第93話 幸せとは

 ギイとガアの葬儀が終わって数日後、隆は東京へと戻った。そして、特別支援学校へ移る事を決めた。


 敏久と江藤から、助言を受けた。

 確かに、彼らの助言は的を得ており、進学を考慮する上で、とても参考になった。

 それ以上に、ギイとガアが諦めずに戦った姿が、隆に深く影響を与えた。


 隆は、絵に関して非凡な才能を有している。視力を失って尚、絵に向き合えたのは、ギイとガア、そしてクミルのおかげだ。

 しかし、絵に囚われる必要は有るまい。それに、先立って行うのは、己を社会へ適応させる事だろう。


 障害を有するからこそ、出来る事が有る。それを見つける為、また己の存在を見つめ直す為に、隆は一歩を踏み出した。


 ☆ ☆ ☆

 

 また、一年の時を経て信川村再生計画は、正式に認可された。そして認可と共に、山道とは別に新たな道路を開通させる工事が始まる。

 そして、プロジェクトの主体である敏和は、信川村へ大きな変化を齎せた。


 最初に進めたのは、国有地の取得である。

 次に、農業を事業とした会社を設立し、役場近くにオフィスと社宅を建設する。

 そして、既に信川村とパイプの有る大学から、新卒者を採用した。

 

 更に、賃貸用の住居建設を行い、打診していた芸術家を順次、信川村へ移らせた。

 

 また敏和は、クミルをアシスタントとして雇い、業務に携わせた。

 それは、村の変化を端から見るのでは無く、当事者として関わらせたかったから。

 そしてクミルは、敏和の想いに応え、様々な事を学びながら、奮闘を続けた。


 信川村は、変わっていく。

 当然に、以前から計画の有った、自衛隊基地の新設も行われる。


 道路開通、プロジェクトの認可、自衛隊基地の新設には、阿沼というファクターは欠かせない。

 そして阿沼は、信川村を囲む山脈の一部を、特別保護地区として指定した。


 道路の新設が、旧来の道路が著しく利便性に欠ける為、特別措置として認められた事。

 また、山岳訓練に適している故に、訓練地を限定し公園地区と切り分ける事で、自然保護を図った事を、付け加えておこう。

 

 そして、更に一年の時が過ぎ、暑い夏が訪れる。


  ☆ ☆ ☆


 村が管理している共同墓地の中に、さくらの墓石が立っている。ギイとガアの骨は、さくらと同じ墓に納められ、さくらと共に眠っている。

 その墓石の前には、クミルともう一人、若い男性が立っていた。


 少年の面影を残しつつも、成長した体は男性を思わせる。

 白杖を携えながらも、共同墓地までの足取りは、しっかりとしていた。


 二人は、手を合わせると、墓石に向かって話し掛ける。


「さくらさん、ギイ、ガア。今日は、珍しいお客さんを連れてきましたよ」

「さくらさん。ギイさん、ガアさん。久しぶりです。やっと、来ることが出来ました」


 二年の間で、流暢になった日本語で、来客の訪れを告げる。そして白杖の主は、柔らかな笑みを浮かべ、挨拶をした。


「ギイさん、ガアさん。今日は、お土産を持って来ました。気に入って下さると良いんですが」


 そう言って白杖の主は、墓石の前に数冊の絵本を置く。


「完結してから、来ようと思ってました。思いの外、時間がかかってしまいました。ごめんなさい」

「ねぇ。隆さんは、ギイとガアのお話しを、絵本にしてくれたんだよ。凄く売れてるんだよ。流石は、隆さんだよね」


 特別支援学校に通い始めてから、隆の日常は忙しなく過ぎていた。

 資格弱者としての訓練を受けながらも、勉強の遅れを取り戻そうと頑張った。

 無論、定期的に病院へ通う必要も有る。

 

 隆は、忙しい時間を縫うようにして、ギイとガアの絵本を作った。

 物語を書くのは、存外難しい。手探りながら校正を重ね、何度もイラストを描き直し、最初の原稿が完成した。


「素晴らしい、完成度だ。君は、多才なんだね」

「いえ、見聞きした事を、書いただけですし」

「謙遜する事は無い。ただ、一つ注文を付けても良いかい?」

「はい。お願いします、敏久さん」


 隆は、約束通りに敏久に原稿を見せた。その原稿に付けた注文は、現実に有る名を伏せ、あくまでもフィクションにする事だった。

 

 絵本という媒体で、物語を綴るには、一冊では収まらない。しかし、ネット上で公開するだけなら、ページ数に縛られずに済む。

 人気が出れば、電子書籍として販売するのも、有りだろう。


 しかし敏久は、アナログに拘った。そして隆は、出版社を紹介される。

 宮川グループのバックアップも有り、順調に増刷を重ねていった。


 絵本を手にした者は、架空の真実に夢を馳せるだろう。そして、語り継がれて行くだろう。

 村と共に、生き残っていくのだ。


 そして隆は、絵本を作りながら、有る決意を固めていた。


「ギイさん。ガアさん。僕は、医者になろうと思います。小児科医です」


 ギイとガアが、この場に居たら、驚いただろうか? それとも、嬉しそうに笑って、応援してくれただろうか?


 これから信川村は、発展する。いずれこの村にも、新しい命が生まれる。

 そんな時に必要なのは、新しい命を守る事だろう。


「こんな風に思えたのは、あなた達のおかげです。だから、次は僕の番です。あなた達から貰ったやさしさで、今度は僕が子供達を守ろうと思います」


 隆が語り終えた後、次はクミルが語り始める。


「ギイ、ガア。見えてるよね? この村は変わり始めたよ。これからも、変わっていくよ。楽しみにしていてね」


 村の人口が少しずつ増えている。もう、姥捨て山ではない。老人しかいない村でもない。


 老人達は、誰ともわからない若者達を、温かく受け入れる。そして若者は、貰った温かい思いを志に、老人達を助ける。

 そんな光景が、あちらこちらで目にする様になった。


 信川村は、生まれ変わっていく。

 いずれ若者達が定住すれば、世代交代も行われ、長らく村長を務めた敏則も引退する事が出来るだろう。

 ただそれは、もう少し先の話だろうけれど。


「覚えてるかい? 丁度、この位の時期だったよね。私達が、この世界に来たのは」


 命からがら逃げた、深い傷を負い瀕死の状態だった。集落が襲われたギイとガアも、生きた心地はしなかっただろう。

 さくらが居なければ、どうなっていただろう。


 日本での生活に、直ぐ慣れた訳では無かった。訳のわからない物に囲まれ、どうしたら良いか戸惑う毎日だった。


「この村が私を受けれてくれたのは、君達がいたからだよ。私だけなら、何も出来なかった。いつも、君達から勇気を、さくらさんから優しさを貰っていたんだ。改めて言うよ、ありがとう」

 

 さくらに救われ、この世界に連れられ、人間と一緒の生活を余儀なくされた。

 ゴブリンにとって、それがどれだけ大変な事であったろうか。

 それでも、ギイとガアは学ぶことを止めなかった。

 

 生きる事を諦めなかった。種族が違う者達に、受け入れてもらう努力を怠らなかった。

 ただ、それは辛い事だけだったのだろうか。それならば、ギイとガアは笑顔を見せる事は無かっただろう。


 もしその関係が支配なら、利用価値が有る様に振る舞うだけで、良かったはずだ。

 でも、この村にあったのは、支配関係じゃない。やさしさだった。


 例え言葉が通じなくても、さくらは想いを理解してくれた。

 さくらは、色んな事を教えてくれた。それはさくらだけじゃない。

 村の人達は皆、ギイ達に知識を伝えた。


 そしてギイ達は、それら知識を吸収し、みんなと共に歩む努力を重ねた。

 だから、互いに笑顔が生まれたのだろう。


 多分、言葉は手段なのだ。必要なのは想い。それがあれば、充分なのかもしれない。


 ギイ達への報告が終わり、クミルと隆が墓石から背を向けようとした時、声が聞こえた気がした。


「ありがと」

「ありがと」


 クミルにとっては、デジャブの様な感覚である。振り向いても、やはりそこには誰もいない。

 だが、それでいい。きっと彼らはさくらと共に、幸せな日々を送っているはずだ。


 そして、クミルと隆は、空を見上げる。

 ギイとガアの純真な心の様に、雲一つない真っ青な空は、どこまでも高く、そして遠くへと広がっていた。

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信川村の奇跡 東郷 珠 @tama69

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