終章 ゴブリンが、現代社会で平和に暮らすには

第80話 新しい始まり

 葬儀の翌朝は、珍しくどの家も、ゆっくりとした朝を過ごしていた。


 精進落しという名の宴会で、多くの者が日が昇り始めるまで、酒を呑んでいた。たまには、そんな日が有っても良いだろう。


 習慣になっているのだろう。

 早朝まで付き合っていた割に、七時には洋子が目を覚ます。


 賑やかさ故に、日付が変わるまで寝ようとしなかったギイとガアも、洋子とほぼ同じ位の時間に目を覚ます。

 それから、少し遅れる様にして、クミルが目を覚まし、四名で手分けをして、家事を始めた。


 日が高くなると、ばらばらと畑に足を運ぶ者が出始める。

 そして昼に近付いた頃、ようやく敏久と敏和が目を覚ました。


 皆でさくらの位牌に手を合わせた後、食卓を囲んだ。


「味はどう?」

「ギイ、おいしい。おふくりょ?」

「あら、ギイちゃん。お袋なんて、敏和の影響かしら?」

「そんな事、無いって。なぁ、ギイ?」

「おふくりょ、だめ?」

「ギイ。ははよ」

「はは、すごい。ばあちゃ、あじ、いっしょ」

「ガア。はは、すき」

「ありがとう、ギイちゃん、ガアちゃん」


 小さな子が居るだけで、食卓が賑やかになる。 

 特にギイとガアは、日本語が話せる様になり、より積極的に話す様になった。


 見てるいるだけでも、優しい気持ちになる。

 出来れば自分も、会話に混ざりたい。そうして、ギイとガアに敏久は、何気なく問いかけた。


「ギイ、ガア。私の事は、なんて呼んでくれるんだい?」

「としひしゃ?」

「ギイ、ちちよ」

「ちち?」

「そうか、父か。……うん、良いもんだな」


 呼び方など、どうでも良かった。

 また、敏久の年齢であれば、ギイとガアは孫の様なものだろう。

 しかし、父と呼ばれた時、愛おしさが込み上げてきた。

 思わず抱きしめたくなる気持ちを抑え、敏久は毅然とした態度を崩さない様に努める。


「そう言えば、朝食はクミルが手伝ったんだよな?」

「そうなのよ。ほんと、助かったわ」

「わたし、てつだっただけ」

「充分過ぎる位よ。あんなに上手だなんて、頑張ったのね」


 クミルは、洋子の心を感じて行動した。

 炒め物をする際、事前にカットした材料を、洋子が望む順番に手渡した。

 洋子が何も言わ無くても、手が届く場所に欲しい調味料が置いて有る。

 

 一つ一つは、どうと言う事もない行動だ。手慣れた者なら、同じ様に立ち回るだろう。

 しかし、意図を解した様な補助が有れば、作業効率は段違いに跳ね上がる。

 

 それは、単なる技術レベルの問題では無い。洋子を慮る気持ちこそが、重要だろう。


 ただでさえ、あまり寝てないのだ、満腹になれば睡魔が襲ってくる。

 眠気を堪え、敏久等は出発の準備を行った。


 敏久達が、東京に戻る頃には、住人達が全員目を覚ましている。

 そして、敏久等を見送る為に、皆がさくらの家に集まった。


「クミル、ギイ、ガア。私達は、東京に戻らなくてはならない」

「ちち、また、あえう?」

「勿論! それまで、この家を任せていいかな?」

「ガア、できうよ」

「ギイもがんばう」

「あんた等が居なくても、俺達が居るんだ。心配しねぇで、行ってこい」

「郷善さん、ありがとうございます。皆さん、子供達の事をよろしくお願いします」

「言われる迄もねぇ! あんたは、色々と忙しいだろ? こっちでやれる事は、任しとけ!」

「実際やるのは、お前じゃなくて、佐川だけどな!」

「うるせぇな、郷善! 余計な事、言ってんじゃねぇ!」


 昨日は、さくらの旅に幸運が有る様、願いを込めて送ったのだ。湿っぽい別れは、必要ない。

 特に、さくらの親族は、度々村を訪れる事がわかっている。


「としひささん、ようこさん、としかずさん。ギイとガアは、まかせてほしい。いえも、わたし、まもる」

「ありがとう、クミル。では、行ってくるよ」

「じゃあね。クミル君、ギイちゃん、ガアちゃん」

「直に来るからな、また遊ぼうな!」


 そうして敏久達は、東京へと戻っていった。


 ☆ ☆ ☆

 

 さくらの家にある仏壇の前には、中陰壇が設置され、さくらの位牌と遺骨が置かれている。

 賑やかな別れが終わり、親族だけでなく、住人達も日常へと戻っていく。

 さくらの家に残されたのは、クミル、ギイ、ガアだけとなった。


 敏久等が東京に帰った翌日、さくらの家にも日常が戻る。


 朝の農作業が終わり、クミル達は一旦帰宅する。

 クミルが朝食を作り、ギイとガアが座卓を拭く等をして食事の準備を行う。

 その際に揃える箸は、三つでよい。しかしギイとガアは、四つ用意してしまう。


「ギイ、ガア。ようい、みっつ。さくらさんのぶん、おぶつだん、そなえる」

「おぶちゅだ?」

「おぶつばん?」

「お、ぶ、つ、だ、ん、だよ」

「お、む、つ、ば、ん?」

「ギイ、おぶつだんよ」

「そう。ギイ、ガア。おぶつだん、さくらさんのごはん、あげて?」

「あい!」

「あいあい!」


 供え物をお盆に乗せて、ギイ達が運んでいく。

 供え物を全て置き終わったら、クミル達は揃って手を合わせた。


 クミルにとって、個人を悼む儀式は初めての経験であった。

 四十九日までの作法は、村人達から教えられた。それを、そのまま行っている。


 この様な儀式が、なぜ必要なのか。

 宗教的な意味も説明されたが、いまいち理解は出来なかった。

 それこそ、これまで暮らしてきた文化の違いだろう。


 クミルがいた世界では、死んだら埋めて終わりだ。

 墓も建てない、故人を悼む事もない。


 しかし、クミルは漠然と理解をしていた。

 厳かに祀るのは、故人を大切にするからなのだろう。

 そして、納骨までに日数が有るのは、残された者に別れを実感させる時間が必要なのだろう。


 クミルとて、住人達から色々と聞いていなければ、さくらの食事を用意していたかもしれない。


 生前のさくらは、料理をしていると、アドバイスをしてくれた。

 出来上がった料理は、さくらに味見をしてもらっていた。

 もうさくらは、アドバイスをしてくれる事も、味見をしてくれる事もない。


 しかし、ふと感じる瞬間がある。

 朝食の準備をしていると、さくらの視線を感じて振り向く。


 よく見なくても、そこに誰もいないのはわかる。

 だが、つい味見をお願いしようと、さくらの名を呼んでしまう。


 昨日、ちゃんと別れを済ませた。

 さくらの、柔らかく微笑む様な死に顔を、目に焼き付けた。

 焼かれた後に骨となった姿も、目に焼き付けた。


 わかっているのに、まださくらがこの家に居る様な気になってしまう。

 頭では理解していても、心では理解しきれていないのだろう。


 さくらとこの家で、笑って食事をする事はない。

 ギイとガアが、今日の出来事をさくらに報告する。それを聞いたさくらが、優しくギイ達の頭を撫でる。

 そんな光景を見る事も無い。


 そんな事を考えると、心に穴が開いた様な気分になる。

 喪失感とも違う。なにかが足りない、そんな気分になる。


 恐らく、死を受け入れるのには、どうしても時間がかかるのだろう。

 こんな幸せな世界だから、尚更なのかもしれない。


 恐らくギイとガアも、クミルと同じ感覚でいるのだろう。

 何故なら、時折キョロキョロと周囲を見渡す事が有る。

 そんな時、決まってこう言う。


「ばあちゃ、どこ?」

「ばあちゃ、どこいりゅの?」


 さくらが居る訳が無いのは、理解しているはずだ。

 しかしギイとガアは、さくらを探す。


 理解している、受け入れている、それでも受け止めきれていない。

 それは多分、仕方がない事なんだ。


「ギイ、ガア。ひと、しぬ、たましいなる」

「たまし?」

「そう。たましい、てんごく、いく」

「クミリュ。そえ、おしょうさ、はなし」

「そう。ガア、おぼえてる、えらい」

「ガア、えらい」

「ギイもよ」

「ギイ、ガア、きく。てんごく、いく。じかん、いる」

「てんごく、どこ?」

「てんごく、なに?」

「わからない。おしえてくれた、むずかしい」

「ギイ。わからない」

「ガアもよ」

「たびだつまで、じかん、すこしひつよう」

「ばあちゃ、どこかいりゅ?」

「ばあちゃ、どこ?」

「ギイ、ガア。さくらさん、みえる?」

「ギイ、わからない」

「ガアも、わからない」

「私もみえない。でもさくらさん、みまもってくれる」

「みまもう?」

「まもう?」

「そう。ギイとガア、げんきない、さくらさん、かなしむ」

「ギイ。ばあちゃ、かなしむ、いや!」

「ガアも、ばあちゃ、かなしむ、いや!」

「わたしも、いや! だから、いっしょ、がんばろ!」

「あい!」

「あい!」


 恐らくクミルは、自らにも言い聞かせていたのだろう。

 葬儀の際に、僧侶が語ってくれた事、村の人達から教えて貰った事を、一つ一つ噛み締めて、自分の中で整理していたのだろう。

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