第4話 虚像を映す水曜日

 水曜日は昨日と打って変わって、朝からプールの水を流れ落としているかのような強い雨が降っていた。

「おはよう」

「おはよう、なぎ

 家を出て数メートル先で凪と落ち合う。いつも通り。

「昨日、秋和あわからメールが来たんだ」

「え?」

 何気なく言われて思わず聞き返す。秋和といえば昨日、凪と一緒に会いに行きたい、と話していたから。タイミングがよすぎる。

「今は面会拒否なんだってさ、だけどこのままいけば金曜には学校に来れるらしい」

「秋和が学校に!?」

 それが本当なら何ヵ月ぶりかの登校だ。

「金曜、俺らに秋和が日曜に、どこでなにやってたか教えてくれるって」

「あの、“女神になった”ってのについても、説明するって言ったか?」

 ああ、と凪は傘で顔を隠すようにしながら言う。秋和のことになると凪はすぐ顔に出るから、隠したいんだろう。

「全部、教えてくれるってさ」

 真実が語られる金曜日までの間は短いようでいて、長い。まだ水曜の朝だ。

梨夢りむは、秋和は何をしていたんだと思う?」

「さあ。……女神になるために何かしていた、とか」

「秋和が女神になった、って本気で思ってんのか?」

 凪の口調が想像以上に強くて、口ごもる。秋和が嘘をつくようにも思えないけど、確かに、神様なんて。信じられるはずもない。

「……秋和は俺らに嘘をついたことなんてないだろ。それに、金曜には秋和の口から話を聞けるんだ。そんな気に病むなよ」

「分かってるけど……」

 隣を見ると、いつの間にかいるはずの凪がいなくて慌てて後ろを見る。凪は立ち止まり、傘を地面に下ろしていた。

「何してんだよ……風邪引くぞ? 傘させよ」

「梨夢は秋和を信頼してるよな……」

「はあ?」

 お前らの無意識ラブラブっぷりには及ばない。てっきり、凪は秋和を信じて疑わないものだとばかり思っていたから。

「俺にはそんなこと、できないよ」

 呟くようにうめくように、低い声で絞り出すかのように言い、ダッと駆け出してしまう。

「おい、どこ行く気だよ!? 学校は!?」

「知るか!」

 小さく坂に消えていく凪の背中を目で追う。追いかけた方がいいのだろうとは、ぼんやりと思ったけれど。

「……お前は俺を羨ましがってるのかもしれないけど、俺だって」

 お前のことがずっと前から羨ましいよ。

 お前のようにはなれない。なりたいけれど、それは無理だ。

「俺は卑怯な臆病者なだけだから」

 な、現にお前を追いかけることすらできないんだぜ?


「おはよー、朝から大変だったねー」

「何が」

 教室に入ると、例のごとく、すでにいた鬼負きふがツインテールを跳ねさせながらやって来る。このところ連日だ、はっきり言って怖い。何が目的なんだこいつ。

「つれないなあ、野分くん。今朝の白垣くんとのことだよ」

 比較的大きいのであろう目を、わざわざ細めて意味深に告げる鬼負。鬼負はどうしてこうも、所作がわざとらしいのだろう。

「大変だったね」

「……見てたのかよ」

「いや、見てないよ? 知ってただけ」

 この数分の間で、どう知ることができたのだろう。やはり、わけが分からない。食えないやつ。

「のねな……ちゃ、ん」

 鬼負はそう思っていなさそうだが、鬼負がにやにやしてるせいで気まずい。そんな時に声が掛かった。

「おはよ……」

雨月うづきちゃん!おはよー」

 え? 積雲? 驚いて見ると、そこには鬼負の言う通り積雲の姿がある。

 だが昨日の……ハツラツとした元気は、明るい雰囲気は微塵も感じられない。転校初日の時のように小さな声で、つっかえつっかえ言葉を吐く。

「野分くん、も……お、おはよ……」

「おう……」

 昨日の空元気とはうってかわったこの様子に、熱でもあるんじゃないかと思う。純粋に、大丈夫か聞きたい。

「今日は雨だねー、大変だよね、雨月ちゃん」

「そう……かな、私……雨、嫌いじゃ、ないよ」

「そうだったね、雨月ちゃんは雨月ちゃんだから、どんな天候でも嫌っちゃダメだったね」

 笑いながら会話する二人。意味の分からない話のような気もするけど、女子ってこんなものか? 積雲は積雲だから、どんな天候でも嫌ってはいけないだなんて。どんな独断と偏見でモノを言ってるんだ、鬼負。

「野分くんはどんな天気が一番好き?」

「俺? ……晴れ、かな」

 やっぱ、いい天気というと晴天を指すし。

「へー、ねえ、雨月ちゃん!」

「な、に?」

 鬼負の俺のあしらい方が適当だった。そんな適当にあしらうくらいなら俺にそんな質問するなよ。

「そろそろ言わなきゃ、昨日のせいで疑われてるよ?」

「う、うん……分かってる、けど……タイミ、ングが……」

 もじもじと照れながら、顔を伏せて言う積雲。こいつちゃんと話せるんだな。

「タイミングのせいにしちゃダメだよ、朝のHRの時に言おう?」

「う……ん、分かった……」

 嫌そうに眉をひそめながらもうなずく積雲。完全に俺は場違いな気がしてならないが、俺の席の前で話してるから仕方ない。どいてほしい。

 意味ありげに積雲が俺を見ている気がしたけれど、何だったのだろう。何か言いかけて止められた気がする。もどかしい。


 朝のHRが始まると、先の会話の通りに積雲が教台に上がった。

「あの、私、本当は……」

 いつものごとく照れながら、目をあわせずに。昨日とは別人かのように。

「実は私、多重人格者なんで、す……」

 言い切った積雲はホッとしたかのような困ったかのような、曖昧な表情を浮かべていた。だけれど俺を含め、クラス全員『やっぱり』と思ったことだろう。

 やっぱり。でなければ、昨日と今日……ひいては一昨日との性格に差がありすぎる。

「全部で六つ……人格が、あって……」

 しどろもどろ、必死に話す積雲。鬼負と積雲が今朝話していたのは『多重人格と伝えなければいけない』という話だろう。多重人格者なんだと見抜いていたのは“予言者”だからか、それともただ、鬼負が図々しいだけか。

「だから、その……矛盾が、多かったり……するけど、」

 頬を赤く染めきっていても、恥ずかしくてたまらないだろうに、続ける。

「こんな私と……できたら、仲良く、して……ください」

 ぺこり、と小さく素早くお辞儀をして、赤い顔を隠すかのようにうつむき、自分の席に直行する積雲。よく頑張ったな、と小さい子を褒めてやりたいような気持ちにさせられる。

「えー、じゃあHRは以上ってことで」

 かったるそうな担任の言葉が遠くから聞こえるような気がした。


「……嘘つき」

 理科室、実験中にて。何の因果か鬼負・積雲と同じチームに分けられてしまった俺はビーカーをガスバーナーに当てている。

 凪もこのチームに入れられる予定だったのだがいないため、三人での実験だ。不安しか感じることができないのは当然。

「何か言ったか、鬼負?」

「ううん、気にしないで野分くん。さっさと沸騰させてよ」

「無茶言うな」

 俺を指してか積雲を指してか。“嘘つき”とは、どういうことだろうか。はぐらかされてしまったから言及できなくなってしまい、それ以上は聞けない。ただのクラスメイトだし。

「野分……くん」

「積雲? どうかしたのか?」

「これ、入れなくて……いいの?」

「あ、忘れてた。サンキュな」

 薬包子の上の、量ってもってきた白い粉をビーカー内に投入する。沸騰前に入れることをすっかり忘れていた。

 目を合わせない“恥ずかしがり屋の積雲”は目をあからさまに反らし、落ち着かない。そわそわ、そわそわ。

「どうかした、雨月ちゃん?」

「なっ、んでも……ないよ」

「そっか、だったらもっとリラックスしてなよ」

 うん、と消え入りそうな声で返してうつむく積雲。昨日の元気は本当に何だったんだ、とカミングアウトもそっちのけで思う。

 “恥ずかしがり屋”と“ハイテンション”。人格は、憧れや自分ではない誰かを創造して作られると聞いたことがある。しかし“恥ずかしがり屋”と“ハイテンション”は対極的だ。どちらかが素なのか?

「俺には関係ないか」

 無意味にビーカーをぼんやりと見る。もうビーカー内の水は沸騰しそうだ。

「そうだね、」

 偶然なのか、分かっていてやっているのか、ビーカー越しに鬼負と目があう。

「関係ないから放っておけば良いのに。それなのに考えて思い悩んで、解決してやろうと、何とか力になろうとする。野分くんは根からの偽善者だね」

「偽善者か、そうだな。でも俺は……」

 実際に誰かを助けることができるはずもなく、助けたことは一度もない。だからいつしか、助けようと思っても体が動かなくなっていた。偽善すら行えない、臆病者。

「でも、結局は助けようとカッコ悪く、奮闘するよ、野分くんは。だから君は偽善者だけど愛されてるんだ。終わりよければすべてよし、ってね」

 おどけて会話を終わらせる鬼負。

「愛される、か……」

 誰かから愛されるよりも誰かから必要とされたい。そんな思いは浅はかだ。自分はやっぱり惨めで愚かだ。鬼負は何を思ってか、軽薄そうに笑っていた。


 その日の帰りは、先日のように凪には会わなかった。今朝ケンカ別れのように別れてしまったから心配だ、俺はまだ原因を理解していないが。凪がどうして怒ったのだろう? そもそも凪は怒ったのか?

「俺にはさっぱりだよ……」

 多感な思春期の男子の心など分からない。同級生で同性で幼馴染みだけど、それでも“他人”であることに変わりはない。

 同級生だろうが、同性だろうが、幼馴染みだろうが、肉親だろうが、師弟だろうが。所詮は自分ではない、“他人”なのだから。

「俺は幼馴染みを大切にしてるし、信じてる。それで大丈夫だ」

 きっと大丈夫。言い聞かせるように呟いたはずの言葉だったはずなのに、その言葉に心は無かった。


「キミは私を、どうさせたいの?」

 教室前の廊下が月明かりに照らされ、白く眩しく窓に映る。どうしてか無表情の積雲は、鬼負を咎めるかのようにきつく聞いた。

「別にどうにかさせたいわけじゃないよ?あなたは“風の末裔”に会いたいんでしょう? あちらからの直接的な応答はまだないから、それまであなたの“天候の末裔”としての振る舞いを見ようと思ったの」

 クスクスと、おもちゃで遊ぶ子供のように無邪気そうに、邪気たっぷりに笑う鬼負。

「随分と天候に振り回されてるのね。それを多重人格とは……よく言ったものね」

「キミだって同じようなものじゃない、“占い師”だか“予言者”だか言われて。結局は“運”を乱用しているだけじゃないの?」

「乱用じゃない、有効活用だよ」

 口論しているはずなのに余裕の笑みを崩さない鬼負。悔しそうに積雲は睨み付けることしかできない。

「じゃあその“有効活用”ではやく“風の末裔”を教えてはくれない?」

 先生も言っていたでしょう、私のおじい様は危篤状態なのよ、と。目を細めて鬼負を見下しながら腕を組んで言う、積雲。

「まあまあ、金曜になったらイヤでも分かるならさ……」

「キミはいつもそうやってはぐらかすよね、そろそろ怒るよ?」

 笑顔をひきつらせて拳をギュッと握る積雲に、さすがの鬼負も黙る。

「金曜になったら、絶対に言う。だから待って」

「私は転校初日にパパッと済ませる気満々だったのに、キミの方が待たせ続けているんだよ? その分キミは、私にヒントもくれないの?」

 どうしたらいい、と言うかのごとく眉をひそめて窓を仰ぎ見る鬼負。

「ヒント。一つだけなら。“風の末裔”は、つい先日、世代交代したばかりなんだ。いきなり負けては末裔となることを拒否される気がして……」

 ほら、正式に末裔になるまでスパンがあるじゃん? と気軽に続ける鬼負。

「“風の末裔”がそんな細かいことを気にするとは思えないよ? それにそんなことされちゃ、私の勝ち目の方が無くなるんじゃないかしら」

「きっと“風の末裔”はあなたが“天候の末裔”だから、と“天候”に警戒してくる。風で雲を飛ばされてしまえば、当日“晴れ”を出さない限り“全て”でいられる」

「あー、そう来るのね」

 ヒントに満足したのか、うんうん、と積雲は何度もうなずく。

「じゃあ金曜。絶対に、言いなさいよね」

「分かってるさ、だから今までもこれからも“対等”でいようよ」

「こちらこそ、その言葉を願いたいね」

 シニカルに笑い、握手をする二人。月明かりが異様なほど明るかった。


「?」

 飛び起きると、いつも通りの自室。窓から朝の日差しが差し込んでいる……今日は晴れか。

「じゃなくて、」

 何だったのだろう、今の妙に生々しい“夢”は。気がつけば、金曜まで後十六時間をきっていた。

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