第21話 共鳴する悪童

 初めてヒューズと出会ったのは、もう三年ほど前になる。

 ハッカーとして何とか生計を立てられるようになってすぐ──レッドキャップの死後、すぐのことだった。懇意にしていた銃職人の老人に、腕のいい若者がいると紹介されてその名前を知ったのが切欠だ。


「次からはそいつに見てもらえ」


 今しがた渡したばかりの拳銃をつき返されたマリオが言った。「どうした、急に? 自分の食い扶持を他人に紹介するなんて随分殊勝だな」

「今日で店じまいだからだ。もう年でね」

「元気そうに見えるぜ?」


 見る限りでは健康そうでまだまだ矍鑠としている。背筋が多少曲がってはいたが、職業病と言えなくもない。

 その老人が右腕を突き出した。染みと皺と体毛と分厚い皮に覆われた手。その指先が微かに震えていた。


 マリオは舌打ちして目を背けた。その拍子に目に入った棚も、作業机も、工具も、いずれも古びて汚れていた。目の前の老人のように。


「そういうわけだ」老人がペンを取ってメモ用紙に名前と住所を書き始める。思うように動かないのか、苛立たしげに舌打ちしながら何度も書き直す。「まあ、筋は悪くない。お前と同じで生意気なガキで、気が合うかどうかなんぞ知らんがな」


 記されていた住所は、薄汚れたアパートメントの一室だった。


 何の変哲もない住居にしか見えなかった。少なくとも今まで目にしてきた工場や工房といったものからはかけ離れている。メモとその部屋とを見比べて一杯食わされたかと考え始めた頃、ドアが勢いよく開いて男たちが現れた。


 その三人の顔は知っていた。この辺りを縄張りにしているギャングの構成員──主に集金を担当している下っ端だ。

 相手側もこちらの顔を知っているようだったが、視線を一瞬交わしただけですれ違った。


 入れ違いで室内へ。中は二部屋、入ってすぐの間取りを作業場に改造しており、奥のもう一部屋を居室として利用しているらしかった。二つの部屋を繋ぐドアが今は半開きになっている。


「在宅かい?」


 言いながら部屋を見渡した。工具は使いかけのようだが、特に荒らされたような形跡はなかった。それも当然だ、あの連中は物取りではない。

 ドアが開き、壁に手をつきながら痩身の少年が姿を現した。足元が震えており、拭いきれていない赤い筋が鼻から頬にかけて一本延びている。


「まだ、何か用か」


 少年がメガネの具合を確かめる。片方のレンズにはヒビが入っていた。


「客だよ。さっきの奴らとは別口だ。ミスター・スミス、でいいのか?」

「いかにも、そうだが」


 男は何事もなかった風を装っている──明らかに満身創痍。マリオは思わず笑いそうになるのを堪えて訊いた。


「出直そうか?」

「いや、いい。見せてくれ」


 作業台の上に置かれた銃を一目見るなり、ヒューズ・スミスは顔をしかめた。


「ちゃんとクリーニングをやれ」

 マリオは笑った。「爺さんと同じことを言うんだな」

「爺さん?」

「八番街の爺さんだよ。引退するっていうんで、ここを紹介されたのさ」

「そうか。あんた、手を見せてくれ」

「手?」

「替えが要るだろう」


 要領を得なかったが、マリオは言われた通りに両手を前に出して広げた。それを見て頷いたあと、ヒューズが背後のキャビネットの鍵を開けて一丁の拳銃を取り出した。


「整備が終わるまでこいつを使ってくれ。ガバメント──今の銃は、少し手の大きさにあってない。使ってみて替えたくなったら遠慮なく言え」弾の入った箱と一緒に目の前に置かれる。「試射なら裏手で出来る」


 アパートメントの裏は空き地になっていた。コンクリートの壁にはいくつもの弾痕。足元には空の薬莢。マリオは足元に転がっていた穴だらけの空き缶を廃材の上に置いて銃を構えた。手の中にすっぽりと収まる感触──今まで使っていたものより引き金が軽い。撃った後の跳ね上がりも少ない。


 紙箱を空にして部屋に戻ると、ヒューズはすでに銃の分解を終えていた。ブラシで各部に詰まったゴミの掃除をしている。


「なかなか良い銃。そいつの代わりにこっちをもらってもいいか?」

「構わないが、どっちにしろあんたの持ち込んだ銃を店に並べるのに手を入れる必要がある。その分の代金を頂こうか」


 提示された金額は相場通りのものだった。マリオが決済用のアプリを起動してPDAを突き出すと、ヒューズがそれを手で押しとどめた。


「条件次第ではタダでいい」

「へえ?」

「あんた、始めにさっきの奴らと言っていたな? あいつらの素性を教えろ」

「仕返しならお勧めしないぜ」

「あんな下っ端にいちいちそんなことをしていても時間の無駄だ」

「そうかい。じゃあ、何か書くものを貸してくれ」


 手渡されたボールペンで職人の爺さんからもらったメモの裏に仕事用のメールアドレスを書き殴って渡した。ヒューズはそれを見ながら脇にあったデスクトップPCのキーを叩く。マリオの持ち運んでいるタブレットに見知らぬアドレスからのメールが届いた。


 先ほどの三人の名前と顔写真、所在に加えて所属する組織、目ぼしい構成員についての情報を添付して返信した。


 ヒューズがメールの内容をしげしげと眺める。「随分とサービスがいいな?」

「なにせ初顔の客だ。愛想よくしておかないとな」

「礼を言っておこう」

「じゃあな」


 とりあえずは一週間後にまた来るつもりでマリオは部屋を後にした。上手くいくにしろ下手を打つにしろ、それくらいあれば何かしら結果が出るだろうと考えて。


 *****


「で、それから?」


 後部座席、両手を枕にシートに体を沈めてラウラが言った。


「別に面白い話じゃない」交差点の信号が青になったのを確認してヒューズがアクセルを踏み込んだ。「その集金担当の上役に直接交渉して下っ端の頭越しに金を渡すようにした。ついでにキックバックを約束して組織を迂回した金を渡しつつ仕事の受注の窓口もやってもらうようにしてな。その後は組む相手を都度乗り換えながら金と伝手を作って、今の工房に移ったってわけだ」

「結構な恨みを買ってそうね」

「ある程度は仕方がないさ」

「それで、今のお得意さんがブラザーフッド?」

「というよりはミスタ・ウォード個人だな。商売相手としてはかなり上等な部類だよ。とにかく実利優先で下手なご機嫌伺いなど逆効果、最低限の節度さえ弁えていればあとは結果を出すだけでいい。報酬に色を付けてくれることはあってもケチることなど一切ないし、支払いが遅れたこともない」


 確かにヒューズのいう通りの上客ではある。腕に覚えがあれば、の但し書きがつくが。マリオもウォードと繋がりを持ったのはヒューズ経由で紹介を受けてからであり、最初の投資が無駄ではなかったということになる。

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