何か分かったら教えるよ」
女が笑った。『この話をするのは私で何人目?』
ボイドも笑った。「もちろん一人目だ」
ボイドはマティーニを飲み干して広い部屋を見渡した。チューダー様式を模した内装は埃ひとつ無い。定期的に人を雇って掃除をさせている。購入にも維持にも金が掛かって仕方がないが、生活水準を下げることはできない。自分と弟、二人分の贅沢をしなければならない。
ジャケットを羽織って外へ。マンション内のエレベータを使って地下に降り、駐車していた車に乗り込んだ。
住んでいる辺りは賃料、地価が高いだけあって小奇麗なものだったが、少し車を走らせればすぐに建物の塗装が剥げてくる。道端にはゴミと浮浪者。貧者の顔は似たり寄ったりだった。数は──減ったり増えたり。馴染みのバーでサンドイッチを腹に入れ、トースト用にいくつかパンを包んでもらうと、その足で少し歩いて思い出の路地に向かった。
何の変哲もない三叉路。道端に座りこんで虚ろな視線を向ける浮浪者には目もくれず、ボイドは立ち尽くして過去を見た。ひとつの道は街の中心へ、もう二つは街の外れへと向かう道。
あの時、自分は左に、弟は右へと曲がった。示し合わせての行動だった。どちらかは逃げ切れるだろうとの浅知恵。後ろからは、盗みを働いた浮浪児を追いかけてくるどこぞの組織の構成員である厳つい男。
その日、捕まったのは弟だった。そして弟は盗んだものを持っていなかった。腹に据えかねた弟は当然のように暴行を受けた。
ねぐらに帰ってこなかったときに予感はしていた。次の日、三叉路を右折して弟の足跡を追ったボイドは、小さく、丸くなった子供の死体を見つけた。
ボイドの意識が現実に帰ってきた。目の前には死体も、血の跡も無い。薄汚れたアスファルトがあるだけだ。
路地を抜けて通りに出ると、長蛇の列が目に入った。先頭には湯気の立つ大鍋が見える。炊き出しを恵んでやって失業者を集めているのだ。ロイヤルズか、同胞団か、シーヴズか、ブラザーフッドかは分からない。どれでもないかもしれないが、いずれも碌でもない連中に違いはない。
「やあ」ボイドは膝を抱えて遠巻きに列を眺める少年に声をかけた。「君は並ばないのか?」 少年は首を振った。「前にケリィが並んだんだ。お前の分も貰ってきてやるって言って。そしたら仕事を頼まれて、上手くいったらもっとくれるって言われて、街外れに連れていかれた」
「それで?」
「帰ってこなかった。だから、並ばない」
「賢いな。いくつだ? ああ、歳のことだ」
「七」
ボイドは一斤のパンが入った袋を少年に向けて放った。おぼつかない手つきでそれを受け取った少年は、中を見て驚き、訝しげな目でボイドを見上げる。
「これをやるからしゃぶれってこと、おじさん?」
ボイドは警告するように靴の踵を鳴らした。「俺が自分で稼ぎ始めたのは八つになってからだった。何が言いたいか、分かるな?」
少年は頷いた。ボイドは背を向けて手を振り、暫く歩いてから、交差点を左に曲がった。直後に足を止め、ビル壁に背中をあずけてスーツの袖を引っ張って腕時計を眺める。秒針が時計盤を1周──建物の陰からこっそりと顔を出して、少年の様子を窺った。
名も知らぬ少年は先ほどと同じように膝を抱えて列を眺めている。そのみすぼらしい姿は哀れを誘う。パンは影も形もない。とてもこの短時間で食べられる量でもない。目を凝らしてみると、少年の背中にあるプラスチックの箱の陰から、パンの袋の先がちらりと覗いていた。
別の人物が通りかかる。それなりの身なりの女性。少年に声をかけ、何かを恵んでやっていた。
女がスカートを揺らしながら立ち去る。少年がそれを目で追う。女の姿が消える。少年は急いで貰ったものを隠し、きょろきょろと辺りを見回した。一部始終を眺めていたボイドと目が合う。
ボイドが口元をほころばせた。少年は天使のような笑顔を浮かべた。
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