第25話 余暇の始まり

「いつまでそうしてんだ」


 うんざりした声で言って、マリオが舌打ちした。車はまだ1mmも動いていない。ヒューズはハンドルを両手で握りしめたまま前を向いたままで、いつまで経ってもキーに手を伸ばそうとしない。


「まったく下らないと思わないか? 過去の経験から学んでやることが猿山の大将争いだなんてのは」


 ヒューズが窓の外に真っ赤な唾を吐き捨てた。殴られたか倒れたかしたときに口の中を切ったらしい。


「まだるっこしい。はっきり言えよ」

「やるならすぐに行くべきだ」

「やるって?」


 空とぼけるマリオにヒューズが食ってかかる。


「先回りして襲撃だ。奪われたものを取り返す。仕事は終わったんだ、ここから先は何をやろうと構わないはずだろう?」

 マリオはこれ見よがしに大きく息を吐いた。「決着がついた話を蒸し返したら、シーヴズだけじゃなくブラザーフッドからも追われるぞ。それどころか都市中から狙われたっておかしくない。ぶん殴られたからってイラつき過ぎだろ」

「そうじゃない」

「じゃあ、何だ?」

「彼女は、あんな連中に渡すには惜しい」

「そうかもな。で、それだけか?」


 ヒューズは暫く押し黙っていたかと思うと、急に堰を切ったように喋りだした。


「俺の家はな、それなりに裕福だった。学校にも通わせてもらえるくらいに。だが数年前に凋落した。親父は資産家の二代目で、何の気苦労も無く甘やかされて育ったせいかお人よしな男でね。いつも地域の治安だとか衛生だとかに心を砕いてたよ。そこをさっきみたいな連中に食いものにされた挙句、しまいには首を吊った」


 ヒューズがハンドルに頭を打ちつけた。クラクションが鳴る。止まりかけていた血が額の傷からまた流れ出した。


「くそ、要するに、気に食わないんだよ」


 マリオは後部座席に目をやった。アデルの方は聞くまでもない。瞳が燃え盛っている。口から出たのもシンプルな答えだ。


「やられた分はやりかえす。ただそれだけよ」

「組織から追い出されるぞ。お前の家みたいなもんだろ」

「どうにかして丸く治めるわ」

「どうにかって、何だよ」

「いいのよ、細かいことは。それに放逐されたらされたで構わないわ。そのうち独り立ちしようと思ってたから、むしろ好都合ね」


 てこでも動きそうにないアデルからマリオは視線を横にずらした。「そっちは?」

「私も行くに一票」


 予想と異なるラウラの反応にマリオは一瞬だけ言葉に詰まった。


「まさか、あれに愛着が沸いたなんて言うんじゃないだろうな?」

「そういうのが無いとは言いきれない。あそこまで精巧だと傍から見て人間と変わらないしね。外見の話じゃなく」


 言わんとする事は分かる。外部からの刺激を受け、与えられたハードウェアのあらゆる機能を用い、保持したデータから状況に適した回答を選択する──そのプロセスは人間にも当てはまる。つまり、それができるなら、ガワが何であろうとどうしたって生きているように見えてしまう。

 それでも、ただ反応を返すだけならよくできた機械の域を出なかっただろう。だが、あのロボットは自発的に動く。初期設定された目的があるからだ。


「でも、彼女と私たちは違う。明確なのは優先順位だと思う。私たちは自分の存在を保持しようとする。自分の命で、遺伝子で、ミームで。だからどうしても他人を出し抜かなければならない。競わなければならない。劣っていたら、ただ消えるだけだから。当然だけど彼女にはそれが無い。自己犠牲で英雄化を目論んでるわけじゃないし、死後の救いを求めての奉仕とも違う」

「あいつを取り返して、それからどうしたいんだ?」


 ラウラは赤い帽子を目深に被って顔を隠し、右手を前に出した。小刻みに震えている。


「さっき、銃を向けられたでしょ? それからずっとこのザマ。覚えてる? 他の子供たち」

「ああ。使い潰されるなりドジを踏むなりで全員死んだな。俺たち以外は」

「いい加減そういうのにうんざりしてきたのよ」

「それで、あのポンコツに期待するのか? 多分だが、あれのプログラムも変化するぞ。他のドローンと同じように自己改修する。その結果、いま崇高に見えているものが劣化する可能性は十分にある」

「でも、少なくとも人間よりはずっと強靭で耐久力がある。そう思いたい。これってそんなにおかしい?」

「いいや」


 ラウラが吐露したものにはマリオも大いに覚えがある。なにしろ、ほぼ似たような人生を送っているのだから。


 三人の視線が集まるのを自覚してマリオはシートに寄りかかり、もし血迷った場合に失うものを頭の中で指折り数えた。


 職。住居。安全。どれも軽くはない。比喩ではなく文字通り泥水をすすって手に入れたものだ。だが、忘れてはならないことがひとつ。


 果たしてここが──今の世が、どれだけ持つのかということ。


 行きつく先は見えている。必要なのはそのルートからそれるための推進力だった。命を賭け金にできるだけの。

 マリオはPCに目を落としてメーラーを開いた。爺さんの最後の言葉はまだメールボックスの奥に保存されている。差出人で検索をかけて引っ張り出し、久方ぶりにその件名を眺める。


 『好きにやれ』


 腹に力を入れる。画像検索をかけて今しがた走り去った連中の車の特徴に一致するものを階層中のカメラから掻き集めて位置を特定──類似のものが10件。ワンボックスとSUVの組み合わせで1件になる。街の中心方向へと移動していた。エレベーターを使って上に運ぶつもりでいる。


 おあつらえ向きに、とりあえずの勝ち目はある。


「分かった。乗ってやるよ」


 その場でスクリプトを組んで可能な限り時間を稼ぐ罠を仕掛ける。3分もかからずに作り終わった。ラップトップをたたんで顔を上げてみると、車はまだ発進していなかった。


「どうした? 早く出せよ?」

「やる気になった理由を聞いてないぞ」ヒューズが言った。

「どうでもいいだろ、そんなもん」

「俺たち三人は喋った。お前は誤魔化そうとしている。どうでもよくはないね」


 マリオは首を捻ってしばらく考えた。


「このマリオ様は年若いながらも腕のいいハッカーで、強面どもを向こうに回して一歩も引かずに対等の商売をやってみせてる。そんな一端の男を相手に、こともあろうにAIごときが情けをかけやがった。私が犠牲になるのでお逃げください、ってな具合だ。癪に障るね。で、ひとかどの男である俺は、奴らを華麗にぶっ倒してあの間抜けなロボットを助けることで、そもそもそれがまったくの無駄な行動だったってことを教えてやりにいくわけだ。どうだ?」


 ヒューズがせせら笑い、今度こそアクセルを踏んだ。

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