月収百万円ブロガー アスミ(1)

 なんだったんだろう、あの子──。

 よっぽどお腹が空いていたのだろうか。ものすごい勢いでハンバーガーとフライドポテトを食べていた。育児放棄? ネグレクトとかいうやつ? 服はボロボロだったし、髪もボサボサだった。何より細すぎ。爪もすごく伸びていたし、小汚いというレベルを圧倒的に超越していた。ほぼ、ホームレス? いや、ストリート・チルドレン? 声も小さかったし、それでいて震えていた。というより日本語? 変なしゃべりかた! なに? 人が怖いとかそういうレベル?

 学校ジャージは着ていたけれど、あれで学校行けているの? 行っているとしても、いじめに遭わないわけがない。とにかくひどかった。なんていうか──、狼に育てられている子的な、そんな感じのやばさだった。


   *


 アスミは、母校の指定ジャージでハンバーガーを貪る女子に声をかけていた。

「あの、大丈夫?」

「え、あ、なんだべ──、別に──」

「M中の子だよね? 私、君の先輩だよ」

「や、は?」

「いや、なんかすごくお腹空いているのかなって──」

 その女子中学生は、アスミの顔を凝視するようにしてじっと見た。その目を見て、ふっと我に返った。あれ? どうして話しかけたんだろう──。

 アスミは考えた。彼女に同情したのだろうか。いや、違う。心配だから声をかけたのだろうか。それも違う。

 アスミは、最近ブログがネタ切れだった。とにかくネタがほしくてたまらない。だから無意識で話しかけてしまっていた。うわ自分、ここまで来たか──。

 女子中学生は、逃げるようにして帰って行った。

 アスミは、飲みかけのコーヒーを持って二階に移動した。一階のカウンター席は自動ドアがずっと開閉していて寒かったし、レジ近くにあるモニターで、二階席の混雑具合が解消されたのを確認していた。今のうちに席を移動しないと、今度は通塾前の受験生や部活帰りの学生で混雑し始めると予想した。

 二階席は暑いぐらいに暖房が効いていた。アスミは一番奥の四名席に腰掛けた。降ろしていた髪を低い位置で後ろに結わえる。それから、ノートパソコンをバッグから取り出して立ち上げた。

 二十三歳の頃から五年間、ほぼ毎日更新しているブログ『LIFE IS LIBERAL.』にアクセスする。白と黒を貴重にしたシンプルなデザインのこのブログは、いいときで月間二百万ページビューのアクセスがあった。基本的には美容やダイエット、健康に関する記事を更新しているが、最近はネタ切れなせいもあって、雑感記事を更新することも多い。

 アスミのブログが一時期的にもアクセスを稼げたのは、大学卒業後にSEO会社に就職したのが大きかった。営業職に就いたため、システム技術があるわけではなかったが、一日に百件以上の架電をし、自社のSEO対策がいかに素晴らしいかを盛って語っていたため、嫌でもSEOのイロハを学ぶことができた。しかしその会社は、入社後十ヶ月で倒産した。業績事態は右肩上がりで伸びていたが、社長が利益を株に突っ込んで溶かしてしまったのだ。

 アスミのアポイント取得率は新卒十名のうちトップだった。甘ったるいぶりっこボイスが効いていたのかもしれない。とにかく、期待の新人として男性上司達からはチヤホヤされていた。しかし、アスミは常に不満だった。いくら成績がよくても、褒められても、会社の給料は安かった。それに、知名度だってないような企業だ。上司に褒められると言っても、しょぼい会社の萎びたおっさん──。イケメンもいたけれど、概算で年収四百万円にも届いていないような男ばかり──。そんな人達に「すごいね」「頑張っているね」と褒められても、プライドの高いアスミが喜ぶわけがなかった。女性からは疎まれるし──。

 求人に書いてあった“残業なし”、“一年目で月収五十万円も可能”などという文言も嘘だった。唯一、“アットホームな職場”というのだけは当たっていたが、貧困サラリーマン達と和気あいあいとピザを食べながら会議をすることは、苦痛以外の何物でもなかった。営業チームの会議は、いつも決まって定時を過ぎてからだった。

 思い出すだけで腹が立つ。クソ会社、カス会社、潰れろ! あ、潰れてた。

 つまるところ──、アスミは就活に失敗していた。

 高望みの会社ばかりを受けて全滅し、こんな会社にしか就職できなかった。

 新卒一年目にして失業──。もう新卒ブランドはない──。その頃のアスミは、失業して“悔しい”とか“悲しい”とか“恥ずかしい”とか、そんな気持ちをしばらく抱えて、最終的に“死にたい”になった。とにもかくにも、この頃のアスミは、口を開けば“あー死にたい”しか言わなかった。といっても人前では決して言わず、独り言でボソッとつぶやく程度だったが──。

 一ヶ月ほど、クヨクヨと悩んでいたアスミだったが、実家の庭の桜蕾が膨らんできているのを見て、また頑張ってみようと思えるまでには回復していた。ただ、またこんな目に遭うのもコリゴリだし、会社に自分の人生を委ねることはリスクだと思うようになっていた。いい会社に就職したところで、幸せとは限らない。実際、大学の先輩は残業が続いて身体を壊したと人づてに聞いていた。

 桜が一つ二つと花開いた頃、アスミはネットで「失業後 生き方」とか「無職 女」とか「働きたくない」とか、今の自分の状況を打開しようと、手当たり次第に検索しまくった。それからあるプロブロガーの記事を読み「これだ!」と思い、ブログを立ち上げた。SEOの知識があったおかげで、更新三ヶ月目で広告収入は二十万円に到達、十五ヶ月目で九十二万円まで伸びた。翌月から、ブログタイトル『LIFE IS LIBERAL.』のサブタイトルに『好き勝手生きて月収百万円』とつけ、今もそのまま運営を続けている。もう、今の広告収入は十五万円ほどまで下がってきているにも関わらず。

 冷めたコーヒーを一口飲み、今日の記事タイトルを考えた。さっきの女の子の姿をもう一度思い浮かべる。バズを狙うために、インパクトのある強い言葉を詰め込みたい。育児放棄、虐待、ネグレクト、貧困、痩せすぎ、ホームレス、中学生──。

 しばらく考えてみるも、なかなかいいタイトルが思いつかなかった。せっかくネット民が喜んで議論しそうなネタを仕入れられたと思ったのに、タイトルが決まらなければ話にならない。SNSでブログを拡散してもらうなんて、タイトルで釣るほかない。最悪、オッパイを出せばいいのかもしれないが、アスミはあまり胸が大きくなかった。それに、そんなことをするまで堕ちたら、さすがにおしまいだ。

 事実を捻じ曲げるか──。

 アスミは再びコーヒーを飲み、空中を見上げた。

 ブログをバズらせる成分はキーワードだけに限らない。キーワードがよくたって、中身が伴っていなければ意味がない。感情──。怒り──。怒ったフリをしてバズ記事を書こう──。でも、あまりにも嘘だと気持ちがこもらない。気持ちがこもらないとバズらない。お金が稼げない──。

 最近怒ったことはなんだろう──。

 アスミは最近、瞑想にハマッていたため、あまり怒らないようになってきていた。だから怒りの出来事を思い出すまでにかなりの時間を要した。

 アスミは目を閉じ、こめかみのあたりを人差し指でトントンと叩きながら、どうにかして思い出そうとした。

 今日は何をしただろうか。

 最近家族に何か言われたっけ?

 友達には?

 ネットでは何を見たっけ?

 思い出せない、思い出せない、思い出せない──。

 しばらくして、隣の席に太ったサラリーマン二人組が来た。ヤニと酒が混じった極悪非道な臭いを身に纏っている。同じ会社の同僚のように見えるが、何を喋るわけでもなく、互いに向かい合ってスマホをいじっていた。

 アスミはあまりの臭気にぐったりとした。これだからデブは──、そう思った。するとさっき自動ドアの前で突っ立ったままの太った母親とその子供の姿を思い出した。その親子のせいで、一階は暖房が効かなかったのだ。

 健康志向のアスミは、冷えは天敵だと思っている。よし、何か思いつきそうな予感。

 アスミはブログの記事入力の欄に、メモのようにしていくつかキーワードを書き出した。

 デブ、ジャンクフード、母親、ネグレスト、育児放棄、虐待──。

 クリスマス仕様のワインレッドの長い爪でカタカタと大きな音で打つ。

 貧困、貧乏、育児、健康──。

 おお、なんかいい感じのタイトルができそう。

 しかし──、隣の席の人達が臭いにもほどがある。もう無理、限界。くさすぎる。

 アスミはとりあえずメモだけ残してこの場を立ち去ることにした。そういえば、と思い、時計を見る。

「嘘! もう二十時過ぎてるじゃん!」

 まだ十九時ぐらいだと思っていたため、思わず大きな声が出た。隣の席のデブ二人組がチラリとこちらを見たのがわかった。

 アスミは二十時半には実家に戻らなければならなかった。今日は十八歳で亡くなった雑種の犬、ヒジキの一周忌で、家族や実家近所に住んでいる幼馴染と食事会をする約束をしていた。

 ブログを仕事にすると時間を忘れる。夢中になれる。でも、約束は守らなければダメだ。

 アスミは急いで荷物を片づけ、実家に急いだ。

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