第86話 種族の違い

 敏和が診療所に向かう間、クミルは簡単に食事を済ませる。


 旨くない。味がしない。

 それは、クミルがこの村に来てから、初めての感覚だろう。


 クミルにとって、食事は作業だった。

 食事と睡眠は、作業をする為の身体を保つ作業。それ以外には、何も意味を持たない。

 そんな概念を覆したのは、食事の質だけでは無い。笑顔だ。


 入院中は、貞江が傍に居てくれた。退院後の食卓は、さくら、ギイ、ガア、みのり、その内の誰かが居てくれた。

 独りきりの食事は、腹を満たすだけの作業だ。午後の労働に影響が出なければ、それで良い。

 

 農奴として、あらゆる感情を捨て、働く為たけに生まれてきた。この村は、人間が本来持ち合わせる感情を、取り戻させてくれた。

 さくらを喪った時でさえ、ギイとガアが傍に居てくれた。


 ぽっかりと、胸に穴が空いた感覚。多分これが、寂しいという感情なのだろう。


「ぎい、があ。かえってくる、よね」 


  ☆ ☆ ☆

 

 診療所に向かう敏和は、心の中に巣食う僅かな凝りを忘れる為、敢えてゆっくりと歩いた。

 

 疲れが出た、そう言ってたじゃないか。

 明日になれば、また元気に駆け回る。もしかすると、今頃は診療所で飛び跳ねてるかもしれない。

 そう。ただの杞憂だ。でも……。


 考えれば考える程、嫌な予感が頭に過る。

 敏和の歩みは、次第に速くなっていく。終には、息を切らせて走っていた。


 自動ドアが開く速度がもどかしい。

 力尽くでこじ開けたくなる思いを堪え、敏和は診療所に足を踏み入れる。

 がらんどうの待合室に、足音が響く。


 ギイとガアは、病室だろう。

 幾ら下調べをしていても、診療所の間取りまでは、敏和の知識に無い。

 しかし、貞江を呼ぶまでも無かった。


 奥からバタバタと音が聞こえる。つぎの瞬間、奥の戸からギイとガアが姿を現した。

 そして、ギイとガアは敏和に走り寄ると、足にしがみつく。


 間髪入れずに、奥の戸が再び開く。そして、貞江が声を上げながら、追いかけて来る。


「寝てなさい! 起き上がって、急に走ったら駄目でしょ!」

「でも、としかじゅ、きた」

「そうよ。としかじゅ、きたの。おさんぽ!」

「熱が下がるまで、大人しくしてなさいって、言ったでしょ! 暫くは留守番。わかったわね」

「え~」

「え~、え~」


 喋る姿はいつも通りだ。走り回れる位には、元気なのか?

 だが、足から感じる体温は、すこし異常に感じる。


 敏和は、ギイとガアを抱き上げると、それぞれの額に、自分の額をくっつける。

 その時、敏和の不安は増大した。


 彼らの手を、握った事が有るからわかる。ギイとガアの平熱は、人間と然程変わらない。

 だが、今のギイ達は違う。彼らの手は、異常な程に熱い。


 瞬間的に、敏和は貞江に視線を向けた。

 そして貞江は、敏和の視線を感じると、真剣な眼差しになり、ギイ達の耳元でささやく。


「ギイちゃん、ガアちゃん。熱が酷くなったら、ず~っと寝てなきゃいけなくなるよ」

「ギイ、いや」

「ガアもいや」

「そうでしょ? だから、大人しくしてようね。熱が下がったら、お出かけしましょ」

「ギイ、おねつ、さげりゅ!」

「ガアも、おとなしくすりゅ!」

「いい子ね」


 ギイとガアは納得したように、コクリと頷く。

 それをみた敏和は、ギイ達を抱えると、入院用のベッドまで連れて行き、布団をかける。


 さっきまで、走っていたのだ。興奮して直には眠れまい。

 敏和は、ギイ達のおなか辺りをポンポンと優しく叩き、昔話を聞かせる。


 暫くすると、はしゃぎ声が寝息に変わる。

 敏和は、ギイとガアが寝息を立てた所で、貞江に切り出した。


「流石におかしい。熱が高すぎる。今までこんな事はあったんですか?」

「ないです。こんなのは初めてです」

「じゃあ!」

「病室で騒いじゃ駄目! あの子達が起きちゃう!」  


 貞江は、極力音を立てない様にして病室から出る。貞江の後ろに続いて、敏和も病室を出る。

 貞江は、待合室のソファに腰を下ろすと、敏和に視線を送り、座る様に促した。

 敏和がソファに腰を下ろした所で、貞江は話し始める。


「敏久さんには、直接連絡をしました」

「そうですか。ありがとうございます」


 江藤を通さず、貞江が直接連絡したのは、それだけ重大なのだろう。

 貞江の言葉は、敏和の不安を更に駆り立てる。


「正直な所ですが、今の状態はどんな感じなんですか?」

「わかりません、疲れが出たとしか」

「でも、あの熱は異常です!」


 恐らく四十度近くの熱が、出ているだろう。ちゃんと計れば、四十度を超えているかもしれない。


 貞江も、今の事態に困惑しているはずだ。

 しかし貞江は、父の敏久が頭を下げてまで、医療を続けて欲しいと頼んだ医者である。

 そんな人が、曖昧な言葉で濁すはずが無い。わからないで、済ますはずが無い。


「祖母の病気が、移った可能性は?」

「低いでしょう。そもそも、空気中には、色んなウイルスが飛んでいます。人口の少ないこの村だろうが、都会だろうが、それは変わりません」

「免疫系には、問題無いと?」

「普通なら」

 

 普通なら。貞江が語った言葉こそが、二人を悩ませている正体だ。 


 今のギイとガアを襲っている事態は、普通ではない。

 運び込まれた時点では、微熱程度であった。それが、一時間もしない内に、高熱になった。


 それ自体も異常だ。更に異常なのは、彼らが立って歩ける事だ。普通に話せる事だ。

 四十度近くの熱が有れば、意識は朦朧としているはず。元気そうに過ごすのは困難だ。


 では何故、彼らは走る事が出来たのか? それこそが、種族の違いだろう。

 しかし、見た目が元気そうだから、問題無いと判断するのは浅はかだ。

 

 貞江はさくらの後を継ぎ、ギイとガアの検診と検査を定期的に行っていた。それは、ギイとガアの健康を維持する為だけではない。

 周囲の人達に、万が一の悪影響が有った時、直ぐに対応をする為にでもある。


 MRIの設備は無いが、レントゲン撮影くらいなら出来る。また、排便や尿、血液から確認できる事も多い。

 無論クミルから、知り得る限りの情報を聞き出した。時間をかけて、彼らと人間の違いを確認してきた。


 ギイとガアは、人間と酷似している。

 もしかしたら、MRI等で細部まで調べれば、判明する事が有るかもしれない。各種検査の結果、臓器機能の違いが見つかるかもしれない。


 少なくとも、初期段階でレントゲン撮影はした。そして、臓器の数と位置が、人間と同じである事を確認した。

 人間の子供と変わらない。だから、人間と同じ食生活を許可した。

 そして、これまで体に異常が起きなかった。


「敏久さんは、直ぐに受け入れる準備を整えると、言ってくれました。受け入れ準備が整い次第、東京の病院へ移送します」

  

 敏和は、貞江の言葉を直ぐに理解した。

 いざという時の為に、敏久が手を尽していたのを、近くで見てきたのだ。

 

「敏和さん。あなたの言う通り、これは異常です。でも、怖くて人間の薬は使えない。ましてや抗生物質なんて、論外です」


 悔しいのだろう。貞江は、唇を噛んでいる。血が顎を伝い、床に滴り落ちる。しかし、その瞳は敗者のものでは無い。

 あの愛しい子供達を守れるなら、不甲斐無いさなど、ドブに捨てよう。

 そんな意志が、瞳に籠っている。


「はい。お願いします」

「安心して下さい。こんな時の為に、名医や学者を集めたんでしょ?」

「でも、こんなに早く、そんな機会が訪れるなんて」

「季節の変わり目です、疲れが出やすい。もしかしたら、明日には熱が治るかもしれない」

「それなら、良いんですが……」

「敏久さんが集めた先生方が、あの子達の治療方法を見つけ出すかもしれない。今は、それを信じるしかない。悔しいけれど、私では力不足です」


 間違い無く、それは言わせてはいけない言葉だ。

 敏和は、貞江に頭を下げる。


「すみません。言いたくない事まで、言わせてしまって」

「構いません。私もあなたと一緒です。クミルさんは、凄く心配してました。今頃、村のみんなが心配してます」


 大切な子供達を、心配しない訳が無い。しかし、ギイとガアの熱は、下がる事が無かった。


 翌日、緊急車両が診療所に到着し、ギイとガアは搬送されていく。それを見つめる、住人達は心の底から祈っていた。

 無事で帰って来ることを、またあの笑顔と再会出来る事を。

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