第16話 本物と擬似人格の差は

 先ほどまでと打って変わっての静寂。モニタリングを続ける機器の駆動音だけが白々しく地下フロアに響き渡る。

 

 ケージの中の少女型の物体は、腰から下を棺桶の中に沈めたまま舐めるように周囲を見渡している。マリオは、先ほどからそれがまばたきをしていることに気が付いた。表情もマネキンのように固定されているのではなく、動作に合わせて目をすがめ、唇の形を変えると細かく動いている。はっきり言って、人間のようにしか見えない。

 

 マリオはその場の責任者を探した。左後方にウォードの姿。目が合う。ウォードは苦笑いし、手を差し向ける。その他の連中も似たり寄ったりだった。起こした奴が責任を取れ──そういう顔をしていた。マリオは口の中で慎重に最初の一言を選んだ。

 

 「さっき、挨拶したよな? 言葉が通じるってことでいいんだよな?」

 「はい」

 

 少女が頷いた。どこか遠くを泳いでいた視線がマリオに向けて固定される。

 

 「この地域における主要言語を加えた数ヶ国語についての会話が行えるように設定されているはずです。質問を返すようで申し訳ありませんが、私の発音に問題は無いでしょうか? お聞き苦しいところがありましたら遠慮なくご指摘ください」

 

 喉の奥から発せられているのは間違い無く電子音声。スピーカーから出力されている。聞き間違いではない。唇の動きと発声に若干の違和感がある。それでも注意して見ていなければ分からないほどの齟齬。

 

 どうコミュニケーションをとったものかと考えあぐねているうちに、少女が質問を続ける。

 

 「あなた方は人間であるように見受けられます。この私の見解に間違いはないでしょうか?」

 

 マリオは唖然として口を開いた。俯き、手で口元を覆い、肩を震わせる。少女が小首を傾げた。「その反応は、歓喜を示していると理解してよろしいでしょうか?」

 笑ったことで余分な力が抜けたマリオがいつもの調子に戻る。「ああ、それでいい。なかなか気の利いたジョークをかましてくれるじゃないか。そういう質問をするってことは、そっちは人間じゃない?」

 「その通りです」

 

 即答されてマリオの頬が笑い半分に引きつる。状況と物的証拠からそうであることは明らかだったが、いざ本人──人と定義していいのかどうか不明だが──に肯定されると、驚きを隠せない。


 それほどまでにその物体は人間を模倣していた。姿形の問題ではなく、所作が何もかも人間くさい。むしろ、なまじ完璧すぎる外見が逆に人間性を損なっているように感じられるほどだ。

 

 「よし、じゃあ聞くぜ?」マリオは身を乗り出して、椅子の前の方に尻を動かした。「お前はいったい何なんだ? 人間じゃあないなら、何だ?」

 「都市の管理システムです」

 

 予想もしなかった答えにマリオは絶句した。その場にいた全員が似た様な反応だった。

 

 「つまり、AIなのか? 誰かが遠隔操作しているのではなく?」

 「前者については、まさにその通りです。 また、遠隔操作というのも間違いではありません。私を動作させる主要なプログラムはサーバ上にあり、この体はそれによって動かされているデバイスです。ドローンのようなもの、とお考え下さい」

 「あの、施設を守るために徘徊してるやつと同じだって?」

 「はい」

 

 にわかには信じられない。こちらの言葉を聞き、文脈からそこにある意味を正しく理解し、その上で的確な答えを用意している。少なくとも表面上は、そこに人格が存在しているようにすら見える。

 

 対話を演出するプログラムはある。その数理モデルをネットワーク上で流し見た事があるし、労力を度外視して考えれば自分でもそれを構築、再現することはできるだろう。だが、こうまでハードウェアと上手く連動させて人間のような振る舞いをさせるというのは──

 

 「彼らと形状が異なるのは、用途が異なるためです」

 

 少女が目を伏せる。まつげが長い。いったいどんな素材で出来ているのか。

 

 「どんな用途だ? 何の目的があってそんな姿形をしてる?」

 「住民のデータ収集です。いままでそれは受動的なものでした。ですが、やり方を変える必要があるのではないかとシステムが判断しています」

 「データ? データを集めてどうしようっていうんだ?」

 「都市の管理システムの目的はただ一つ、住民にとって快適な環境を整え、規定の人口を維持すること、ただそれのみです。私はそれに特化して造られました。ハードウェア、ソフトウェアの両面において」

 

 受動的なデータ収集から変更──能動的なそれへと。いまの話を要約すると、人間とコミュニケーションを取るためにシステムが人間用のインターフェースを造った、そういうことになる。都市の環境を整備、維持し、施設を稼動させ続けるだけでは人間同士の内輪もめに対応できないから。

 

 ヒューズに肘でつつかれた。表情は心底楽しげだ。皺だらけのリネンのシャツすら生き生きしているように見える。気持ちは分からないでもなかった。誰もが黙り込んでいるのを見て、少女のような物体は続ける。

 

 「この都市は長らく基本フローでの自己修復を行ってきましたが、稼働率は回復せず下がる一方でした。このままでは機能停止に陥るのは時間の問題であると考え、様々なアプローチ方法が検討されました。その結果、利用者との意思疎通を図った上で緻密な復旧計画を立てるべきだとの論が持ち上がり、製造されたのが私になります。正しいデータの取得、つまり人間が表面上アウトプットしているデータだけではなく、その裏に潜むマスクデータを汲み取るため、可能な限り人間を模して造られました。その際に参考にしたのは、いままで都市が収集してきた住民の挙動です」

 

 マリオは更に前かがみになった。肌は粟立っている。

 

 「ですが、私の稼動はまだ確定事項ではなく、多くある選択肢のうちの一つでしかありませんでした。そのため、閾値を定められた上でのスリープ状態にあったのです。あなたが私をセーフモードで起動されたのでしょうか? もしそうでしたら、その理由について教えていただきたいのですが」

 

 少女の眼球がマリオにピントを合わせる。ズーム音が聞こえるような気がした。手を組み、それから逃れるようにフロアに目を落とす。

 

 「理由、理由か……あえて言うなら、半分は仕事で、もう半分は好奇心だ。こういう答えで納得できるか?」

 「ありがとうございます。状況を理解しました」

 

 この少女のような物体の話が本当なら、都市を管理するために組み上げられ、いまも自己の改修を続けるAIが、自ら作られた目的を果たすために試行錯誤して人間のように振舞うAIを開発したことになる。マリオはその基礎を作り上げた人間たちの狂気にあてられていた。

 

 常人の所業ではない。荒唐無稽にもほどがある。普段なら酔っ払いかジャンキーのたわごととして一蹴しているところだ。だが、目の前にはその信じられないような話が説得力になって存在している。

 

 「いささか想定外なものではありましたが、起動した以上、上位のシステムから方針変更が下達されるまでは──そう、使命を果たしたく存じます。現状に合わせたプランをいくつかご提示することができますが、今すぐお聞きになられますか? 都市のサブルーチンであれば選択いただいたものに応じてすぐにでも変更、改修することが可能です。抜本的な都市機能の稼動計画変更となりますと、該当施設をコントロールするため直接現地に赴く必要がありますが」

 

 その発言が意味するものを理解してマリオが息を呑んだ。ラウラとヒューズ、後は数人の技師たちも同様の反応。アデルはいまいち的を射ないといった表情をしている。ウォードは通信機ごしに小声で誰かと会話していた。

 

 「説明が不十分でしたでしょうか? 遠慮なくお申し付けくだされば──」

 「いや、いい、分かる。それは、どの範囲まで? ああ、例えば、この都市の天辺から地下まで、お前の影響力は及ぶのか?」

 「はい。ただし、本来であれば、という但し書きがつきます」

 「というと?」

 「私はいま、当初想定されていたものとは異なる方法により起動されています。よって、その権限は非常に限定的──割合にして21%程度です。具体的には、ほぼ二層においてのみ権限を行使することが可能となっております」

 「セーフモードの弊害か。ちなみに、そこから自力で脱出できるか?」

 

 少女型のロボットが起き上がって棺桶から足を踏み出した。ガラスケースの内側を、その強度を確かめるように触る。首から上の体毛は再現してないのだなと、どうでもいい考えが頭の中をよぎった。

 

 「これは都市本来の設備ではありませんので私の影響下にありませんが、時間をかければ干渉することは可能です」

 「ミスタ・マリオ、少しよろしいですか?」

 

 通話を終えたウォードがマリオの顔の高さまで腰を折った。

 

 「何です?」

 「ボスからの連絡です。お三方には引き続きの調査をお願いしたいと」

 「構いませんよ」予想通りの答え──願ったり叶ったり。うるさい客の注文を快く引き受けるといった体で頷いた。「報酬と諸経費については後々の報告でいいですか?」

 「ええ、それで結構です。ですが──」

 「私は?」アデルが言った。

 「引き続きの監視を、とのことです」

 

 アデルは満足そうに鼻を鳴らす。ウォードは気まずそうな顔で振り返った。

 

 「ただ、何人か他にも人員をつけるそうです。私の管理下でこれ以上事を進めるのに難色を示した方が大勢出たらしく、その辺りは申し訳ありませんが……」

 

 マリオは投降するように両手を上げて苦笑した。お嬢様の道楽や技術的な協力者ではなく、敵対的な監視員。

 

 「心得てますよ。ある意味、当然の措置ですね。寝起きはここでやればいいんですか?」

 「はい。必要なものがあれば、どうぞ」

 

 電気、水道、大人数が詰めていた場所だけあって生活に必要なものは一通りそろっている。

 

 「とりあえずは人数分のベッドがあれば」

 

 マリオは椅子から立ち上がって伸びをし、置いてけぼりを食っている肝心の相手に向き直った。

 

 「悪いな、待たせて」

 「お気になさらないで下さい。どうやら込み入った様子だということは理解できますので」

 

 ガラスの檻の中の少女は平坦な電子音声をさらに平坦にして言った。AIに気遣われたという事実にマリオは失笑する。

 

 「まったく、よく出来たプログラムだ。どういうからくりだ?」

 「大量のデータのサンプリングによるものです。どのような状況でどういった回答、反応をすることが適切であるのか、サーバ上にもともと用意されていた基礎データに加え、住民の方々を観察する傍ら得た情報を統計的に分析することによって私の擬似人格は形成されています」

 

 とんでもない力技。よくよく考えればこの巨大な都市自体がそれをやっているのだ。人間の情報を収集する手段などいくらでもあるだろうし、マシンパワーに不足もないに違いない。

 

 「あんた、名前はあるのか?」

 「型番は存在します」

 「じゃあここで付けようか」

 

 ヒューズがケージに近づいて片手を置いた。少女を食い入るように見つめる。

 

 「コミュニケーションを取るというのであれば、そうしないと不便だからな。それに、ここまで精緻に造ってあるのなら、そこまでしないと画竜点睛を欠く」

 ヒューズの放つ熱気からマリオは距離をとる。「こう言ってるが、何か希望はあるか?」

 「これといって。侮蔑の意味合いが含まれるものでなければ」

 「今日は7月24日だったか?」ヒューズが携帯端末を取り出して操作する。「そうだな、リリアはどうだ?」

 

 意味が分からないといった顔をすると、ヒューズが肩をすくめた。

 

 「今日の誕生花が百合だからだよ。愛らしい外見にぴったりだろう?」

 「リリア」ロボットが何かを確かめるようにたったいま提案された名前を復唱する。「承知いたしました。ただいまより私の名称として登録します。あなた方のことは、何とお呼びすればよいでしょうか」

 「ヒューズ・スミスだ」

 

 リリアの視線が横にずれる。

 

 「アデル・ゴールドバーグ」いつも通り自分を大きく見せるように腕を組む。

 「ラウラ・サルトール」帽子を脱いでの軽い会釈。

 「ジム・ウォードです。以後お見知りおきを」図体に似合わない控えめな態度。

 

 眼球を模したレンズが最後にマリオへ向けられた。

 

 「マリオ」

 「マリオ?」少女が首を傾げる。透き通った紺碧の眼球。

 「ファミリーネームは思い出せない。別に無くても困ってない」

 

 ひとしきり自己紹介を終えたところでヒューズが機器を操作した。ガラス張りの檻のドアが次々に開く。それを見たマリオが慌てふためく。

 

 「おい、大丈夫なのか?」

 「有害物質の類は検知されてない。どれくらいあの箱の中にいたかは知らんが、取りあえずメンテナンスをしてみないとな。それに、これから色々聞かなきゃならないってのに壁越しじゃあ話の弾みようがないだろう?」

 「何か着せてあげないとね」

 

ラウラが更衣室からタオルと着替え用のブラウスを持ってきた。しばらく虚空を眺め続けていたリリアは、やがてガラスのケージの中から出てくると、ラウラからそれを受け取り礼を言った。


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