地下三層
第29話 胡乱な男
都市の最下層における浄水施設は遺棄をされて数十年が経過していた。そのため地下三層は用水を上の階層からの供給に頼っている。
ライフラインを握られている、イコール、絶対的な主従関係の表れ。
マリオは施設内に張り巡らされたパイプの一本に手を置いた。水気はまったく無い。表面はざらざらしている。厚手の手袋に刺さった錆片を引っこ抜いて遠くへ投げ捨てた。水が流れていないため辺り一帯はひどく静かで、小さな欠片が床に落ちた音すらはっきりと聞こえた。
遠くからローターの音。ゆっくりと浮遊する施設警護用のドローンが目の前を素通りしていった。彼らはこんな打ち捨てられ老朽化した施設でも律儀に守り続けている。停止命令を誰も出せないから。
これらのドローンがマリオを攻撃してくることはない。酷く難儀したが、外敵の選定条件に例外を追加することに成功したためだ。
ドローン制御用プログラムのベースとなっているソースコードをリリアに提出させ、通信の暗号化のロジックを割り出し、そこで使われている暗号キーを特定するのに一週間。そこからプログラムを改修して現在動いているドローンに配信するチャンスを待つのにさらに1ヶ月がかかった。その甲斐あって、地下3層のAI支配地域を8割がた好きに移動できるようになった。おかげで今のところ食料にも水にも電気にも住居にも困っていない。
ツナギのポケットからビニールの包装を取り出して破き、中の携帯食に齧りついた。小腹を満たしながら相手を待つ。
うろつき回るように拠点を変えながら地上2層から地下3層へ逃げてきたマリオ達にコンタクトを取ってくる人物が現れた。伝言はたった1つ──会って話がしたい。
水垢で白く汚れた通路の奥から革靴の音。現れたのは洒落たストライプのスーツを着た、りゅうとした身なりの男。通りかかったドローンにおっかなびっくりといった様子で目を向ける様子がいやにわざとらしい。
「驚いたな、本当に無害化できるのか。噂は事実というわけか」
男は微笑み、マリオの向かいにあるチェストに腰を下ろした。足を組んでリラックスした姿。
こちらが先に動ける体勢──いま銃を抜けば間違い無く一方的に殺せる。
マリオは反動をつけるように壁際から離れ、男の左隣の箱に腰を下ろした。両手の肘を膝の上に置いて、前かがみになる。
「実際に見ると、やはり若いな」
そう言った男の方は、小ざっぱりとした見た目のせいか年齢が分かりにくかった。40を超えているようにも、30の頭にも見える。
「自己紹介しよう。ボイドだ。誘いに応じてくれて感謝する」
「こんな古風な真似をするのがどんな奴か見たかっただけさ」
男が握手のために差し出した左手に、マリオは折りたたんだ紙切れを押しつける。拠点を変えながら地下三層の情報収集をしていたときに、壁に貼られていたのを引っぺがしたものだ。
文面:レッドキャップへ。会って話がしたい。連絡の方法は任せる。
端には、つい数日前の日付。どこかの誰かが網をはっていたというわけだった。その人物がいま目の前にいる。
「そっちの返答方法も随分ユニークだったがね。まさか、ドローンにプラカードを下げて張り紙した辺りをうろつかせるとは」ボイドがその光景を思い出したのかほくそ笑んだ。
「どうして俺の名前を?」マリオが訊いた。
「きみがここ最近で一番ホットな人物だからだ」
「ニュースサイトやSNSには出ていなかったはずだ」
「こっちも商売でね、色々と聞き耳を立てているのさ。どこでどんな騒動があったのか。その後、誰がどうなったのか。実に興味深く拝聴させてもらった。そして次の質問にも先に答えさせてもらうとしよう。なぜ君が──君たちと言うべきか? この辺りにいることが分かったのかだが、半分は簡単な推理だった」
マリオが口を差し挟むかどうかを一瞬待って、ボイドが続ける。
「あの事件のあとに何やら血眼でレッドキャップという名のハッカーを探している連中がいる。そいつらは資金も人員も武装も潤沢にあるというのに、一月かかっても目当ての相手の影すら掴めない。そうなると、とっくにどこかでくたばっているか、それとも人類領域でない所に隠れ潜んでいるかだが、俺は後者だと思った」
「どうして?」
「そっちの方が面白いことになりそうだから、だな。さて、当たりをつけたはいいが、都市におけるAIの支配地域は広い。もっと絞り込む必要がある。俺が着目したのは電気の消費量だった。人間なら電気を使ったり使わなかったりと気まぐれを起こすが、厳密に行動をスケジュール化された機械は消費量がほとんどぶれない。各所に配置されたメーターで日の消費量が今までと違う箇所を調べた。もちろん色んな理由で全域とはいかない。立ち入ることができなかったり、伝手が無くて精確な値が手に入らなかったり。そこで──」
「くさい場所にべたべたと貼りまくったわけだな?」
マリオが先ほどの張り紙と同じものを取り出してばら撒いた。全部で12枚。
「ご明察。スマートじゃなかったかもしれないが、効果はあっただろう?」
「そうだな。で、あんたが目端の利く奴だってことも分かった。それで?」
「ひとつ、一緒に仕事をやってみないか?」
ボイドが取り出したのは小さな、指先ほどの記憶媒体だ。マリオが躊躇っていると、ボイドが微笑んだ。
「受け取るくらいは構わないだろう? 中を見て気に入らなければ、俺たちの関係はそれきり。実にシンプルだ。ウイルスの類は仕込んでないが、例えそうだったとしても本職の君に通じるはずがない。そうじゃないか?」
マリオが掻っ攫うように記憶媒体を受け取る。「何かを企んでるって顔だぜ」
「もちろんさ」ボイドが立ち上がった。「さて、用件も済んだし俺はもう行く。狙いをつけられてるっていうのも落ち着かないからな。いるんだろう? 護衛が。さて、そっちから他に質問は?」
「無いよ」マリオが首を横に振った。「本当の事が出てくるとも限らないしな」
ボイドは片目をつむった。来たときと同じように颯爽とした足取りで去っていく。
しばらくして、胡乱な男と入れ替わるように通路の反対側から歩いてきたのはアデルだ。スコープを装着したM40のレプリカを肩に担いでいる。
「どうだったの?」
「聞いてたろ?」マリオはツナギのジッパーを下ろして上着をめくった。テープで貼りつけられた集音装置とレコーダー、そして通信機。「得体のしれないおっさんだったよ。そっちこそ、ボイドって名前に覚えは?」
「無いわ。偽名かもね」
「ありえるな」
情報が必要だ。それをどうやって手に入れるかという手段も含めて。ここはホームグラウンドから遠く離れた場所で、ハッカーとして重要な仕込みもなければ土地感もない。やらなければならないことは増える一方だった。
「それで、向こうの申し出は受けるのかしら?」アデルが言った。
一応は仲間内で相談するつもりだったが、答えは決まりきっているようなものだ。いつまでも逃亡生活を続ける気は無い。必要なのは反撃の糸口、その切欠だ。
「一旦戻るか」マリオがチェストから腰を上げて仰け反り、凝りをほぐす。
「その前に聞きたいのだけれど、どうして奴の近くに座ったの?」アデルがライフルの銃身を叩く。「打ち合わせじゃ距離をとるはずだったでしょう?」
「そっちの位置と腕なら問題はなかっただろ? それに、射線の邪魔にならないように前かがみになってた」
「あまりにも不自然すぎてスコープを覗きながら思わず舌打ちしたわ。きっと、あれのせいでばれたのね。ああ、私が言いたいのはそういうことではなくて、どうして自分から危険に近づくのかっていう話よ」
「あの男は先に隙をさらけ出した。だったら、こっちもそうしなけりゃ負けになる」
アデルが首を捻った。「どういう理屈?」
「男の理屈に決まってる」
返ってきたのは軽い溜息だった。
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