スーパーの店員 アキ(3)
コンビニで発泡酒二本と揚げたこ焼き、チーズ、それと二個入おにぎりのパックを買った。空はすっかり夜の色になっていて、桜並木がライトに照らされ青白く光っていた。アキは少しの間それを眺めた。サラリーマンや女子高生、子供を後ろに乗せて自転車を漕ぐお母さん、塾帰りの小学生──。いろんな人が、足取りを緩めながら、散りゆく桜に何か思いを馳せていた。
アキはファルコン通りを抜け、それからプロペラ新道に入ったところで缶を開けた。両親が家にいないとわかっているときは、家に帰る道すがら、酒を飲むことがよくあった。それは、外で飲むと気持ちがいいとかそんな理由なわけではなくて、単純に家まで我慢できないからだった。
禁欲主義の両親に育てられたアキはアンチ禁欲主義になっていた。といっても、両親が嫌いだからという理由ではなかった。嫌い、というよりは──、ただ、信仰しているそれの良さがわからなかった。いつからか、欲の向くまま気の向くまま、適当に生きていきたいと思うようになった。適当にできない両親を見れば見るほど、反動で自由を求めてしまうようになっていった。
両親は時々、安請け合いで天手古舞になっていた。人が良すぎるのか、信仰に基づいての行動か、それはわからないが、とにかく器用貧乏なところが二人揃ってあった。おそらく今日も集まりに行く前に、困っている人の家にこっそり野菜を届けるのだろう。わざわざ産直まで行って買いつけ、無償で笑顔で生活困窮者に提供する。あるいはこっそり、玄関先に置くこともあるらしい。
そういう両親の行動は、アキには到底理解できなかった。いつしか狂っているとさえ思うようになった。子供の頃は、親だからというだけの理由で、そんな両親を尊敬していた。だけど今は、そんな感情は一切合切消え失せてしまった。
家まであと数メートルのところまで来ると、門の前に十人ほどの人だかりができているのに気づいた。前面の道路は突き当たりな上に私道なため、交通量はほとんどなかった。しかし、だからと言って迷惑じゃないと言えば嘘だった。宗教がらみの人たちだろう。一体何が起きているのかはわからないが、街灯がご丁寧に彼らだけに光を当てて、さも見てくれと言わんばかりだった。
人だかりの後ろに立つ。
「すみません」
アキは彼らの背に呼びかけた。人々は一斉に振り返り、アキの顔をサッと見上げた。
「あんた、西村さんちの息子さんかね!」
作業着を着た男性が、勢いよく声を上げた。
「違いますよ」
アキはその質問に、ただ冷静に答えを返した。
「じゃあ誰だ」
「娘さんじゃないの」
作業着の男から次々感染したように、人々はああだこうだと言い出した。
「ちょっと、お母さんとお父さんを呼んできてくださいよ」
「困っているんです、もうどうしたらいいか──」
「とりあえず、ここじゃあなんだ。玄関でもいいから入れてくれないかな?」
蜘蛛の糸にすがる地獄の底の罪人のように、アキに全員が近づいてくる。若い者も年寄りもいた。男も女もいた。チビもデブもハゲもいた。
その中にいたハゲが、グッと前のめりになって出て、アキの腕を鷲掴みした。俊敏な動きだった。正気とは思えない。しかし、アキの腕のあまりの細さに、ハゲは一瞬驚いた表情を見せていた。ずっと男だと思っていたのかもしれない。女だと気づいて、触ってしまったことを悔いたのだろう。もし禁欲主義の信仰者であるとしたら──。
アキはハゲに腕を握られたまま、振り切るでもなく、冷めた目でただじっと見下ろした。一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒──。
ハゲはオロオロし始めた。それから慌てたようにして、掴んでいた腕をブンと振り投げるようにして解いた。男が掴んでいた腕は、酒を持っているほうの腕だった。反動で缶に残っていた酒が、ハゲの服に飛び散る。
「うわ! くさい! 酒だ!」
被害者面を浮かべるハゲの頭皮に、桜の花びらが引っついているのをアキはただ見た。皮脂がべったりしているせいか、花びらはうっすら半透明の色をしていた。
周りの人々は「酒?」「どうして?」と言いながら、困惑しながらアキを見た。アキは一切表情を変えず、ただ人々を見下ろしていた。
「あ、あのねえ。あなたがここの家とどんな関係かは知らないけどね、西村さん、新興宗教の立ち上げ手続きを開始したそうじゃない! どういうことなのよ」
アキは「ふーん」と言ったあと、
「知りませんよ、そんなの」
と、ぶっきらぼうに答えた。
「知らないわけがないじゃないの!」
「裏切りもいいところだぞ! 僕はこれから先、どっちにつけばいいんだ?」
「ねえ、私たちの魂は救われるの?」
「知りませんよ──」
白髪を三つ編みにしたおばさんは、何も言わずに涙目でアキをじっと見ていた。アキはその目を、ただ見つめ返した。まるで自分を弱い者だとアピールしているその瞳は、まるで化け物みたいだとアキは思った。弱者が持つ権力性を出すため、わざとやっているように思えた。逆らってはいけないぞという脅迫的な目をつくっているようにみえた。
「西村さんは嘘つきだ! いい人の振りをして、結局欲望の塊だったのか!」
デブが叫んだ。
「金が目当てで独立するんだ! あいつにはたくさんの信者がいるからな!」
チビが叫んだ。
「もう嫌よ。もう嫌──」
鼻の高い女が、そう言いながら顔を手で覆った。
状況が、わからない。そしてなぜ、この人たちがアキに八つ当たりしてくるのかもわからない。血が繋がっているからお前にも責任があるとでも言うのだろうか。血が繋がっているから、責任を取れと言うのだろうか。
狂っているな、とアキは思った。政治家の子は政治家に、教師の子は教師に、宗教家の子は宗教家に──、そんな革命前の不自由な時代から、いったい何百年経ったと思っているのか。
アキはふっと息を細く短く吐き出すようにして笑った。それから、
「終わりだ」
と小さな声でつぶやいた。
「なにが終わりだよ!」
「勝手に終わらせるんじゃねえよ」
アキは人々の怒声を無視し、ポケットの中からライターを出して火をつけた。それをゆっくり空に高く突き上げてこう言った。
「もう、ここには戻ってきません。今までありがとうございました」
*
“Man is born free, and everywhere he is in chains. Those who think themselves the masters of others are indeed greater slaves than they.”−Jean-Jacques Rousseau
(『元少女A〜医療少年院で描いた世界〜』)
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