第85話 初めての病
「敏和君、メールは見たよ」
「すみません江藤さん。こんな遅くに」
村を周った夜、敏和はPCのデータをじっと見つめていた。
ブラウザに映し出されているのは、江藤から送られてきた資料である。
修正された試算案や、助成金等の情報を検討、そしてプロジェクトの利益と照らし合せる。
そして時折、行き詰まったかの様に、表情を険しくする。
もう夜が更けている。流石に電話を避け、敏和は江藤に対して、メールで質問を行った。
メールを見た江藤は、直に電話を掛けてきた。
「構わないよ。君が日中、出歩いているのは、わかっているし。それにしても、君にしては、珍しく迷っているね?」
「はい。今回の様な案件は、初めてなので、判断が付かない箇所が多くて」
「正直に言うと、初年度から数年は、目標が甘くて良い」
「仰る意味は、わかりますが」
「不安かい?」
「そうです」
「いいかい? 最近では、バズると言ったか? 初年度から成功して噂になれば、有象無象が参入してくる。そんな事になったら、村が荒れる」
「じっくりと、足場を固めろって事ですか?」
「そうだよ。初年度から、利益を出せるなら、それに超した事は無い。だけどこれは、長期的な計画なんだ。そこに拘る必要が無い」
第一段階として、農業従事者と芸術活動者を中心に、村へ呼び込む計画である。
それに付随する住宅等は、移住者の見込がある程度ついてから、建築を行う予定だ。
ただし、初年度から発生する、僅かばかりの賃収だけが、最終的な利益になるのではない。
芸術方面に関しては、販促等の付随する要件が、利益と成り得る。
農業関連事業は、農地の買い取りから始まり、農業従事者の募集から教育と続く。数年間は目立った利益は出せないだろう。
しかし、農業従事者が成長すれば、それだけ販促の見込が立てられる。
それでも現状では、最初の投資でしかない。重要なのは、如何に村を発展させるかだ。
目先の利益にだけ注視しては、発展に繋がらない。大きな利益は生まれない。
「敏和君。我々は未来を予測できないんだ。幾ら可能性を考慮して計算しても、その通りにならない」
「それは、江藤さんの経験からですか?」
「そうだよ。それと、さくらさんの教えだ」
「ばあちゃんの、ですか」
「今日、君が作った膨大な資料に目を通したよ。その中に有った、協同組合は面白い案だと思う。本音を言うなら、後継ぎなんてのは、二の次って所だろうね」
「そう言いますと?」
「芸術家って、不確定要素が高いと思うだろ?」
「ええ。作品を作っても、売れなければ、食べていけない」
「そう! 芸術に没頭出来る環境作りが出来れば、安心出来ると思わないか?」
「そうですね」
「君が届けるのは、安心だよ」
芸術家が抱えているのは、果たして後継者問題だけだろうか?
将来的な不安ばかりにスポットを当てるのでは無く、生活の不安を取り除く為に支えるのも、重要な事ではなかろうか。
その意味では、後継ぎ不足問題に関してすら、二の次でも良い。
「産業振興、自然保護の助成金だけじゃなくて、新規事業に関してもお調べ頂けますか?」
「あぁ、任せてくれ」
短期的な事案なら、ある程度の目処は立っている。
問題は中期以降の目標設定と、それを達成する為の具体的な方法であろう。
既存のプロジェクトと、それに派生して設立する新規事業、そして子会社化する予定の幾つかの事業、これらに利益を出さなければならない。
利益にならないプロジェクトなんて、何処の企業も扱わない。
問題は、村の収益には留まらない。
それから数時間に渡り、敏和は江藤に質問と意見をぶつけた。江藤も誠心誠意、敏和に応えた。
やがて、空が白み始め、二人に欠伸が出始める。
これ以上は続けても、進展が無い。そんな空気が、二人の間に流れる。
「江藤さん。また今度にしましょう」
「そうだね。次は、そっちに行くよ」
「助かります」
「ところで敏和君。現状の予算は、どこまで見てる?」
「それは、もう一人か二人くらい、サポートを付けたいって事ですか?」
「出来れば、二人。報酬は、私と同額」
「それであれば、問題有りません。一応、その方々の資料を、送って下さい。直ぐ稟議にかけます。通ったら、外部委託契約書を送るので」
「大丈夫。その辺りは、何度も経験してるからね」
「江藤さん、助かります」
「また何かあったら、直ぐに連絡してくれ。流石に二十二時以降は、寝てるけどね」
「遅くまでありがとうございます」
「あぁ、おやすみ」
そして敏和は、クミルが目を覚ます頃に、ようやく布団に入ろうとしていた。
敏和は、昼近くにならないと、目を覚まさないだろう。
その間、クミル、ギイ、ガアは朝の農作業に出掛けるはず。一度帰宅し、敏和の朝食も準備して、午前の作業に出掛けるはず。
だがその日は、何かが違った。
数字と睨めっこになる自宅作業よりも、実地調査の方が楽しい。
特に暑さが和らげた今の時期は、外出に持って来いだ。しかも、ぐるりと見渡せば、色鮮やかな紅葉が目に飛び込んで来る。
都会では見る事が出来ない、圧倒的な自然が味わえるのに、部屋で作業するなんて勿体無い。
昼近くになり目を覚ました敏和は、クミルが用意した食事をかきこむと、食器を片付けて玄関へ向かう。
敏和が廊下を進んでいると、玄関の戸が開く。
丁度、午前の作業が終わったのだろか、そう思った敏和はおかえりと声を掛けようとした。
しかし、玄関の戸から姿を表したのは、クミルだけであった。
「あれっ? クミル、ギイとガアは?」
「ぎいとがあ、ねつ、だした。やすませた」
「は? えっ? 熱? どうして? 何が有ったんだ?」
熱という単語に、敏和は反応した。それも過敏と思える位に。
先程とは打って変わり、真っ青な表情になる。
敏和は、嫌という程に、頭に叩き込んでいた。
ギイとガアは、人間では無い。人間の病気にかかった時、どんな症状を引き起こすかわからない。
細心の注意を払わねばならない。
ただでさえ、季節の変わり目だ。人間でも体調を崩しやすい。
ただ、昨日のギイとガアは元気だった。だから、油断してしまった。
そんな敏和の感情を読み取ったのか、クミルは柔らかな笑みを浮かべる。
そして、敏和を落ち着かせようと、明るめの声色で説明を始めた。
「さだえさん。つかれ、でた、いう。しんぱいない」
「じゃあ今、ギイとガアは、診療所に?」
「はい。あんせい、いわれた。ぎいとがあ、すこし、がっかりしてた」
確かに、様々な事が一気に起きた。
大きな環境の変化が、小さな身体に負担をかけていたのだろう。
それならば、理解は出来る。だが、一抹の不安は拭えない。
「クミル。お前は、大丈夫か?」
「だいじょうぶ? あぁ、それなら、へいき」
「身体の何処かが、怠いなんて事は無いか?」
「ないです」
「咳は?」
「でてない」
「熱は? 熱はどうだ? 計るぞ!」
「としかずさん、おちついて。ねつ、さだえさん、はかってくれた。いじょう、ない」
「そうか」
ホッとしたのか、敏和の肩から力が抜ける。
少し考えればわかる事だ。クミルが、ギイ達の状態を知っているのは、付き添ったからだ。
また、貞江は優秀な医者だ。診療所に行ったクミルを、そのまま帰すはずが無い。
「しんぱいかける、ごめんなさい」
「いや、お前が謝る事は無いって」
クミルは、神妙な顔つきで、頭を下げる。それが、感情を読み取った故の行動だと、敏和は理解した。
それと同時に、取り乱した事を、敏和は恥じた。
薄っすらと感情がわかっても、多少は人付き合いが楽になるだけだろう。結局は、自らが行動しなければ、何も変わらない。
体調の変化は、感情からは伝わるまい。ギイ達の事だ、自らの体調悪化に、気が付かなった可能性が高い。
クミルが普段からしっかりと、ギイ達の様子を観察していたから、気が付いたのだろう。
「ぎいとがあ、あさから、ようす、へん」
「だから、診療所に連れて行ってくれたんだな。ありがとう、クミル」
「ありがとう? ちがう、ぎいとがあ、かぞく。あたりまえ」
「ったく、お前は……。まぁ、良いよ。優秀過ぎる弟だな」
「ゆうしゅ? ことば、わからない」
「言葉の意味は、今度教えるよ。一先ず、診療所に行ってくる」
「おひる、たべない?」
「ごめんな。食べたばっかだから」
「きお、つけて」
「それは、こっちの台詞だ。いいか! 少しでも、調子が悪かったら、言うんだぞ!」
「はい」
この時は、誰もが高を括っていた。
そして、どんなに万全を期しても、どれだけ英知を集めても、運命には逆らえない。
やがて皆が、それを知る事になる。
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