第5話 賽を投じる木曜日
木曜日。本日は晴天なり。
変な夢から目覚めた俺は定時に家を出ると、
「おはよー、今日は昨日と違っていい天気になってよかったよな!」
この調子で明日も晴れて秋和の退院を空も祝ってくれればいいんだけど、と朗らかに笑う。
……あれ、昨日のことはいいのか。
「大丈夫か、
「色んな人って誰だよ……凪の交友関係広すぎるだろ……」
「ふふん。梨夢も友達百人作ればいいじゃんか」
意味不明だ、いつも通りに他愛ない。何はともあれ凪は機嫌を直してくれたようだった。
「そうだ、メールで知ったけど。積雲さん、多重人格者だったの?」
「………そうらしいな」
俺だって当事者じゃないし、そんなに仲良くないから曖昧にしか答えられない。凪は腕をぶらぶらさせながらゆっくり歩き続ける。
「でも急に変わったって感じは、無かったよな」
「何が?」
うーん、と、うなって。登校中にする話しでもないだろうに、凪は続ける。
「雰囲気、が。よく言うじゃんか、『雰囲気が急に変わって人格が入れ替わる』とか」
「そうなのか?」
「あれ、俺の思い違い?」
俺はそういうことに疎く、よく知らなかったが、そういうものなのだろうか? 確かに積雲の人格入れ替わりは、日替わりのような、そんな印象。
「……天候?」
昨日見た夢でも言っていた言葉が蘇る。あの鬼負の、意味深な言葉。
天候に振り回される、とは。一体どういうことなのだろうか。だけどまさか、夢で見たことを本人に問い詰めるなんてできないしなあ。
「おっはよーう、野分くん、白垣くん!」
今日はすでに教室にいた積雲が、俺たちが扉を開いた瞬間に大きな挨拶をしかけてきた。どうやら今日は“ハイテンション積雲”らしい。人格は六つあると言っていたが、また一昨日の人格になっているのだろうか?
「おはよう、今日も今日とて元気いいね、積雲さん」
「そーかな? あはははっ!」
元気よく、というかバカっぽく笑う。昨日までのモジモジはどこいった、と思ってしまうのは仕方ないだろう。
「今日は晴れてるから、陽気になちゃうのかも!」
どっちも積雲なのは、分かっている……つもりだ。だけど、理解はできない。同じ“ひと”の性格がここまで急に変わることに、慣れない。雰囲気がいくら違っても、どれだけ行動が自然でも、共通する部分が無いはず無いのに。
そういえば凪はまだ、明るい積雲にしか会ったことがないよな、と何となく思う。だから、受け入れられるのだろうか。知らないから。
「今日も一日、頑張ろうね!」
えいえいおー! 拳を振り上げる積雲に、ちょっとついていけない。今日こそ積雲は何かやらかしそう。晴れの日の積雲は先日のこともあってひやひやする。
腹一杯で眠たくなるも、寝てはいられないのが受験期。先日、事件を起こした数学の授業も今日は無事に乗り越えて、やっと六限……下校時刻のカウントダウン開始。
六限、社会。例のごとく問題演習に一時間、目一杯があてがわれる。
前の席に座る奴がそわそわ、と落ち着きなく動き始めたのは授業終了の十分前のこと。
前の席に座るヤツ。多重人格者、積雲 雨月。
「……、………」
もぞもぞと、小さく身動ぎを繰り返す。
そわそわ、そわそわ。気付いてしまってからは、気になって問題に集中できない。どうかしたのだろうか。
「―――大丈夫ですか?積雲さん」
声を掛けたのは社会科教師。俺以外にも積雲の体調の変化に気付いた人がいたのか、なんて当たり前のはずのことを、妙に新鮮に感じた。自分だけが気付いたなんて、自信過剰も、いいとこだ。
「っ、だいじょーぶ、で、す」
明らかに大丈夫ではない積雲の、ろれつの回りきらない、言い方。雰囲気から、話し方から声色から、きっと人格が変わったわけではないのだろうと分かる。
「顔色が悪いですね……保険委員さん、保健室に送って行ってあげて下さい」
教室全体を見渡しながら言う教師、つられるように室内を見渡して、俺も女子保険委員を探す。そこで思い出した、女子保険委員は休みだっけ。仕方ない。
「俺、行きます。保健委員なんで」
クラスの男子は健康優良児ばかりだから仕事なんてないだろう、と選んだ委員。まさか女子を送ることになるとは、俺自身も驚きだ。
「ごめんね、野分くん……」
「いや別に。それより大丈夫か?」
我らがクラスは四階、保健室は一階だ。階段を何度も下らなくてはならない。体調不良者には優しくない作り。体調不良者に優しい作りになっている学校など、無いとは思うけど。
「野分、くん」
「どうした?」
ふ、と思い詰めたかのように階段で立ち止まる積雲。突然振り向くから必然的に、向き合う形になる。
「私ね、体調が悪い、わけじゃ……ないの」
「は? 嘘つけ、顔真っ青だぞ」
ゆらり、と儚く弱風にさえ飛ばされそうな様に危うく、揺れる積雲。顔色は相変わらず悪い。
違うの、と必死にまた、首を振る。
「振らなきゃ……いけなくて、」
「振る?」
「そう、はやく……し、な、きゃ……!」
ぐらり、一際大きく体をぐらつかせるも彼女は前に出した足に体重をのせて踏ん張る。
やらなければならないから、使命が―――あるから。そう訴えるかのように、“恥ずかしがり屋”のはずの積雲は、俺を見つめる。
あ、初めて目が合った。場違いにも程があるがぼんやりと思い、透き通った群青に映る自分を見つめ返した。
「神様を、野分くんは信じる?」
突然何を、とも思うが、濁りゆらめく群青に返事をするしかなくなる。
「……まあ、それなりに」
「じゃあ約束を、守る方?」
「凪よりは信頼してもらいたいね」
あいつよりかは守るよ、と言うと強張っていた積雲の表情が少し和らいだ。見返した刹那、元に戻ってしまったけれど。
「……私のこと、信じてくれる?」
最後の問い掛けであろう積雲の言葉は、発されるまで間があった。俺に言うか言うまいか悩んで……そして問いてくれたのだろう。
「信じるよ」
言葉として口にしてしまえば、薄っぺらくなってしまったかのようだ。嘘のような綺麗事の回答は、階下からの風で吹き飛びそうだ。
けれど積雲は、深刻そうに申告する。
「……私は、天候を司る、女神なんです」
いつもとは違い、淀みなく言う積雲。あの夢は正夢……だったの、だろうか?
「ちゃんと詳しく、説明します。その前にとりあえず、賽を振らせて下さい……」
積雲の顔に血の気は無い。そんなことで治るとは、信じられないが。カミングアウトしたんだから、はやく賽を振らせてやろう。しかし“賽を振って天候を決める”とはどうするのだろう。
「その……恥ずかしいんで、あんまり見ないでもらえますか……?」
好奇心に負けられずガン見しすぎたかな。自称・天候を司る女神様は、恥ずかしそうに目を伏せた。
『―――――、――――』
どこか遠くを見据え、凛と静かながらも声を、言葉を、地に響かせる。この世界にはないような言葉は、神々の使う言葉なのだろうか。
ごそごそ、と小さな巾着の付属したペンダントを、制服の間から取り出す積雲。え、い。巾着から青色透明のサイコロを出し、手のひらでころがす。
数度、転がって、“曇”で止まる。積雲が目を閉じると、ふ、と彼女の体の力が抜けるようだった。
「大丈夫か!?」
「…………ああ、すまない」
傾いた体に、思わず手が出る。支えてやると、面倒くさいというか、かったるそうに、死んだ目の少女は礼を言った。ちょっと面食らって、でも、思い当たることがあった。
「……積雲、もしかしてお前、サイコロを振り出した天候によって、人格が変わるのか?」
全部で人格は六つ、サイコロの目は六つ。雰囲気が急に変わったように思えたのは、積雲がサイコロを振ったから。
「そうだよ、ボクは“曇”の時、限定の人格」
気付かれて別段、慌てるわけでもなく。無表情で無気力に続ける積雲。いつの間にやら顔色はすっかりよくなっている。
「じゃあ始めようか、ボクの話を」
にや、と口角を少しだけあげて語り始める“曇”の積雲。その表情は、“晴”の積雲にも“雨”の積雲にも、似ていなかった。
積雲雨月は生まれたときから人外の存在だった。彼女自身に特殊な力が何かあった、というわけではない。ただ彼女は男神・ウラノスと人間との間に生まれてしまった、半神だっただけなのだ。
なぜ男神・ウラノスと人の間に子ができたかというと。男神・ウラノスがまだ生きているからと言う他ない、神様にだって死期はある。力があっても神様にだって“盛者必衰”の理は崩せない。肉体が、朽ちてしまう。
だから神様は生き残るために“新しい器”を求めた。新しい器、誰からも不信感を与えない器。神様は苦心の策として使うことを思い付いたのは“死者の体”だった。死者の体ならば、盛者必衰の理は通じない。もう朽ちているから。神様は死者の体を作り替え、死者の体で生きている。
神様は病気、事故にだって耐えうる力をもつ。死んだ人間の体を器とするなんて、と自身の体が朽ちると存在そのものをも消した神様もいる。しかしウラノスはこの世に残ることを選んだ。
「ウラノスはつまり、ボクの父なのだけど、戸籍上はおじい様ということになってるのさ」
「じいさんって危篤のか!!」
そこに話がつながるのか、と思うと驚くというよりもあきれる。長い道のりに、あきれる。そうか積雲は、ウラノスに言われたからこの地に来たのか。ウラノスに言われてやって来たのなら、何のために積雲をこの地に呼んだのだろう。
「積雲はウラノスに呼ばれて来たんだよな?どうしてなんだ」
「……え、ボクそんなこと言ったっけ」
鬼負が言ってたんだったか。“夢”の中では鬼負と積雲が不仲だったことを思い出す。やばい、夢の中のこととごっちゃになってしまっている。
「まあいいや、教えてあげるよ」
いぶかしげにしつつも、説明してくれる積雲。俺にとっても深く詮索去れない方がありがたい。
「ボクは復讐ために、ここに来たんだよ」
復讐と言ったくせに、大して表情を変えずに積雲は続ける。ダウナーというか、怒っている風でもなさそうで、本当に復讐なのか?
「三千年前の“風の末裔”との因縁を晴らしに、娘の私が代理として、この学校に転校してきた」
「三千年って、ずいぶん昔のことなんだな」
「神様のことだから、昔のことなのはしょうがないんじゃない?」
復讐しにわざわざ転校までしてきたというのに、積雲は適当だ。
「“風の末裔”は鬼負によると最近、女神になったばかり、らしい。楽勝だな」
最近、女神になる。思い当たる人がいる。タイミングもよすぎるし、積雲に気取られないように深呼吸をし直した。
「……そんな話、俺にして。どうするつもりだ?」
「もちろん、話すつもりなんてなかったよ」
あっけらかんと言われて、こちらも身構えていたのがバカらしくなる。まずい話を聞いたかなと思ったけれど、神様とか言われたけれど、そりゃあ、積雲だってただの女子中学生だ。
ほっとしたところに、電子音が鳴り響く。下校時刻。結果的に授業をさぼってしまった、ああ、こんなわけわからない、ウソかもしれないことを話していてさぼってしまうなんて。
「体調、大丈夫そうだな。教室に、」
最後までは言い切れなかった。綺麗に積雲の拳が腹に入る。
喧嘩なんてしたこと、あるわけない。人生初の力のこもった無抵抗の腹への拳。息が一瞬できなくて、かすれた息を虚しく吐いた。
「ん、こんなもんでいいかな」
手をパンパン、と払うようにする積雲。崩れ落ちる視界の端に、鬼負が見える。ああこれ、消されるやつだ。
「綺麗に忘れるとは思うけど」
見下ろしたまま、積雲は淡々と続ける。
「ボクが今話したこと、誰かに言ったらぶっ殺すから」
無表情に、無感情に、一本調子で笑うことなく積雲は言い切って、振り返らずに行ってしまう。積雲のことをよく言っているわけでもないけれど、今、この“曇”の積雲なら、人殺しも無表情でやりかねないから怖い。
「あーあ。雨月ちゃんを保健室に送るはずが、野分くんが保健室送りだね」
楽しそうな鬼負の声が聞こえたけれど、それに返す気力もなく、すぐに俺の意識は消されてしまった。
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