第3話 天真な火曜日

 今は受験生だから部活を引退してしまっているけれど、俺達は陸上部所属だった。俺が長距離、なぎが短距離、秋和あわがハードル走。

 幼い頃から病気持ちのくせに、秋和も陸上部所属だった。大人しくしていればいいものを、そのせいで出席日数をどんどん減らしていた秋和。だけどアイツは退部しなかった。それどころか全国大会にも出ていける実力があった。大会前日に、意識不明になって病院に運ばれ、舞台には立てなかったけれど。


 昨日あれだけ降ったからか、今日は雲ひとつない晴天に恵まれた。火曜日。風も強いわけでもなく、春が近づいてきたことを感じさせる日和。まだ二月だけど。

「さみぃーなあっ、梨夢りむ!」

 あはは、と本当は寒いと思っていなさそうに言い、笑う凪。昨日会ったときは秋和の検査結果を知らないままだったらしいが、今朝メールで結果を教えてもらえたらしい。いわく、これまでが嘘のように快調とのこと。

「昨日は『返信ないんだけど、どうしたらいいと思う』とか、泣きそうな顔で言ってきたくせに」

「忘れろ」

 本気で照れているようで茶化しもされなかった。珍しい。秋和がからむとすぐにとりみだすところは、本当に分かりやすい。

「で、返信は?」

「だから、来てないから。忘れろ。……それより梨夢、昨日は聞きそびれたけど転校生とはどんな仲なんだよ!」

「は? どんなって、なんも無いって」

「またまたー」

 色々勘違いされている気がする!たったったっ、と軽やかに坂を駆けていく凪を急いで追いかける。こんな下らない会話だけど楽しくて。

 やっぱり学校が嫌いなのに毎日飽きもせず通えているのは凪の力が大きいように感じた。


「おはよ、野分くん。昨日はありがとね」

 すでにいた鬼負きふがピョコピョコと髪を揺らしながらやってきて、へにゃりと笑う。なんかなあ、鬼負の“笑顔”ってすごい安い気がする。いつも笑ってるから。

 悪意があるようにさえ思う。絶対、昨日の一件のせいだけど。

「あれ、梨夢、いつの間に鬼負と仲良くなったんだよ?」

「仲良くないよ?」

 鬼負に即答されてへこむ。仲いいつもりもないからいいんだけど、それはそれで傷つく。いつか殴るぞ?

 まあまあ、と凪が俺を慰めている。そんな、いつも通りの朝。

「おっはよーん!」

 元気な声が放たれた。

「ん? 朝からテンション高いな」

 そんなことを凪が言いながら、振り返る。俺は何も言えずに、ただ瞬時に振り返る。その声に、聞き覚えがあったから。でもそれは、そんなはずないことで。

「誰?」

 こてん、と小さく首をかしげる凪。みんな、教室内の人間は動かない。動けない。来訪者もこてん、と首をかしげ返した。

「あっ、キミが昨日休んでた白垣凪くん?」

「あ、転校生! よろしくな」

 にこっ、と笑いあい背後に花畑を出現させん、と言わんばかりに手を握りあう。そんなことって。

「私、積雲せきうん雨月うづきといいます! こちらこそ、どうぞよろしく!」

 昨日からは想像できないハツラツとした笑顔で、積雲は返した。


「何だよ、梨夢が昨日『転校生は恥ずかしがり屋』って言うからそうなんだと思ってたのに、全然違うじゃん。積極的で意欲的、クラスに早くも溶け込んでリーダー格になってるし」

「……誰のことだよ、それ」

「だからさ、え、梨夢話聞いてた? 積雲さんだよ」

 お昼時。三段重ねのいささかデカすぎやしないかと思う黒色の、主に部活の合宿で使用していた弁当箱をつつきながらにこやかに凪は言う。

 今朝の、第一回目、ファーストインパクトが見事に命中的中、クリティカルヒットをかました積雲はその後の午後の授業でも破壊光線を繰り出したのだが。

 それにしても一限目が特にやばかった。


「ふあー……」

 くあっ、とうなりながら小さく欠伸をする積雲にクラスの全員が注目する。噛み殺せよ、欠伸くらい。

 受験生が受験前に学校に来て受ける授業なんて『入試演習』ばかりだ。一限目からそんなことされたら眠くなる、そう思うのが学生だろう。だけど、だ。

「どうしましたか―――積雲さん?」

 生真面目な数学教師は積雲の行為に眉をしかめながら近づく。カツ、とかかとを鳴らして積雲の席の前に停止する教師に積雲は屈託なく笑った。教師相手にこんな局面で破顔するなど、昨日の積雲からは考えられない。

 正に、赤の他人のような、自然な動作で、笑う。

「この問題は以前解いたことがあります。その時に解き方を全部覚えてしまいまったので、暇になってしまいました」

 照れたように頭をかいて、悪びれず目を細める積雲。教師の時間は、刹那止まったであろう。

「あ、見ますか?」

 満点の回答用紙を自慢気に、照れながらも教師に見せつける積雲。褒めてくれ、と言わんばかりにアピールしているのだが、教師は気付かなかった。実際は気付いていたのかもしれないが、教師は何もリアクションをとらなかった。

「あの…………先生?」

 停止してしまった教師に積雲が遠慮がちに話しかける。教室中が二人の一挙一動を固唾を飲んで見守っていた。積雲は気付いていないのか、教師の顔を必死に伺っていたが。

「全部分かるから暇―――ですか」

「はい」

 理解してくれたのがよっぽど嬉しかったのか、くしゃりと顔をさらに破れさせる。積雲の破顔に限界は無いようだ。そしてそのまま彼女は続ける。

「―――だから寝ても良いですか?」


 それにしても、と前置きをしておきながら弁当箱からブロッコリーを出して口に入れる凪。前置きをするなら食べるな話せ、とも思うが仕方ない。凪にそんなことを言ったってムダになるだけだろうから。

「すげぇよな、積雲さん。数学ができるとか細胞を分けてほしいもん」

「細胞もらっても困るだろ……」

 それもそうだけど、なんて笑いながら弁当を口に掻っ込む凪。お腹ペコペコだったらしい。

「つーかさ、今朝もみんなびっくりしてたけど積雲さんってキャラチェンしたのか?」

「…………たぶん」

 そんな簡単に人間って変われるものじゃない気もするけど、そうにしか見えない。あがり症も克服できるものだったのだろう。分かんないけど。

「じゃあ梨夢、賭けをしよう?」

「賭け?」

 おうっ、と言いながら意気揚々と唐揚げを口にする凪。ずいぶん急だな。

「積雲さんが何かやらかすかどうかで!」

 しかも悪趣味だ。


 五限目は学活でドッヂボール。それにしても受験も近付いてきた二月にもなって何故ドッヂボールなんぞをしなければならないのだろう。クラスメイトとの友好なんぞ、受験生に求めなくともよさそうなのに。

 外野に飛ばされてから白熱している試合を冷めた目で、日影に入って座り込んで観戦。暇すぎる。

「俺らさ、はばちにされてる感じしない?」

「いつものことだろ」

 向き不向きがあるからな、と慰めると調子に乗るだろうから、素っ気なく言う。凪は気にしているのか指先で地面をつついて、小さく溜息を吐いていた。

「伝え忘れてたけどさ」

「ん、どうした」

 神妙な面持ちで、靴先をいじりながら続ける凪。

「秋和がどっか行って、それで見つかったじゃん?」

「日曜のことか……まさか検査で何か分かったのか?」

「そうじゃなくてさ」

 そういう何かが見つかったわけではないらしく、困ったように笑われる。日影にいるからか、凪の影が濃く感じられる。

「普通の、いつも着てるパジャマじゃなくて、ワンピースを着てたんだってさ」

「ワンピース?」

 秋和がワンピースを着ている姿など、見たことがないかもしれない。いつもパジャマか制服姿だった、そんな気がする。小学生の頃は私服だって見たはずだけど、忘れてしまった。

「それで女神になっただの色々言って、検査があったけど異常ナシ。ただ……」

 言い掛けて言い淀んで、視線をあからさまに泳がせられる。ボールが弧を描いて相手陣営に入った、クラスメイトが散らばる様がよく見える。

「たださ、病気が治ってたんだってさ、本当に」

 不治の病だとは聞いたことがなかった。だけれど、何度も入退院を繰り返しやつれていく様子を目の当たりにして。何となく、どことなくだけれど感じていた、秋和の病は治らないのだろうと。だからこそ、困ってしまう。

 不治の病が突然治ったことに対して素直に喜べなくて、困る。秋和にさらなる災いが降りかかるかのようで。

 ふるふると首を降り、いつものように屈託なく笑う凪。

「俺は喜んで、いいんだよな……?」

 好きなひとの病が治って。喜ぶことが正しくないかもしれないだなんて、凪は、迷っていたのだろうか?

「凪、秋和には今日、会えるのか?」

「いや、確か精神科に検査を受けにいくはずだ」

 忙しいと思う、と遠慮がちに言われ、何も言えなくなってしまう。俺が行ったところで事態は何も変わらないだろうということは分かってる。

 だけど秋和に久しぶりに会いたかった。

 ……まだ俺達は、昔みたいに話せるだろうか。

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