きょうだい児 レイ(4)

 日が沈む頃、レイは夕飯の準備をしていた。といっても、炊飯器に米と野菜と水を入れてスイッチを押すだけだから、時間はかからなかった。お姉ちゃんは咀嚼の力が弱くなってきている上に、誤嚥もこわい。そのため、いつ頃からか食事は全部、炊飯器でつくるようになっていった。全部ごっちゃにして炊くこともあれば、器で仕切って炊くこともある。ご飯はいつもおかゆに近い形で炊いていた。

 この炊飯器も、他の家具家電同様、置きっ放しにされていたものだった。花柄でガラスの蓋のこの炊飯器は、小学校の社会の教科書に載っていそうな年代物にレイには見えた。

 米と野菜は、月に一回、五十代ぐらいの夫婦が来て置いていくものだった。前の住人の知り合いらしいけれど、詳しいことはよくわからなかった。レイはその人とは何の関係もないことを説明したけれど、「それでもどうぞ」と言って置いていくものだから、一応のこと受け取っていた。地元でこれをやられていたら不信感が尋常じゃなかったかもしれないけれど、今はもう、別にそんなのどうでもよかった。

「レイちゃん! レイちゃん!」

 流しで洗い物をしていると、お姉ちゃんの声が聞こえてきた。蛇口をひねって水を止め、居間に戻る。すると、お姉ちゃんがソファーの上からずり落ちそうになっていた。

 レイはお姉ちゃんを後ろから引き上げ、元の体勢に戻した。それからテレビの音量二つ三つあげた。観ていたのは、小学生が雑煮をつくっている教育番組だった。お姉ちゃんはそれをしかめっ面になって観ていた。視力も徐々に弱まっているから、目を細めないとテレビがよく観えないらしい。

 しばらく一緒になってテレビを観ていると、お姉ちゃんがウトウトとし始めた。

「眠い?」

「寝る、寝る──」

「んじゃあ、少し寝るべ」

 レイはお姉ちゃんを支えて立ち上がらせ、ゆっくり寝室に向かって歩いていった。廊下の床は日中よりも冷たくて、裸足で歩いた二人は揃って底冷えした。

 寝室のストーブにスイッチを入れる。起動にえらく時間がかかって、ようやく着いたと思った頃には、お姉ちゃんはスースーと寝息を立てていた。

 よっぽど眠がったんだな──。

 寝顔をしばらく見てから、レイも一緒に横になった。小玉の電気でぼんやりと照る天井を、何も考えずただ眺めた。木目が実家の天井と同じで、しばらくの間は嫌だった。すべてを捨てて所山に来たような気でいたから、とにかく実家は忘れたかった。だけどそんなことも、いつの間にかどうでもよくなっていった。

 少しずつ部屋が温まってきたのと同時に、炊飯器の蒸気口から匂いも漂ってきた。大根と練り物と一緒に炊いているから、まるでおでんのような匂いだった。それを嗅ぎながら「くっしぇ」と言って寝返りを打った。

 ご飯ができても、お姉ちゃんは寝たまま起きなかった。起こしたらご飯を与えないといけないから、それも面倒で起こすことをしなかった。こんなにぐっすり寝ていたら、朝まで起きないような気がした。

 あ、んだ。施設入所の準備──。

 結局今日、やろうと思っていたはずなのにほとんどできなかった。

 明日から所山は雪が降るという予報だった。だからレイは今のうちに、もうお姉ちゃんの荷物を買い揃えてしまいたかった。

 身体を起こし、居間に戻って持ち物リストを確認する。

 今ささっと行って買ってくっかな。そうしねえば明日以降、雪で家がら出られなぐなっても困るものねー。

 財布を持ち、ジャージの上にジャンバーを着た。

 お姉ちゃんを置いていって大丈夫だべが?

 レイは少し不安に思いつつも、お姉ちゃんを家に置いて玄関を出た。

 外灯のない細く暗い砂利道を踏みしめるようにして一歩ずつ歩いた。いい加減舗装しないといけないレベルの私道だけれど、車椅子がないだけいつもよりも格段に歩きやすかった。

 白く吐き出される息がモクモクと、空に向かって昇っていった。それを見て、学生時代の冬の登下校を思い出した。自転車でいつも滑って転んで、それでも自転車通学を続けていた。雪はあまり降らない地域だったけれど、凍結はいたるところで起こっていた。

 レイは九歳のころからずっと同じ自転車に乗り続けていた。元々は水色の自転車だったのに、高校に入る頃にはあちこち錆びて、元の色がわからなくなっていた。あの自転車、今はどうなっているのだろうか。そもそも実家は、一体どうなっているのだろうか。わからない。知らない。おらァ、知らないんだ。

 砂利道を抜け、国道に出た。車のライトの連なりが、キラキラしていて綺麗だった。ああ、このキラキラ、ちょっと遊園地っぽいな。

 レイは一度立ち止まり、しばらく行き交う車を眺めた。

 環の形になって高速道路に入っていくトラックの連なりは、まるでメリーゴーランドのようだった。みんな、どごさ行ぐんだべ。おらァ、どごさ買い物行ぐべ。

 いつもの場所とは違うとごろさ行ってみたい。

 レイは一人の外出の身軽さに、心まで軽くなったのを感じていた。


 お姉ちゃんの筋力は、これからもじわじわ低下していく。そんな中、レイは自分を少しずつ取り戻していかなければならない。んだ。もう、お姉ちゃんの世話だけしている人生は終わる。お姉ちゃんに甘えてばかりはいられない。

 とりあえず今日は、買い物帰りにバーガージャックに寄ってみっぺ。

 注文の仕方がわがんない。でも、わがんないばっかじゃ駄目だんだ。緊張すっけど食うナッス。


   *


 “There are only two kinds of men: the righteous who think they are sinners and the sinners who think they are righteous.”−Blaise Pascal

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