第8話 腐れ縁遠方より来たる

 ガンガンという何かを強く叩く音で目が覚めた。

 

 周辺に霧散していたマリオの意識が次第に頭蓋の中で収束する。薄っすらとまぶたを上げて毛布から顔を出すと、すぐそばにテーブルの足が見えた。

 

 マリオは固く薄汚れたタイルの上に体を横たえている。寝相が悪いせいではなく、最初からこうだった。床の上で毛布に包まって丸くなり、就寝した。

 

 ベッドはあった。それも目の前に。パイプ材の骨組みに布でカバーがされただけの板を置いたようなみすぼらしい量産品ではなく、分厚いマットレスを使ったものが。寝心地も悪くない。

 

 だが、それでも時々無性にこうしたくなる。ほとんど廃墟になったビルの一角で寝起きしていた頃の名残。三つ子の魂百までとはよく言ったもの。

 

 音はまだ鳴っている。マリオは痙攣しながら体を起こし、毛布を羽織ってまどろみの中で呆けたようにそれを聞き続けた。


 いっこうに止む気配が無い。


 どうやら自分の部屋のドアが叩かれているらしかった。眠気と入れ替わりにだんだんと怒りが沸いてくる。相手はチャイムすら知らない無知蒙昧な存在のようだったが、広い心で許してやる気にはなれなかった。

 

 毛布をベッドの上に投げ捨て、タイルの上を大股で歩いて玄関に向かう。

 

 玄関のカメラの映像を確認しようとして────それより先に金属扉を叩く音が止んだ。そしてすぐにガチャリというドアのロックが外れた音がした。

 

 マリオは慌ててベッドへ取って返し、いつも枕元においてある護身用の9mmの拳銃を手に取った。走って玄関まで戻り、開けた瞬間を狙えるように両手で構える。

 

 ドアが開く。ドアチェーンが伸びきる。舌打ちと共に隙間から大型のカッターが差し込まれてあっさりと鎖が断ち切られる。ロックが外れてから僅か5秒の出来事。

 

 「さっさと開けなさいよ馬鹿! こっちは追われてんのよ!」

 

 ブーツでドアが蹴り開けられた。細く長い足の持ち主は、尖り声で罵声を上げながら馬鹿でかいスーツケースを引きずって部屋に入ってくる。

 

 ラウラ・サルトールは銃を構えたまま顔を引きつらせるマリオを見て肩を怒らせ、アイシャドウの濃い目元を吊り上げる。

 

 「あんたねえ、起きてたんなら出なさいよ」

 「いま起きたんだよ。相変わらずやかましいやつだ」

 

 マリオは蛍光灯の光を反射するネオングリーンに染め上げられたツーサイドアップに思わず目を細めた。前に会った時にはどぎついショッキングピンクだったような覚えがある。染め直したのだろうが、結局のところ目に突き刺さる色であることに変わりはなく、ラメ入りの服装も相まって眺めているとだんだん頭痛がしてくる。

 

 「しょうがないでしょ、さっきも言ったけど追われてるから焦ってたの。それはそれとして、もうちょっとしっかりした鍵をつけときなさいよね。3秒で開錠出来たわよ。大体なんで拳銃構えてんの」

 「鍵がぶっ壊されたら強盗かと思うだろ普通は」

 「強盗がインターホン鳴らしたりドアを叩くわけがないでしょうが」

 マリオがむくれっ面で反撃の糸口を探る。「インターホンは聞こえなかったぞ」

 「どうせ寝ぼけてたんでしょ。その顔と寝癖を見れば分かるわよ」

 

 ラウラは手近な椅子を引き寄せて座り、スーツケースを手の届く位置に置いてホットパンツから伸びる脚を振り回すようにして組んだ。

 

 「で、追われてるって? 誰に?」マリオは拳銃のセーフティレバーを戻して頭を掻いた。あくびが漏れる。

 「シーヴズよ」

 「ああ」マリオが納得の溜息を漏らした。「しくじったからか?」

 「話を聞いてみたら今しがたブラザーフッドの縄張りから何か奪ってきたって言うじゃない? ろくな準備も出来てないのにそんなものを上層までを運べだなんて、無計画にもほどがあるっての。もともと勝ち目が薄かったのよ」

 

 ラウラがテーブルに肘をついて不貞腐れる。負けたのは条件が五分ではなかったからという態度。

 

 先日の隔壁付近での戦闘────相手側についていたのはやはりこの女だった。こちら側の死者0、怪我人3と、結果だけを見れば完勝といって差し支えない。自分の縄張りだというのに多少焦らされたことについて考慮しなければ。

 

 勝利の事実をもってマリオはその言い訳を余裕の表情で受け止める。ラウラは露骨に機嫌を悪くした。

 

 「無理だと思うんなら引き受けなきゃよかったろうに」

 「いきなり拳銃を突きつけられてそういうことができると思う? そこからは四六時中見張られて、いっときも気の休まる瞬間が無かったわ。信じられる? あの変態ども、トイレに入ってる時もドアの前で何十分も待機してんのよ? もうホント、最悪ったらないわ!」

 「どうせ窓から逃げようとでもしたんだろ。しかし、よくここまで来れたな? 道路はまだ封鎖されてるはずだが」

 「あいつら、ボロ負けして大わらわだったんで隙をついて逃げ出してきたのよ」

 

 ラウラが床でブーツの踵に強い衝撃を加える。つま先の部分から黒く細長い棒状のものが飛び出した。棒の先端には金属部品がついており、それが放電してバチバチと嫌な音を立てる。もういちど踵を打つと、隠しスタンガンは引っ込んでブーツのつま先は元通りになった。

 

 「急いで荷物をまとめてエレベーターの貨物に混じって、そこからはタクシーでやってきたってわけ。あんたそろそろ住所変えたら? もっといい場所に住めるくらいには余裕で稼いでるでしょ? ま、おかげで探す手間が省けたけど」

 

 マリオは都市の中央から外れた位置にある古びたマンションの5階、その隣り合った2室を借りて住んでいた。片方は生活用で、もう片方は仕事用のマシンで部屋を埋め尽くしている。

 

 「逃げてきたのは分かったが、それが何で俺の部屋のドアをぶっ壊してんだ?」

 「他に姿をくらませそうなところが無かったからよ。ねえ、いいでしょ? しばらく置いてくれるだけでいいの。そしたら勝手に稼ぐあてを見つけて勝手に出て行くから。なんだったら仕事も手伝ってあげる。こう見えて役立つわよ?」

 

 知ってるでしょうけど、とラウラが鼻を鳴らす。

 

 「馬鹿か。何で俺がそんなことしなくちゃならないんだ」

 「恨みっこなしって送ったじゃない」

 「そのメールなら見たがよ、答えになってないぞ」

 「利害関係が無くなったら、私たちの間には何が残ると思う?」

 マリオは目の前にあるものを見下ろした。「テーブル」

 「誼でしょ、よしみ! 同郷の誼で、同門の誼!」

 

 同郷、同門ときたか。同じストリートで浮浪児をやり、同じ相手からハッキング技術を盗んだことをそう言い換えることは確かに不可能ではない。

 

 しゃくだが、役に立つことは間違いない。しかし庇護を求めているというこの状況においても居丈高な相手の態度は神経を逆なでするのも間違いなかった。人差し指でこめかみを叩いてどうしたものかと思案し、観察する。とち狂った髪の色。似合わない化粧。手足の露出したきわどい衣装──テーブルに置かれた両手、組まれた両足が微かに震えている気がする。

 

 脅迫され、逃げ延びてきた旧知の人物。

 

 「まあいい。いま面倒な仕事をやってるから、そいつを手伝ってもらう。暫くしたら迎えが来るからそれまで適当にしてろ。隣が空き部屋だから電気と水道をすぐに使えるようにしておくよう大家に伝えておく」

 「別にこの部屋でもいいのに」からかいの微笑み。余裕が戻ってきた証拠。

 「マシンを触られたくないだけだ。何を仕込まれるか分かったもんじゃないからな」

 「そういうことにしといてあげる。まあ、とにかく助かったわ」

 

 ラウラは両手を組んで背伸びをし、大きく息を吐いた。トランクを開け、下着と拳銃を掴んで奥の部屋へと向かう。

 

 「シャワー使わせてもらうわよ。覗いたら警告なしでいくから」ラウラがトリガーに指をかけて拳銃を振る。

 「そうかい」

 

 マリオはキッチンで朝飯になりそうなものを探した。いつ買ったのか忘れたインスタントのヌードル────四つに割って金属製のコップに入れてポットのお湯を注ぐ。

 じきにシャワーの音が聞こえてくる。まだ硬さの残る麺をフォークでつつきながら、マリオはPCでニュースサイトを確認した。

 

 主に二層の情報を広く伝えるハッシュ紙が、当然ながら先日の派手な戦闘を一面で取り上げていた。内容はブラザーフッドを英雄視するものだ。シーヴズから唐突に仕掛けられた戦争に素早く対応して叩き潰したと鬱陶しいくらいに賞賛を繰り返している。戦闘が起こった原因について────無し。お宝について────無し。

 

 欺瞞情報。いくら払っているのだろうかと気になった。この記事を読んだとして、信じる人間が1割、疑う人間も1割、どうでもいいと感じるのが残り。感想としてはそんなところに違いない。

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