第9話 女と植物は似ている
事件の記事以降は延々と景気の悪いニュースが続く。いまだ戦争の影響は色濃く、外の土壌、大気汚染の度合いに変動なし。二層のシステムの稼働率が51.8%に低下。いくら自己修復機能を備えているといっても耐久年数を超えた建材に関しては如何ともし難く、さりとてメンテナンスを行おうにも命令する手段の無くなったAIがそれを阻害している状況。
都市の寿命は着々と減り続けている。
エレベーターの火災報知機の誤動作については、隅の方に僅か数行だけ載っている程度だった。
脱衣所のドアが少し空いてラウラが顔を出した。化粧が落ちて見知った顔に戻っている。「ねえ、服あまってない? 私、下着しか持ち出せなかったのよね。さっき着てたやつは洗濯したいし」
マリオはのろのろとクローゼットまで歩いて中からツナギのスペアを取り出した。
「マジ?」ラウラが声を絞り出すように言った。「冗談きついんだけど?」
「いや、これしかねえんだよ」ツナギをボールのように丸めてラウラへと投げる。「男の普段着なんて、大体ひとつかふたつなんだよ。気に入らないならその辺で新しいの買ってこい」
盛大な溜息を残してラウラが顔を引っ込めた。ドライヤー。衣擦れ。やがて脱衣所のドアが開き、手足の部分を捲り上げてサイズの合わなさをごまかした格好で姿を現した。
濡れて余計にギラギラと光るグリーンの髪をいじりながら表面の汚れた姿見で全身を確認する。
「この服、この髪とじゃ絶望的に合わないわね。帽子か何かある?」
マリオはまたクローゼットを開け、ほとんど使っておらずに隅っこに転がっていた赤いツバ付き帽子をフリスビーのように回転を加えて投げた。
ラウラは下から手を差し込むようにキャッチし、何度か指でくるくると回してすっぽりと被る。「これ、おじいちゃんの? あんたが持ってたんだ」
「欲しけりゃやるよ。なあ、もしかして、その髪やさっきのメイクはキャラ作りの一環なのか?」
「営業努力って言ってよね。体を鍛えて厳つい顔をしてればそれなりに相手を威圧できる男には分かんないでしょうけど。元のブルネットだって嫌いじゃないのに」
ラウラはぼやきつつ帽子の角度を整え、輪ゴムで後ろ髪を縛る。マリオはその華麗な変身に思わず舌を巻いた。部屋に入ってきた直後の派手で尻軽で頭のネジが緩んでいそうな雰囲気はどこぞへと吹っ飛んでしまっている。今では一見地味で無愛想ながら仕事のできそうな雰囲気をたたえた、いかにもやり手といった風貌だ。
ヒューズからの通信が入る────マンションの下に到着。マリオはインスタントヌードルをスープごと掻き込んでいつものツナギに着替えた。
いつもの見慣れたバン。いつもの座りなれた助手席に滑り込む。ヒューズがバックミラーをちらりと見て眉を動かした。「珍しいな。助手を雇ったのか? しかし、何も同じ格好をさせることはないだろうに」
後部座席には無言で乗り込んだラウラ。腕と足を組んでそっぽを向いている。
「よく見ろ、知った顔だろ。大体お前の方こそ、このあいだ雇ってた美人の従業員はどうしたんだよ」
「とっくにクビにした。媚を売ってれば口に餌が放り込まれると思っていやがった。ちっとも仕事を覚える気が無かったんで叩きだしたよ」ヒューズがバックミラーの角度を弄る。「ああ……ライラ? リアナ?」
「ラウラよ。あんたも相変わらずね」
「そう、ラウラだ。前はブロンドじゃなかったか? あまりころころ変えるのは感心しないな。そのうち禿げるぞ」
「お生憎様、ちゃんと髪が痛まないのを使ってるわよ」
結構、とばかりにヒューズは頷いた。「そいつはなによりだ。女は美しくあるべきだからな、花のように」
サイドブレーキを下ろしてエンジンペダルを踏み込む。カスタムされ、規定の出力をオーバーしたモーターが高速回転を始めた。
09thストリートを東へ。今日の都市の天気設定は晴れ────明度が高い。しかし気温や湿度は昨日と変わらない。設定が雨でも晴れでも曇りでも都市内の空気環境はほぼ一定に保たれる。ヒューズがラジオから流れてくるしみったれたバラードに合わせて鼻歌を歌い、指でハンドルを叩いてリズムを取る。
「上機嫌すぎて気色が悪い」マリオがラジオの周波数を変える。流れ出すジャズのトランペット。
「あんなわけの分からんものを触れるんだぞ? 気分が上がりもするさ。お前だって楽しみじゃないとは言わせん」ヒューズがこれは自分の車だとでも言いたげにチャンネルを戻した。
マリオは渋っ面で肘置きに体重をかけた。目的地まではまだまだ距離がある。イヤホンをタブレットPCに繋げて動画を再生する。
ヒューズが横目で視線を送ってくる。「そいつはもしかして、昨日俺が売りつけたやつか?」
「ああ。そうだよ」
「どうだった?」
「屑ばっかりだ。ああ、またサメが出てきた、こいつも駄目だな」
ヒューズが喉を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。
都市の中心から離れる方へ進んでいるせいか目に映るものが寂れていく。汚れの目立つ建物。一部欠けた状態で発光する電飾。交通量は少なく、時おり現れる射影を躱してバンがかっ飛ぶ。
マリオの座席をラウラが後ろから蹴り飛ばす。「ねえ、手伝いって話だったけど、どこに向かってんの?」
「そういや言ってなかったか」マリオがイヤホンを外して振り返った。「ブラザーフッドの所有地だよ。周辺インフラの調子が悪いせいで住民が移住して人気のない場所だ。ひっそりと何かをやるにはうってつけというわけだな。そこで昨日のブツを詳しく調べてる」
「マジで?」ラウラが顔を引きつらせて口元を押さえる。「昨日やらかしといて、いきなり顔見せに行くってまずくない?」
それだけで事情を察したヒューズが彼女の不安を鼻で笑った。
「なあに、そんなみみっちい連中じゃないさ。なにもブラザーフッドに恨みがあってシーヴズに加担したわけじゃないんだろう?」
「脅されてたのよ」慌てて言い直す。「ビジネスってわけ」
「なら堂々としてりゃいい」
周囲から人の気配が消えていく代わりに、風景に段々と緑が混じってくる。アスファルトを突き破ってたくましく顔を出した蔓草が建物の壁面に絡み付いていた。
笑えることに、人の手が入らない方が緑が増える。
荒れ果てた生活環境の改善ということで、10年ほど前までは都市の中央区で管理局が植物の種を配る、街路樹を植えるなどの緑化運動を推進していたようだったが、結局のところはかばかしい成果が上がらなかったため取り止めになった。運び込まれた種が盗まれ、売るために苗が引っこ抜かれたからだ。
マリオはこの赤錆と石灰の街並みにうんざりはしていたが、そういう行動に出た人間たちを責める気にはなれなかった。年端もいかないころの話だが、それで生活費を稼いだうちの一人だったからだ。
地上1階分しか高さがなく、味気ない単色のコンクートの建物の前で車をヒューズが停める。
建物の地上部分はほぼ空洞になっており、地下への階段とリフト、建物裏から繋がる搬入口しか存在していない。その代わりであるのか、階段で降りた先の地下空間は地上部分など比較にならない広さを誇っていた。
「何これ?」
ラウラが帽子のつばを持ち上げて辺りを見渡す。検査や観測用の機器がぽつぽつと置かれ、何人かのスタッフがその間を行き来している。
「何って、お前が運送に加担したものだろう」ヒューズが部屋中央に置かれた金属製の箱を指差した。「まさか何を運んでるか知らずにやっていたとはな」
「悪かったわね。あれがねえ」
ラウラが近づいて物珍しそうに観察する。そして、ガラス張りの小窓から中を覗き込んで、慌てたように振り返った。
「ちょっと、これ、生きてんの?」
マリオも確認する。箱の中の裸の少女にしか見えない物体は、昨日と同じようにちゃんとそこに収まっていた。奇妙な感覚。出来のいい作り物だとも、水死体だとも言い放つことができない。
調査によれば箱の中を満たす水に酸素は無いという。もし仮にこれが人間で、たとえ酸素が含有されていたとしても、エラでも持っていない限り呼吸はできないだろうが。
「さあな。開けてみないと分からない。で、それが仕事ってわけだ」
マリオが三台のラップトップを取り出し、そのうち一台をラウラに手渡した。
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